サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

2019年8月12日に100名城、同年10月14日に続100名城を制覇し、合計200城を達成しました!
今後は、スタンプのみの佐土原城とその他の城を登城します。

3




時間がある時に、地元の名古屋やその周辺の日帰りで行ける城址(100名城、続100名城以外)を廻っているので、徐々に、アップしていきたいと思う。まずは、愛知県西尾市にある西尾城。別名は、鶴城、鶴ヶ城、錦丘城、西条城。電車でのアクセスは、JR西尾駅下車し、徒歩10分、又は、六万石くるりんバス右廻りコースで16分、「歴史公園西」下車して、徒歩3分。車なら城址に無料駐車場有り、まずまずのキャパがあるが、休日は結構な人出なので、少々の待ちはあるのかもしれない。
登城日は2019年5月12日。GW明けの晴天だったので、フラッと登城してみることにした。383号線を走っていると、街中に突如として、このような高石垣が出現する。発掘調査により復元された天守台である。

DSC_7027

西尾城の歴史は意外と古く、1221年の承久の乱での戦功で三河国守護となった足利義氏が西条城として築城したのが、その始まりとされる。この城の最大の特徴は、二の丸に天守が築かれていたこと。1585年築、三重四階であったとのこと。
DSC_7003
戦国時代には、酒井正親、田中吉政など城主が入れ代わり、城も拡大した。天守台の石垣には、発掘調査時に出て来た出土石が再利用されている。
DSC_7005
関ヶ原後に本多康俊が西尾2万石藩主として入城、その後は、多くの譜代大名が入る。中でも、1638年、太田資宗は城の大改修を計画し、堀と土塁が城下町を囲む総構えの体裁を整えた。最終的には、その後の井伊直之が引き継ぎ、1657年に完成した。二の丸の表門とされる鍮石門(ちゅうじゃくもん)が復元されている。当時は、真鍮の装飾があったのではないか、とされる。
DSC_7011
完成時にあったとされる姫の丸の辰巳櫓跡が残る。本丸奥から道路を挟んだ先にあった。
DSC_7014
城址は現在では、西尾市歴史公園として整備されているが、水堀はしっかりとある。ここ姫の丸には、西尾市資料館があり、城の歴史を学ぶことが出来るので、是非。
DSC_7015
最盛期には、本丸に3重櫓と3棟の2重櫓、二の丸には1棟の2重櫓、南東隅に天守が建てられ、北の丸、東の丸、三の丸にそれぞれ2棟の2重櫓が建てられていたから、かなりの規模であったのであろう。この城址最大の見所なのが、本丸にある3重の丑寅櫓(復元)。本天守に次ぐ高さを誇る。内部に入ることが出来る。
DSC_7019
1764年に大給松平氏(おぎゅうまつだいらし)が入城、廃藩となるまで5代続くが、明治維新を迎えると城は天守閣を始め、ほとんどが取り壊された。その他の見所としては、旧近衛邸。江戸末期の建築物だ。
DSC_7026
西尾城は広くはないので、見所を全て廻って45分程度と思う。各所での説明版が充実しているので、理解しやすいであろう。又、2020年の夏の完成ではあるが、二の丸の丑寅櫓、50mに及び屏風折れの土塀の復元が進められており、当時の遺物は無いものの、今後が楽しみな城址である。
DSC_7007

