サラリーマンの日本200名城登城記録

急に日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

2019年5月26日現在、100名城97城、続100名城96城の合計193城制覇です。(内5城はスタンプのみ)

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100名城の96城目は秋田県で唯一選定されている久保田城。別名は矢留城。アクセスはし易く、電車ではJR秋田駅から徒歩10分ほど。車は、城址目の前に有料の駐車場が有るが、ただ、あまり台数は入らない規模。
登城日は2019年4月30日。2017年10月2日に一度、登城経験があり、今回で2度目。10連休という滅多に無い機会を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の3日目、計8城目だ。前日に鶴岡市内に宿泊していたので、この日午前中は秋田市への移動のみ、3時間ほど掛けて12時頃に到着。車を止めると、すぐに秋田市立佐竹史料館が目に入る。ここにはスタンプが設置されているが、前回の登城時に入館したのでパス、小雨の中、すぐに登城開始。現在、久保田城は千秋公園として整備されている。まま、微妙な階段を登って行く。
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久保田城は1603年に佐竹義宣が築城した。元々、佐竹氏は常陸水戸54万石であったが、関ヶ原の戦いで東軍、西軍どっちとも言えない対応のために徳川家康に睨まれて、20万石の減転封となり、ここ久保田城に入った。階段を登って行くと、復元された表門(正門、一ノ門)に着く。本丸への玄関口で警備上も重要な門であったとのこと。又、周囲には石垣は無く、土で作り上げた城であると実感出来る。
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この門を過ぎると、唯一の現存物である御物頭御番所がある。ここで侵入者を厳重に警戒していた。
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本丸入り口には表門の礎石が展示されている。これは、来場者用にここへ移したものとの説明があった。
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1880年の大火の前には、ここ本丸跡には御殿などの建物があったとされるが、ほぼ全ての建築物が消失してしまった。綺麗に整備されており、雨天でなければ、もっと気持ち良い場所だと思う。
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本丸にある銅像は、佐竹義宣と思いきや、佐竹義堯(よしたか)のそれであった。久保田藩12代目、最後の藩主のお方とのこと。
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数分歩けば、御隅櫓に着く。元々、久保田城には8つの櫓があったとされ、北西隅の一番高い場所にあった櫓を復元したもの。正確には、2階建てであったが、それに最上階に展望階を加えて3階建てにしたとのこと。
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1階にてスタンプをゲットし、佐竹氏の歴史を解説したパネル展示を見ながら、最上階へ。この櫓は物見や武器の貯蔵庫として利用されていたとのことで、流石にその眺望はなかなかだった。
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御隅櫓を後にして、帯曲輪門跡や裏門跡を見る。
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登城地点に戻り、広大な二の丸を雨の中、少し散策し、終了とした。
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久保田城の見所を廻って、要した時間は約30分程度であった。小雨だったので、やや駆け足であったが。もう少し、説明版があっても良かったとは思うが、それなりにあるし、城内は綺麗に整備されている。最初は少々、階段を登るが、以降は平坦になるので楽に登城できるであろう。
この後、急に雨が激しくなって来る。もはや、どうしようもないが、すぐ近くにある秋田城へ、急ぎ向かった。ここからは車で30分程度だ。
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続100名城の84城目は山形県の鶴ヶ岡城。別名は大宝寺城、大梵城。アクセスは電車は、JR鶴岡駅から庄内交通バスで「市役所前」で下車、徒歩で数分。車なら、城址近くの無料駐車場がある。
登城日は2019年4月29日。10連休という滅多に無い機会を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の2日目、計7城目となる。白石城山形城と廻り、この日の最後で3城目。
近隣の無料駐車場に止めて城址へ向かうと、二の丸の西門跡に。広大な水堀がある。
