サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

2019年8月12日に100名城、同年10月14日に続100名城を制覇し、合計200城を達成しました!
今後は、スタンプのみの佐土原城とその他の城を登城します。

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コロナ禍の2020年9月、GoToトラベルが始まり、4連休を利用して遠出のドライブ旅行に出掛けた。目的地は山陰方面、途中、是非とも行ってみたかった鳥取県の太閤ヶ平(たいこうがなる)を登城した。ここへ車で行く場合は鳥取市歴史博物館を目指すのが良い。隣に無料の駐車場が有る。
登城日は2020年9月21日。ルートマップを入手し、向かう道程は鳥取東照宮鳥居から舗装された道路を行く「太閤ヶ平ルート」、1時間30分とある。そして、そこから縦走し、鳥取城本丸(山上ノ丸)へ向かう「兵糧攻め対陣コース」、最後は本丸から山下ノ丸方面へ下る「中坂コース」だ。鳥取城は、2018年7月30日に登城済で2回目だが、かなり厳しかった山下ノ丸からの登城では無いので、まだ気は楽だ。
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当然でも無いが、クマさんが出没する可能性がある。今年の5月に2回ほど目撃情報があったそうで、熊除け鈴を2つ付けて登城開始。9月なのでまだまだ暑い。目的地までは約3㎞くらい、だらだらした舗装道路を行く。車も通行できるような道であるが侵入出来ない。結構、人とすれ違ったりしたので、何となくクマの恐怖は和らいだ。
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太閤ヶ平は1581年に羽柴秀吉が築いた付城で鳥取城本丸から東に1.5kmの本陣山(251m)の山頂にある。急な坂道では無いが、汗だくになりながら約50分ほどで到着。夏場は水分など十分な準備が必要なのは間違い無い。
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織田信長の中国征伐で対峙する毛利氏とで展開されたのが鳥取城攻めであり、秀吉は2万の軍にて鳥取城を包囲し、兵糧攻めを行った。それは120日にも及び、鳥取城内では餓死者を喰らうと言われるほど苛烈を極めたとされる。
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本陣は一辺約50mの規模を持つ内郭を巨大な土塁と空堀が囲んでおり、虎口が2箇所、ハッキリと残っている。これだけの規模にしたのは毛利氏が鳥取城に進軍した場合、信長自らが出陣し、それを迎えることを想定していたのではないか、とも考えられている。
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最終的に、鳥取城主の吉川経家は自らの命に替えて城兵を救うという条件で自害し、鳥取城は開城。経家は遺言状にて、「日本二つの御弓矢境において忰腹に及び候事、末代の名誉たるべく存じ候」とあった。織田と毛利と言う日本の2つの矢の中での戦で切腹することは末代まで大きな名誉となる、と言う意味とのこと。本陣の外側の空堀跡、土塁。現地で見るともっと迫力があるのだが。
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本陣の外からは久松山山頂にある鳥取城本丸が目視でもはっきり見えるので、ここはお見逃し無きよう。山頂右側の木が無いところが天守台跡と思われる。秀吉もこのような眺めを見たかと思うと感動する。
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さて、小休止して、ここから鳥取城本丸へと縦走する。距離は2.2㎞、約40分と案内板にあった。全くひと気が無く、嫌な予感がしながらスタート。途中、女性一人だけとすれ違ったが、それ以外に会うことは無かった。結局、鳥取城本丸までアップダウンのある山道をヒイヒイ言いながら行き、30分くらいで到着。今度は逆に本陣山を眺める。山頂に中継所が見える、そう、あそこだ。
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前回登城時も思ったが、とにかく、ここからの眺望はほぼ360度、素晴らしい。厳しい道程を登って来た甲斐があるのは間違いなしだ。計5㎞も歩いてきたので疲労困憊、ボーっとしながら少々休んで山下ノ丸へ下ることとした。名残惜しく、天守台跡をもう一度見る。往時には望楼型3重の天守があったとされる。
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下山するのも苦しいのが鳥取城だ。急な足場の悪い道をひたすら歩く。トレッキングシューズや登山靴のようなもので登城することを強くお勧めしたい。結局、30分以上かけて安全に下り、山下ノ丸に到着、壮大な石垣を見て終了。結局、太閤ヶ平登城開始から約3時間くらいであった。ようやく終わったと思うも、ここから最初に止めた駐車場まで歩かねばならない。途中、鳥取城大手門である「中ノ御門表門」の復元工事を見ながら、最後の力を振り絞って歩いた。
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思ったことだが、鳥取城太閤ヶ平の両方を登城する場合、鳥取城から太閤ヶ平へ行くのが一般的なようだが、間違いなく、その逆のルートで行くのがまだ楽と思う。とにかく、山上ノ丸まで登るのは大変、まだ下る方がマシ。山上ノ丸から太閤ヶ平へはどちらから行っても同じアップダウンと思われ。
さて、ここまで頑張ったなら、何か記念品が欲しいところ。写真のような御朱印が鳥取市歴史博物館で販売されており、購入した。なかなか良い感じの御朱印、お勧めだ。