お城巡りランキング

にほんブログ村

4




100名城のいよいよオーラス、最後の100城目は北海道の根室半島チャシ跡群。電車でアクセスする場合は、JR根室本線の根室駅から、根室交通バス納沙布線で「納沙布岬」で下車して徒歩約20分。(ヲンネモトチャシ跡)車なら城址入口に無料駐車場が有る。(ヲンネモトチャシ跡、ノツカマフチャシ跡)
登城日は2019年8月12日。夏のお盆休みを利用しての100名城3城、続100名城2城の計5城を巡る旅の4日目、最後の5城目だ。前日の8月11日に函館から中標津へ入り、同地に宿泊。朝、車で出発し、11時前に最終地の根室駅に到着した。駅前ロータリーの無料駐車場に止めて、勿論、すぐに、駅の隣にある「根室市観光インフォメーションセンター」へ直行する。その受付にて、最後のスタンプをゲット。その時の様子は、こちらから。
DSC_7399
100名城達成の感動の余韻を残しながら、チャシ跡群へ向かう。北海道内で、チャシ跡は500ヶ所ほど確認されており、根室市内には32ヶ所のチャシ跡が残る。そのうちの24ヶ所が、所謂、「根室半島チャシ跡群」として、国指定史跡に指定され、100名城となっている。ただ、現在、見学先として整備されているのは、「ノツカマフ1号・2号チャシ跡」と「ヲンネモトチャシ跡」の2ヶ所のみ。尚、パンフレットや道案内などは、「根室市観光インフォメーションセンター」に置いてあるので、まずはセンターを訪問してから向かうのが良いであろう。又、納沙布岬に立ち寄る予定の場合は、「根室駅→ノツカマフ1・2号チャシ跡→ヲンネモトチャシ跡→納沙布岬」の順で行くのが効率的で良いであろう。で、まずは、ノツカマフチャシ1・2号跡へ。根室駅からは車で30分も掛からなかったと思う。あまり目立たない看板なので、通り過ぎないようにしたい。
DSC_7406
そもそも、「チャシ」とはアイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされ、それらは16世紀~18世紀頃に築城された。登城入り口に5台くらいは止めれる駐車場が有るので、そこから登城開始する。このような一歩道を海岸向かって歩いて行く。
DSC_7408
ノツカマフ1号チャシ跡は半円形の土豪が2連結しているとのこと、現地でイマイチ良く分からなかったというのが正直なところであるのは、この季節、背丈くらいに元気に育った草がぼうぼうだからか。
DSC_7417
かと言って、冬は強烈に寒そうなので、とても訪問する気もせず、しょうがないかな。この日は真夏なのに、気温17℃で強風。体感は12℃くらいと思う。この時節でも道東では長袖は必需品だ。ノツカマフ2号チャシ跡もすぐ近くにある。何となく、半円状か?
DSC_7426
ノツカマフ1・2号チャシ跡見学後、ヲンネモトチャシ跡へ。多分、10分程度であったと思う。大きな通りから、ちょっと左に入ったところにあり、無料駐車場もあり。案内板によると、何と、令和元年6月15日にクマの出没が確認されたとのこと、今まで、「熊出没注意」とか、「熊出没中」とかは経験したが、具体的日付まで明らかなのは、やはり、凍る。鈴をズボンとリュックに1個づつ装着し、出陣する。ちなみに、日本には2種類のクマがおり、北海道に生息しているのが、「ヒグマ」であり、本州以南が、「ツキノワグマ」とのことだ。