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鶴ヶ岡城の前身は、大宝寺城で鎌倉時代の初期に、この地の地頭であった大泉氏が築いたとされる。現在、ここは鶴岡公園となり整備されている。現存する水堀を見ながら、ゆっくりと歩いて行く。
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城址入口には、大正天皇即位を記念して作られた大寶館(たいほうかん)がある。1915年(大正4年)に完成したまま原型を留めている。現在は、郷土人物の展示がされているとのこと。
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戦国時代に入ると、この地は上杉氏と最上氏の争いに巻き込まれた。1588年に上杉景勝が入るが、関ヶ原後に、西軍についたが故、会津120万石から米沢30万石へと大きく減封、米沢城に入る。代わって、山形城を拠点とする最上義光の所領となり、この時に、大宝寺城から鶴ヶ岡城に改称された。城内にある本丸御殿の玄関跡。
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最上氏の改易後に入った酒井氏は、善政を敷き、領民に慕われたとされる。故に、本丸跡には藩祖であった酒井忠勝を祀る荘内神社が設けられている。明治になった1877年のことだ。尚、この神社の社務所にスタンプが設置されている。
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公園内にあるショウブ園を見ながら、気持ち良く散策。
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鶴ヶ岡城は、最上氏と酒井氏の時代に拡張、整備された。1659年には、本丸の北西隅に二重の櫓が建てられた。1871年に廃城となり、その5年後に城内の建物は全て破却された。今では、本丸御隅櫓跡が残っており、二の丸から眺める。
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近くで見るとこんな感じ。御隅櫓は天守の代用であったとされる。
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また、本丸にはもう2基ほど櫓があった。これが渡櫓跡。この他に、藩校であった致道館(国指定史跡)や三の丸の庭園(国の名勝)が見所ではあるが、既に17時近くとなり、今回は時間がなく、断念。
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鶴ヶ岡城は城内の散策だけなら、30分もあれば可能。残念なことに、遺物、案内板や説明版はほぼ無いので、この地の歴史的背景などが感じることが出来なかった。
この日は、これにて終了、鶴岡駅前のホテルに宿泊し、翌日は朝から秋田へ移動、100名城の久保田城からだ。
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100名城の95城目は山形県で唯一選定されている山形城。別名は霞ヶ城。アクセスはし易く、電車ではJR山形駅から徒歩10分ほど、車は、城址近くに広い無料駐車場が有り、非常に便利だ。
登城日は2019年4月29日。2017年9月29日に一度、登城経験があり、今回で2度目。10連休という滅多に無い機会を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の2日目、計6城目。白石城から昼食を挟んで1時間半ほどで到着、城址は霞城公園となっており、非常に広大。登城スタートは二の丸東大手から。すぐに広大な水堀が見える。
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1356年に羽州探題の斯波兼頼が築城したのが山形城の始まりと言われている。忠実に復元された二の丸東大手門は高麗門、櫓門、続櫓から成る。尚、復元に際して、木材は台湾檜が使用されたとの説明がある。また、ここは非常に分り易い桝形虎口。是非、現地にてご確認頂きたい。
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この城を現在の形にしたのは、1592年に最上義光が大規模に拡張したもの。東大手門櫓は内部に入れることが出来、発掘状況や復原工事などの資料、説明があるので、是非、立ち寄りたい。尚、、スタンプは、隣接する最上義光歴史館、山形市郷土館にあるが、この櫓門内部でもゲット出来るので、良くご確認を。ここからは、広大な二の丸と最上義光像が見える。
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二の丸から本丸へ向かう。途中、路上に石垣の実物や説明版があるのが面白い。本丸へ向かう大手橋と高麗門の一文字門。
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見事な隅石。算木積みで、稜線には「江戸切り」という先端を鋭利する加工が施されているとのこと。現場ではかなりの迫力だった。
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現在残っている二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上家の改易後の1622年、城主となった鳥居忠政が整備したと伝えられている。高麗門を抜けると桝形になっており、右側には一文字櫓門があった。本丸に入るには、この狭い門を通過しなくてはならない。尚、本丸には天守は築かれなかったとのこと。