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続100名城の99城目となった五島市の福江城を登城後、たまたま見つけたので、行ってみることにしたのは勘次ヶ城。別名は、勘次が城、勘次ケ城、山崎石塁、山崎の石塁、倭寇城。城址の真横あたりに無料の駐車場があったと記憶しているので、アクセスは是非車で。
登城日は2019年10月5日。福江城から車で1時間は掛からなかったと思う。到着目前に、海に向かって指をさしている実物大の奇妙な人形で出会うことになる。どちらかがこの城の築城主である勘次、手前の方と思う。
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この城は今から150年程前、大工の勘次が河童と築いた石の城という説や、大きな施設でのぞき穴などがある事から倭寇のアジトとして築城されたという説がある。城址入口にある石塁のミニチュア版。なかなか良く出来ている。
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この城を築いた石は日本古来の築城に用いられた大石ではなく、一人で出来る石が用いてあるとのこと。
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石塁はほぼ長方形の構造をしており、入口は一箇所で約27m×約40m、壁の高さは約3.6mにおよぶと言う。
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迷路のような石積みが巡らされ、その延長は180メートルとのことだ。その一番高い所に登ってみた。
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勘次ヶ城は勘次が一人で作ったとのことで、当然ながら広くはなく、滞在時間は10分程度であろう。謎めいた石塁であり、諸説はあれど、150年以上に渡りしっかりと残っていることには驚く。福江城訪問の際には是非、お立ち寄り頂きたい。
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続100名城の最後100城目となった対馬の金田城を登城する前日に、福岡県行橋市にある御所ヶ谷神籠石馬ヶ岳城の2城を登城後、福岡市内にある西新元寇防塁に立ち寄った。住宅街にあり、駐車場は近くのコインパーキングしかない。短時間の訪問になるが、目の前は住宅なので路駐は厳禁だ。
登城日は2019年10月13日。まずは史蹟碑を撮影、立派な国指定の史跡だ。ここ以外にも福岡市内には多くの元寇防塁が残っていること、ご参考までに。
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元寇防塁(げんこうぼうるい)とは、1274年に蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府(文永の役)が、1276年に博多湾の海岸線に築いた防塁のこと。幕府は九州の御家人に博多湾20㎞にわたりこれを作らせた。この西新元寇防塁はほぼ中間の位置にあたるとのこと。ここの防塁は二重構造だ。
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防塁は、砂丘の上に粘土を敷いて基盤を安定させた上に石を積み上げている。この防塁は西南学院大学で検出され、12mほど北東側の1号館内に移築復元され、公開されている。
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敷地内には元寇神社がある。特に説明板などはなく、元寇の犠牲者などを祀っているものと思う。蒙古は1281年に再来襲するが、武士の奮闘と神風?により、上陸できずに撤退することとなったのは中学校で勉強した。(弘安の役)         
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見学時間は10分も必要ないと思われる。誰もが知る元寇、こういったもので備えをしていたと言う歴史が勉強でき、ちょっと寄るくらいにはもってこいと思う。
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続100名城の最後の100城目となった対馬の金田城を登城する前に、織豊系城郭として有名な山城の清水山城を登城、その山麓にある金石城に登城することにした。別名は金石屋形、厳原城。ここにアクセスするには、厳原港から車で3分ほど、対馬空港からは車で15分くらいのところにある「観光情報館ふれいあい処つしま」に一旦寄ってから向かうのが良い。パンフレットなどが置いてある。
登城日は2019年10月14日。この施設からすぐに見えて来るのが城の入口である大手門櫓、平成期に再建されたもの。金石城は1528年に宗将盛がこの地に作った金石屋形をはじめとする。1665年に拡張し、城郭を整備、1669年に大手門にこの櫓を建てたことで「金石城」と呼ばれるようになった。
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1687年に桟原城が築城されると、藩庁としての機能は失われたが、城は残っていた。城内には発掘調査により復元された庭園があり、国指定の名勝となっている。
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庭園は広く、江戸時代の風情を感じることが出来る。
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庭園近くに城の搦手門があるので、お見逃し無きように。発掘時に櫓台の石垣なども確認された。
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19世紀の絵図には銅門と記されているとのことだ。
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最終的に、大手門櫓は1813年の大火で焼失、4年後に二重櫓門を再建するも大正期に老朽化で解体、現在のものは1990年に復元されたものとのこと。