DSC_7429
ただ、あまり、ヒグマが出没するような雰囲気のところではないと思う。だが、クマとは森の中で遭遇するってのは、童話のせい(森のくまさん)で、実際に、今年は札幌市内の住宅街に出没して、大きなニュースになっていたくらい(最終的には駆除された。)だし、どうも、クマの行動範囲はかなり広いとのことなので、注意は必要と思う。入り口からはすぐにチャシ跡に到着。海岸に面した断崖に築かれているのが良く分かる。
DSC_7438
この先は、断崖で落ちれば、海へ真っ逆さまだ。足を滑らせないように注意。
DSC_7440
断崖に盛り土をして、濠で区画して盛り土の頂上に平坦な面を2箇所作り出しているとのこと。頂上にいるよりは、横から見た方がそれを確認することが出来る。
DSC_7443
さらに遠くからは、このように、断崖に築かれているのが確認出来る。
DSC_7447
こうして、「ノツカマフ1・2号チャシ跡→ヲンネモトチャシ跡」の見所を廻って、1時間程度であった。草木が無い冬場の方が、その状態が良く分かると思う。このチャシが作られたのは、アイヌ民族が和人に対抗するためであったこともあり、この地の悲しい歴史の勉強になるであろうと思う。
これで、何とか、100名城の登城が終了した。達成の喜びはあったが、何か気が抜けたような気分にもなった。まだ、スタンプのみである「小谷城」が残っているので、真の喜びは完全な登城をしてから実感出来るであろうと思う。
この後は、周辺の観光地を訪問。折角、ここまで来たので、まずは納沙布岬へ。日本で最も早く日が出づる場所且つ、本土最東端であり、北方領土が見える場所だ。晴れの日には北方領土が見えるとのことであるが、曇りで残念。昼食を摂り、納沙布岬灯台や北方館などを見て、滞在1時間少々で次の観光地へ向かった。 
DSC_7454
納沙布岬から、車で1時間弱の場所にある国の天然記念物である「根室車石」へ。日本各地にある放射状の柱状節理であるが、その奇観さは世界でも類を見ないとのこと。カモメが飛びまくり、天気が良くなかったので、浪打が激しかったが、この場にいる爽快さは最高に気持ち良かった。
この日はこれで終了、根室市内の旅館でマッタリと疲れを癒した。翌日は、北海道の夏の清涼さが名残惜しくも帰路に着く。
DSC_7471
翌日は、前日と違って打って変わった晴天。納沙布岬に、再び、行こうかとも思ったが、中標津空港まで行かねばならないので、近場を観光することに。
まずは、日本最東端の駅として、鉄道ファンに人気の「東根室駅」。完全な無人駅で、駅前の僅かなスペースに駐車でき、無料でホームに入れる。尚、「根室市観光インフォメーションセンター」で、到達の証明書が貰えるし、根室駅では、記念の入場券が販売されているので、ご参考までに。
DSC_7491
その後、「北海道立北方四島交流センター」へ。日本とロシアの交流の場であるが、北方領土の正当性、返還の主張はちゃんとしてあるのは安心した。
DSC_7502
これが、100名城最後のスタンプ。綺麗に押印出来て良かったと思う。(押印時は、少々、緊張し、手が震えたが。)
これで、200名城で残るは、続100名城の2城、離島で難関の福江城と金田城。2019年10月に両方とも登城すべく計画した。台風の多い地域なので、何とか晴天に恵まれた登城をしたいと祈っている。
DSC_7511