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本丸内部は、現在、発掘調査中である。本丸御殿と一文字櫓門を復元すべく、調査が進められており、その状況の説明板があった。
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この後、ゆっくりと散策、広大な水堀、二の丸の西不明門を見て、二の丸の南大手門へ。ここの石垣も非常に素晴らしかった。
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再び、本丸に戻る。そうすると、石垣の崩落跡が見て取れる。これは一文字櫓の西側で、発掘調査により明らかになったもの。江戸後期の絵図に「御櫓崩れ」との表記があるとのこと、その歴史的事実を目の前にして、少々感動を覚えた。
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最後に大手橋、一文字門(高麗門)、水堀、石垣、土塀、土塁がよくわかる1枚。非常に綺麗に整備されている。
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山形城の見所を全て廻る場合は、1時間少々は必要と思う。建築物の遺構はないが、石垣や水堀、土塁などが良く残っており、縄張りも分かり易かった。案内板や説明もしっかりあるので、理解を深めながら楽しめる城址だと思う。なお、山形市では、本丸御殿と一門櫓門の復元に際して、古写真や絵などの情報を集めているとのこと、まあ、なかなかそのようなものを持っている人はいないとは思うが、もし、お心当たりあれば、是非と思う。
この後は、この日最後となる続100名城の鶴ヶ岡城に向かった。
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続100名城の83城目は宮城県で唯一、続に選定されている白石城(しろいしじょう)。別名は益岡城、桝岡城。アクセスは電車は、JR白石駅から徒歩で約10分ほど。車なら、城址前の駐車場を利用するのが良い。
登城日は2019年4月29日。10連休という滅多に無い機会を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の2日目、計5城目となる。
城址前駐車場からすぐに、本丸外郭の石垣が見えて来る。ここには2種類の石垣があり、看板付近は石を加工していない野面積み。
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少し先に進むと、石を加工した打込み接ぎが見られる。これは元々、野面積みであったが、石垣が雨等で崩れ、積み直したものとのこと。
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この地は元々、白石氏が支配していたが、1591年の豊臣秀吉の奥羽仕置後、蒲生氏が入り、城を築城した。関ケ原の合戦後に伊達氏の所領となり、仙台城の支城とし、伊達政宗は重臣の片倉氏を城主とした。城内にある歴史探訪ミュージアムには復元された白石城やシアターなどがあり、勉強になるので、是非。
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ミュージアムからすぐに大手一の門を抜けると、復元された大手二の門がある。櫓門で片側のみ石垣に乗せている。
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大手二の門からすぐに見えて来るのが、木造の三重三階の天守。「白石城本丸屋形図」などの資料から、忠実に復元されたもの。天守の周辺には本丸御殿跡が広がり、城址がある。

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白石城は支城であったため、幕府に気を使って、当時は天守では無く、「大櫓」と呼ばれていたそうだ。元和の一国一城令でも支城として残り、明治になって、破却された。そして、1995年に日本古来の建築様式で復元、全国的にも数少ない木造復元で、学術的にも高い評価を得ているとのこと。尚、スタンプはこの天守内で押印。
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最上階からの景色も良かった。美しい緑と山々を見渡すことが出来る。
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天守を後にして、未申櫓跡、裏御門跡を見て、辰巳櫓跡も。
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最後は厩門跡へ。かつては、厳重に防御を固めていた門があったが、明治維新後に延命寺の山門として移築されたとのこと。
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その他、城周辺にある武家屋敷も見もの。代々、白石城に入っていた片倉家の家臣の旧小関家が修復され、内覧可能なので、時間があれば、立ち寄りたいところだ。
