2019年のGWを利用した旅行で、続100名城の米沢城を登城した後に立ち寄った舘山城米沢城からは車で10分程度で到着した。
登城日は2019年4月28日。この旅行22城巡りの初日で計4城目。城址入口にある舘山発電所前ちょっとした駐車スペースに車を止め、登城開始。(発電所から数十m先に砂利の駐車場有り、ここに止めるのが良いと思う。)「私有地に付 立入り大歓迎」で迎えてくれるのが、嬉しい。この空き地のような場所が山麓の「舘山東館跡」。この城は、山城と山麓の館跡から成り、国指定史跡となっている。
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ここは「伊達政宗公生誕の地」という手作りの碑が2つほどある。(もう一つは入り口付近に大きいのがあり。)近年の調査によって、伊達家の本拠地であったのでは?とされることからであろう。米沢城が生誕の地と思うも、この際、どちらでも良く、気持ちよく楽しめそうな雰囲気の場所だ。特に、この時季、桜も綺麗に咲き誇っており、本当に清清しかった。
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館跡には井戸跡や建物跡、出土品は国内外の陶磁器などがあるとのこと。それらを手作りの説明版で学びながら、また、美しい桜を見ながら、山頂への大手口へ。このような感じ、これまた、手作り感満載で、登城用の杖や小屋にはパンフレット類、登城記録な度が置いてあった。この時はパンフが在庫切れ、事前にこちらからダウンロードしておくと良いと思う。
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舘山城の築城は定かでは無い伝承だが、1189年に新田氏が築いたとされる。そして、仙台藩主伊達氏の正史である「伊達治家記録」によると、伊達晴宗が1548年に福島の桑折西山城から、米沢に拠点を移した時の主城であったとされる。登城開始して、10分も掛からずに主郭であったとされる曲輪Ⅰに到着する。道中は綺麗に整備されており、足元も山城の割には良いと言える。ここに残る破城の痕。積み石が残っているのは珍しいとのこと。
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破城されているが、虎口がハッキリと残っている。見えるのは川原石で、石垣の裏に入れられた石で、石垣を壊したことで露出したものであるとのことだ。
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関ヶ原合戦の翌年の1601年、伊達氏は仙台城(青葉城)を築城し移ると、上杉氏が米沢城に入城、その際、舘山城の普請を行ったとの形跡が調査で明らかになったとのこと。江戸初期の技術であった石垣が残っており、これが上杉氏が舘山城に関与した証拠であろうとのこと。
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その後は、あまり歴史に出て来ない。米沢城と同じとされていたからであろうか?城内に残る桝形虎口、綺麗に整備されている。
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曲輪Ⅰから曲輪Ⅱへ。ここには高い土塁が残って行ったおり、鉄砲の防御用であるとされる。
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曲輪Ⅱから曲輪Ⅲの大堀切。状態良く残っていた。
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曲輪Ⅲはあまり大きくは無いが、物見台などが残っているので、現地で見て頂きたい。ここまでが、舘山城の縄張りとされる。ここから、下山する。
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結局、山麓の居館跡から山城の往復で見所のほぼ全てを廻って約50分くらいであった。平成に入っての調査によって、どうやら、伊達氏時代の「米沢城」とは、ここ舘山城のことではないか?などと有力視されている模様。伊達氏と上杉氏と言う当時の有力大名が関係している歴史的な事実、山城の割に登城路が緩やかで整備され楽に登れること、説明版や案内も手作り含めてちゃんとしていること、破城跡や縄張りが明確に分かること、最後に、私有地なのに立入り大歓迎で、桜がとても綺麗であったこと(笑)などを評価して、★★★★★とした。個人的には、米沢城よりも見どころがあり、歴史を感じることが出来る場所と思った。
これにて、19年GW旅行の初日の4城が終了、米沢から宿泊地の福島市へ向かう。翌日は、続100名城の白石城からだ。
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