お城巡りランキング

にほんブログ村

4




続100名城の98城目は北海道の上ノ国勝山館(かみのくにかつやまだて)。別名は脇館(わきだて)、和喜館(わきだて)。電車でのアクセスは、かなり大変。道南いさりび鉄道の「木古内駅」から、函館バスで約70分「大留」下車で徒歩3分 、乗り換えて、「上ノ国駅前」から「上ノ国」で下車し、徒歩数分とのこと。車では、登城口にある勝山館跡ガイダンス施設の無料駐車場に止めれば、楽チンだ。
登城日は2019年8月10日。夏のお盆休みを利用しての100名城3城、続100名城2城の計5城を巡る旅の2日目。この日はロングドライブとなり、朝に函館を出発し、100㎞ほど走り、松前城を登城、そこから、国道228号線を50㎞ほど走って到着。途中、昼食を摂ったこともあり、15時くらいであった。余ほど、時間が無い限りは、勝山館跡ガイダンス施設に寄ることになると思うが、開館時間は16時まで、又、冬季は閉館があるので、訪問前には要注意。ガイダンス施設でスタンプを押印し、模型や映像、再現された墓などを見学し、登城開始。ルートは2つのコースがある。山麓、つまり、大手口からのコース(A)とガイダンス施設のある搦手側からのコース(B)。今回はBコース、高台から見晴らしの良い景観が楽しめるはずであるが、どんより曇り空、今にも雨が降り出しそうな。。。。この周辺には、アイヌの墓があり、和人とアイヌが共存していた証拠であるとのこと。
DSC_7345
勝山館は、1470年頃に武田(蠣崎)信廣が築城したとされる。16世紀末頃まで、武田氏の日本海側での政治、軍事、交易の一大拠点であった。(ちなみに、武田信廣は後の松前氏の祖。)長期間に渡る発掘調査の結果、様々な発掘物や遺構などが発見された。登城後すぐに迎えてくれるのが、土葬墓跡やごみ置き場跡など。大手側には居館跡などがあるから、搦手側はこのようなものがあるのか。この小さな穴に、体を折り曲げて棺に入っていたとのこと。
DSC_7350
ここが搦手の守りで、深い空堀に高い土塁を設けて、その上に柵で防御している。橋を渡った入口が搦手門である。
DSC_7354
搦手門を過ぎると、館神八幡宮跡がある。1473年に武田信廣が作ったとされ、故に、勝山館もその頃に築城されたと考えられているそうだ。眺望はここからが最高。晴天であれば、と思わざるを得ない。
DSC_7366
1514年に、武田信廣の子である蠣崎(かきざき)光広が松前に本拠を移すと、それ以降は、副城を意味する「脇館」とか、「和喜館」と称されたとのこと。中央のこの大きな通りの左右に掘立建物跡が並び、その途中には櫓門跡が残る。遠方までを見渡せるベストの場所。両脇には、雨水などを流す溝が作られている。
DSC_7369
最終的に、勝山館は1596年~1615年頃に廃城なるまでこの地の中心地として栄えていたとのこと。実際に、客人をもてなす客殿跡は立派で、城主が使用していたとされる。隣に、城主の居住跡や馬屋、鍛冶場跡なども発掘されている。
DSC_7376
客殿からすぐのところに大手門があり、その外に出てみる。高い土塁と柵で厳重に守られているのが分かる。
DSC_7380
さらに、大手側にあるのが、二重になっている堀。大手からの侵入は、この2重掘と高い土塁、柵と大手門、その目の前にある櫓門の防御やそれらからの攻撃を突破しなくてはならない。現地で見れば、かなり大変であることがとても良く分かった。
DSC_7382
更にそこから先に進むと、大手道の入口に到着する。まま、急な坂道、大手口から登城する(Aコース)場合は、写真左側の手摺りのある坂道を行くこととなる。
DSC_7396
一応、ここで折り返し、ガイダンス施設へ戻る。当然、緩やかな坂道となるので、少々、疲れるとは思う。急いで廻れば、大体往復で45分くらい。ちょっと休憩してから、すぐ隣にある夷王山(いおうざん)に登ることにした。頂上は山麓から見える標高159m。「あの山頂からは景色が綺麗であろうな~。」と思い、約10分で到着。当然、曇りなので、眺望は良くは無なかったが、いかんせん、かなりの強風で、飛ばされそうになるくらい、残念ながら、早々に下山。
DSC_7391
また、大手の登城口には、国の重要文化財があるので、時間があれば、是非。ガイダンス施設から車で数分程度で、駐車場もある。これは、旧笹浪家住宅とのことで、ニシン漁の住居兼仕事場であったとのこと。目の前が海で、冬の寒さがかなり厳しいこと想像に容易いが、良く保存されていると感心。

DSC_7394

上ノ国勝山館は、ガイダンス施設、城址の見所を往復して、1時間少々~1時間30分と思う。場所的にも、冬の登城はかなり厳しいと思うので、夏頃に訪問するのが良いのでは。道中は綺麗で、説明版も充実しているし、縄張りと復元物も分かり易いので、中世の城館跡ということではとても理解しやすいお勧めの場所だ。
これで、この日は終了。ここから函館に戻る。翌日は、いよいよ、100名城のオーラス、最難関と言われる「根室半島チャシ跡群」。函館空港から新千歳空港を経由し、中標津空港へ向かう。丸一日、移動のみだ。(前日の思いはこちらから。)
DSC_7507