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白石城は石垣、シアターから、天守、本丸、武家屋敷などを見ておよそ1時間程度であった。現存物があまり残っていないのは残念ではあるが、石垣や門跡、忠実に復元された木造の天守は当時を偲ぶことが出来るであろう。
この後は、山形県へ移動する。まずは、山形城だ。
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2019年のGWを利用した旅行で、続100名城の米沢城を登城した後に立ち寄った舘山城米沢城からは車で10分程度で到着した。
登城日は2019年4月28日。この旅行22城巡りの初日で計4城目。城址入口にある舘山発電所前ちょっとした駐車スペースに車を止め、登城開始。(発電所から数十m先に砂利の駐車場有り、ここに止めるのが良いと思う。)「私有地に付 立入り大歓迎」で迎えてくれるのが、嬉しい。この空き地のような場所が山麓の「舘山東館跡」。この城は、山城と山麓の館跡から成り、国指定史跡となっている。
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ここは「伊達政宗公生誕の地」という手作りの碑が2つほどある。(もう一つは入り口付近に大きいのがあり。)近年の調査によって、伊達家の本拠地であったのでは?とされることからであろう。米沢城が生誕の地と思うも、この際、どちらでも良く、気持ちよく楽しめそうな雰囲気の場所だ。特に、この時季、桜も綺麗に咲き誇っており、本当に清清しかった。
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館跡には井戸跡や建物跡、出土品は国内外の陶磁器などがあるとのこと。それらを手作りの説明版で学びながら、また、美しい桜を見ながら、山頂への大手口へ。このような感じ、これまた、手作り感満載で、登城用の杖や小屋にはパンフレット類、登城記録な度が置いてあった。この時はパンフが在庫切れ、事前にこちらからダウンロードしておくと良いと思う。
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舘山城の築城は定かでは無い伝承だが、1189年に新田氏が築いたとされる。そして、仙台藩主伊達氏の正史である「伊達治家記録」によると、伊達晴宗が1548年に福島の桑折西山城から、米沢に拠点を移した時の主城であったとされる。登城開始して、10分も掛からずに主郭であったとされる曲輪Ⅰに到着する。道中は綺麗に整備されており、足元も山城の割には良いと言える。ここに残る破城の痕。積み石が残っているのは珍しいとのこと。
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破城されているが、虎口がハッキリと残っている。見えるのは川原石で、石垣の裏に入れられた石で、石垣を壊したことで露出したものであるとのことだ。
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関ヶ原合戦の翌年の1601年、伊達氏は仙台城(青葉城)を築城し移ると、上杉氏が米沢城に入城、その際、舘山城の普請を行ったとの形跡が調査で明らかになったとのこと。江戸初期の技術であった石垣が残っており、これが上杉氏が舘山城に関与した証拠であろうとのこと。
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その後は、あまり歴史に出て来ない。米沢城と同じとされていたからであろうか?城内に残る桝形虎口、綺麗に整備されている。
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曲輪Ⅰから曲輪Ⅱへ。ここには高い土塁が残って行ったおり、鉄砲の防御用であるとされる。
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曲輪Ⅱから曲輪Ⅲの大堀切。状態良く残っていた。
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曲輪Ⅲはあまり大きくは無いが、物見台などが残っているので、現地で見て頂きたい。ここまでが、舘山城の縄張りとされる。ここから、下山する。
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結局、山麓の居館跡から山城の往復で見所のほぼ全てを廻って約50分くらいであった。平成に入っての調査によって、どうやら、伊達氏時代の「米沢城」とは、ここ舘山城のことではないか?などと有力視されている模様。伊達氏と上杉氏と言う当時の有力大名が関係している歴史的な事実、山城の割に登城路が緩やかで整備され楽に登れること、説明版や案内も手作り含めてちゃんとしていること、破城跡や縄張りが明確に分かること、最後に、私有地なのに立入り大歓迎で、桜がとても綺麗であったこと(笑)などを評価して、★★★★★とした。個人的には、米沢城よりも見どころがあり、歴史を感じることが出来る場所と思った。
これにて、19年GW旅行の初日の4城が終了、米沢から宿泊地の福島市へ向かう。翌日は、続100名城の白石城からだ。
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