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金石城は庭園も見て廻って30分程度だった。清水山城の山麓なので、ついでにセットで見て廻ると良い。
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100名城と続100名城達成による燃え尽き症候群とコロナ禍で長期間のblogお休みから、ようやく、再開することにした。まずは、スタンプのみで未登城であった小谷城から。アクセスは電車はJR北陸本線で河毛駅下車し徒歩30分くらい。車なら、城の麓の小谷城戦国歴史資料館に駐車場が有る。
登城日は2020年10月3日。小谷城スマートICで降り、すぐに資料館に到着。スタンプは歴史館内受付にあるが、2018年7月に押印済なのでスルー、少々、勉強(復習)してから登城。小谷城は広大なので、全てを見切るのはなかなか難しい。「小谷城を登城した。」と言い切れるのは、やはり、山王丸跡までであろう。従い、歴史館のすぐそばにある追手道から山王丸まで向かうとした。尚、途中の番所跡までは車で行けるし、バスで番所跡まで行くガイドもある(本丸まで)ので、時間や体力のない人はそれを選択するのも手と思う。獣害防止の金網を抜けるとこのような感じ。熊除け鈴をつけて登城開始、まずは、番所跡まで1.2Kmだ。
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小谷城は1516年頃に浅井亮政が築城し、3代(亮政、久政、長政)が居城とした。現在、日本五大山城(小谷城春日山城七尾城観音寺城月山富田城)の一つとされている。歴史館で入手した城址案内図でまずは、追手道から目指すは真柄峠。整備されてはいるが、結構な坂道を行く。10分弱で到着。少々休憩して、金吾丸へ向かう。途中、見晴らしが良いところがあるので、現地にて是非。藪だらけの金吾丸は少々、高台にあり、すぐに番所跡へ。結局、追手道から番所跡までは20分ほど掛かった。ここが数台が停めれると言う番所跡。ただ、黄色の部分は駐禁となっている。番所は小谷城主郭への入口である重要な曲輪だ。
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3代目の浅井長政の時である1570年~1573年までの一連の戦いは元亀争乱と呼ばれる。1570年に織田信長と断交した長政は朝倉氏と組み、信長・家康と戦う。姉川の合戦だ。その2年後、信長は小谷城のすぐそばにある虎御前山に本陣を置き、砦を修築し対峙する。番所跡から、すぐのところに虎御前山展望所がある。これが虎御前山だ。かなり近い。
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1573年に一乗谷の合戦にて信長により、朝倉氏が滅亡するといよいよ、小谷城総攻撃が始まる。お茶屋跡、御馬屋跡などを過ぎ、桜馬場跡に到着。ここからは琵琶湖と彦根城が見える。また、浅井氏とその家臣の墓碑もあるので、お見逃しなく。番所跡から15分ほどで大広間跡に到着、千畳敷とも呼ばれ、建物跡や井戸跡が残る。
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大広間跡の北側に本丸がある。南側に残る石垣、この城の見所の一つ。本丸には2層の天守があったと古絵図に記載がある。小谷城最終決戦ではここ本丸に浅井長政が拠っていた。
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本丸から今回登城の最終目的地である山王丸へ向かう。約410mとの表示あり。本丸とこの北側にある中丸を寸断する大堀切。かなりの迫力だ。
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中丸跡を抜け京極丸跡に到着。ここは京極氏の屋敷があった場所とされ、決戦時に秀吉が占拠し、南の本丸とここから北にある小丸を寸断する。本丸に長政、小丸に浅井久政(長政の父、2代目)がいたので親子を寸断したわけだ。
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北にある小丸を向けると、いよいよ、この主郭部の詰めの丸である山王丸に。東側に残る大石垣はこの城址で最も良く残る石垣で、必見だ。
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山王丸から先は搦手道で月所丸跡、しいては、大嶽城跡に通じている。従い、時間や体力があれば、そこまで行くことも出来るが、追手道からなので、ここで引き返すこととした。
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途中、往きに見逃した浅井長政が自害した赤尾屋敷跡へ。ここへは首据石があるところに案内があるのでお見逃しなく。奥の方に石碑があるので、お祈り。決戦の途中、浅井3姉妹を織田側に引き渡すなどした上で長政は徹底抗戦、信長の兵に追われ、ここにて自害、そして、小谷城は落城した。
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小谷城は追手道から詰めの山王丸までの全見どころを見て往復1時間30分程度であった。山麓の歴史館をしっかり見るなら、2時間は必要と思う。各曲輪が良く残っており、案内板も要所にあるので、理解しながら楽しめる山城と思う。又、まま険しい山城なので、夏場は十分な準備が必要。体力のない方は番所跡までのガイド付きバスがあるので、それを使うと良いが、案内は本丸までなので、大石垣のある山王丸まで行けないのがちょっと残念かもしれない。(本丸から山王丸までは険しくない道で10分ほどなのに、行けないのは。。。)
もし、遠路はるばるこのエリアまで来たら、彦根城(100名城)や佐和山城、鎌刃城(続100名城)、長浜城などにも寄ると良いであろうと思う。私はこの後、長浜城に向かった。
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