お城巡りランキング

にほんブログ村

5




TV東京で放映されている【緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦】と言う番組がある。全国各地の汚染された池などの水を抜き、害のある生物を捕獲したり、日本古来の生物を保護したり、水中に埋まっていたお宝を探したりなど、ナレーションが少々、ウザったいが、テレ東らしいなかなか、変わった企画の番組だ。私が住んでいる地域では、昨日の9月22日に放映があったので興味深く、見てみた。今回は、小田原城高知城萩城丸亀城の4城に続いての5城目の上田城。水を抜いた後には、もはや、必ずと言っても良いほど、当時の瓦類が発見されるのであるが、今回も同じく発見され、それが、天守の瓦では無いか、とのこと。歴史的には、上田城に天守は作られなかったとのことなので、もし、そうなのであれば、それは大発見に近いものではある。ただ、上田城には、7つの2重櫓が作られ、うち、現存する櫓が3つ。残りの4つの2重櫓のものでは?とも思ってしまう。いずれしても、今後の何らかの調査を見守りたいところではある。
尚、上記した5城のうち、実際に、水堀の水を抜いた後を見たのは、丸亀城のみであるが、なかなかその姿は面白いので、番組公開後に訪問する機会があれば、是非、と思う。


お城巡りランキング

にほんブログ村

4




100名城のラス前となる99城目は北海道の松前城。別名は福山城。電車でアクセスする場合は、結構、大変。JR江差線の「木古内駅」から、函館バスの「松前行き」で約90分程度、「松城」下車、徒歩約10分。車なら城址近くに無料駐車場が有るので、便利だ。
登城日は2019年8月10日。夏のお盆休みを利用しての100名城3城、続100名城2城の計5城を巡る旅の2日目。宿泊地の函館から、約100㎞で2時間弱で到着したと思う。大手門跡のあたりの駐車場から徒歩1分弱で登城口(天守閣方入口)に着いた。
DSC_7291
1606年に松前家の初代藩主であった松前慶広がこの地に築城した。その後、1849年、松前崇広が外国船の出没に備えて津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、5年がかりの1854年に松前城は完成した。有料の松前城天守閣内部は、松前城資料館となっており、その中にスタンプがある。最上階からの眺めはまずまず。
DSC_7293
江戸の末期の築城時に三重三階の天守があったため、日本で最後に築城された日本式城郭とのことで名高い。残念ながら、1949年に松前町役場から出火した飛び火により焼失してしまった。大東亜戦争を乗り越えて残っていただけに、至極、残念。現在の天守は1961年に再建された復興天守だ。城内の残る遺物は国の重要文化財でもある本丸御門(櫓門)。近くで見ると、その重厚さに圧倒される。
DSC_7301
松前城は、復興天守と本丸御門が最大の見所であることは間違いないが、他にも多くの見るべき箇所がある。有料のエリアから外に出れば、二の丸には、二重太鼓櫓の跡がり、そこからの海の眺めはかなり美しかった。そして、二の丸搦手門を出ると台場がある三の丸に着く。
DSC_7308
ここに、縮小版の展示があり、縄張りが良く分かるので、是非。
DSC_7310
三の丸から二の丸と天守方面はやや上り坂になっている。
DSC_7311
外堀は二の丸(写真右)と三の丸(写真左)の間にあり、三の丸には7基の砲台があった。
DSC_7315
馬坂方面まで散策し、再び、本丸方面へ戻る。途中、隅櫓跡などを見て、天守裏側方面へ。見逃せないのが、この本丸の内堀だ。
DSC_7321
松前城の散策を終え、ここから、徒歩でも車でも行ける2つの観光場所に寄った。一つ目が、松前藩屋敷。当時の街並みが再現されており、奉行所など14棟があるテーマパークだ。大好きな人形は、今回は床屋だ。
DSC_7327
また、ここから徒歩数分で、ひっそりとした場所に松前家の墓所がある。歴代の松前氏がここで眠っている。
DSC_7338
松前城は城内の全ての見所、松前藩屋敷、墓所などをセットで廻るなら、1時間半程度と思う。アクセスは大変であるが、簡単に日本最後の旧式城郭、その歴史を楽しめるなかなかの観光地と思う。城内の説明版もちゃんとあるし、登城路は綺麗に整備されているのも嬉しかった。
この後は、一路、松前市から北上し、続100名城の北海道の最後である上ノ国勝山館へ向かう。
DSC_7509

お城巡りランキング

にほんブログ村

このページのトップヘ