2019年のお盆休みを利用して、北海道の100名城&続100名城を巡る中、函館の五稜郭の近くにある四稜郭に寄ってみた。五稜郭からは車で10分程度であったと思う。広い無料の駐車場が有り、そこからすぐに登城できるので、楽チンだ。徒歩では、函館駅からのバスで、「四稜郭停留所」からすぐらしいが、便数が無かったり、やや不便とのことだ。国指定史跡だけあり、綺麗に整備されていたのが印象的。
戊辰戦争末期の1868年、五稜郭を占拠した榎本武揚らの旧幕府脱走軍は、新政府軍の攻撃に備えて各地に防御陣地を築いた。1869年に、五稜郭の鎮守である北海道東照宮を守るために、五稜郭の北方約3kmにある緩斜面台地に築かれたのが、この四稜郭である。城址碑からすぐのところに、城内唯一の虎口があり、そこから入城。城内が全く見えないほど、周囲の土塁が高い。
地元の言い伝えでは、旧幕府脱走軍は、士卒役200名と付近の住民約100名を動員、昼夜敢行で僅か数日のうちに完成させたと言われている。それは、蝶が羽を広げたような形の堡塁で、東西約100m、南北約70mとのことだ。16時半過ぎであった為か、人が全くいなかったので、のびのびと整備された城内をゆっくりと歩いた。
1869年の5月に、新政府軍が箱館総攻撃を開始、旧幕府脱走軍は四稜郭の防御に努めるも、新政府軍に福山藩兵も加わり、さらには、長州藩兵が四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領されたため、退路を断たれることを恐れて退却した。そして、すぐに旧幕府脱走軍の榎本武揚らが降伏、箱館戦争は終結した。ここの土塁は幅5.4m、高さ約3mもあり、その周囲は幅2.7m、深さ0.9mの空濠が掘られている。
四稜郭は広くは無いので、10分程度もあれば、全体を見ることが出来るであろう。コンパクトでその構造がわかり易いのが良い。五稜郭訪問後に、是非、訪れたい場所だ。
この日はこれで終了、翌日は、函館から松前方面は向かう。100名城の松前城と、続100名城の上ノ国勝山館だ。
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