続100名城の79城目は兵庫県の洲本城。別名は三熊城。アクセスは、電車の場合は、JR三ノ宮駅から淡路島行き高速バスで1.5時間、「洲本高速バスセンター」で下車し、約40分の徒歩。車は楽チンで、城址に無料駐車場が有る。
登城日は2019年4月14日。3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅の最終日、生憎の雨の中、高知城岡豊城と廻り、帰路途中での登城だ。その前に、洲本市立淡路文化資料館に寄り、スタンプをゲット。その後、車で大手門跡を過ぎ、馬屋(月見台)にある駐車場に止めた。この日は雨であったが、晴れている日はここからかなりの絶景が楽しめるのではないかと思う。
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別名の通り、ここは三熊山で最初に築城したのは、淡路水軍の安宅(あたぎ)治興で、1526年とされる。登城路は普通に綺麗に整備されており、緩やかな道を行く。右手に見えた石垣はなかなかのモノ。
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織田信長の淡路攻めで降伏した後は、仙石氏、脇坂氏が入った。このような総石垣に改修したのが脇坂氏とされる。本丸への大石段は大迫力でここの見所の一つだ。
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江戸になると、姫路城主の池田輝政の三男である忠雄が領主となった時に洲本城は廃城となり、由良城に居城する。城内に残る武者走台。
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1615年、淡路国は蜂須賀家家老の稲田氏が由良城代となるが、1631年から1635年にかけて由良城を廃し、洲本城に再び本拠を移した。この移転は「由良引け」と呼ばれ、4年掛かりの大移転でだった。結局、由良城は廃城となり、ここ洲本城が淡路政庁と定められ、明治維新まで稲田氏が城代を務めた。本丸からは模擬天守が見える。
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最終的に、明治維新で洲本城は廃された。長らく使用されることはなかったが、1928年に鉄筋コンクリート製の模擬天守が建造された。これは、模擬天守としては日本最古のものだとのこと。
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晴れていれば嘸かし素晴らしいと思われる眺望は天守台から。
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絶景を堪能して、城を後にすることにした。本来であれば、東西の登り石垣を見るべきであったが、降雨で止むを得なく。天守台の南西にある算木積みの石垣は是非とも、お見逃し無く。
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かつては、大手口であったと推定されている搦手口までを見て、登城完了とした。

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降雨と時間の都合で、駆け足での登城だったので、30分ほどで終了。他の見所も廻るとなると恐らく1時間ほどは必要であると思う。案内は随所にあったが、説明版はもう少し増やしてもらえれば良いと思う。
これで、3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅が終了、ようやく、四国の100名城&続100名城を全制覇となった。
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