続100名城の89城目は千葉県の本佐倉城(もとさくらじょう)。別名は将門山城。電車でのアクセスは、京成線の京成大佐倉駅から徒歩10分、京成酒々井駅からは徒歩20分、JR酒々井駅から行くなら、徒歩25分くらい。車の場合は、城址前(城山)に無料の駐車場がある。
登城日は2019年5月3日。GW10連休を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の6日目、計17城目。午前中に茨城県つくば市の小田城を訪問した後、スタンプのある京成大佐倉駅に到着したのは14時くらいだった。スタンプは、酒々井町中央公民館にもあるが、この日は祝日で休館日、大佐倉駅の改札出たところにあるスタンプ台で押印した。大佐倉駅前には、駐車スペースは無いが、ちょっとだけ、駅前に「停車」して、スタンプを押すことは可能と思う。(ただ、目の前は民家なので、速やかに立ち去るべき。)ここからは徒歩10分程度と言うことなので、駅にある有料の駐車場(4台くらい可能?)に止めて、歩いて向かうことにした。途中、田んぼの中をゆっくりと歩き、10分程度で登城口に到着。地元のボランティアと思われる方々が、結構、いたのが印象的だった。
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本佐倉城は、下総国の守護であった千葉輔胤(すねたね)が1469年~1486年の間に築城したとされる。登城口からは、城山と模擬の矢立が見えて来る。
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関東有数の大名となった千葉氏は9代に渡り、ここを本拠地とした。城下町も整備し、下総国の中心として繁栄した。登城して行くと、右側に小高くなった場所があり、ビューポイントと紹介。ここからは一面の田んぼと線路、筑波山などが望める。風を感じてなかなか気持ち良い場所。
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東山虎口などを見て戻り、城山方面へ向かう。その途中にある城山と奥ノ山を隔てる大堀切。かなりの迫力。
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千葉氏の栄華は、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めにより、終焉を迎える。この時に、小田原北条氏の配下であった千葉氏も北条氏同様に滅亡、本佐倉城は、徳川家康の支配となった。高低差7mある城山通路を抜けると、虎口跡に到着する。
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徳川時代には、小笠原氏や土井利勝が居住し、佐倉藩の藩庁が置かれたが、1615年、藩庁が佐倉城に移され、また、一国一城令により、廃城となった。城山はこの城のいわば、主郭にあたるとされる。発掘調査では、主殿と思われる大型の掘立柱建物跡、櫓跡、門跡、塀跡、土塁跡、庭園跡などが見つかっている。
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城山を後にして、奥ノ山へ。別名、妙見宮郭と言われ、基壇の跡も発見されている。
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そして、倉跡へ。広大な郭で、大型の掘立柱建物(倉庫)が広範囲に存在し、また、陶磁器や鍛冶道具なども見つかっていることから、倉庫だけではなく、居住空間もあったものと考えられている。
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残る郭は2箇所。まずは、東光寺ビョウ。城の北側にあり、2つの物見台がある広大な郭だ。クマはいないが、イノシシはいる模様。
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ビョウの先にあるのが、セッテイ山という郭。人質郭、又は接待郭と推定されているらしい。ここの空堀は凄く、城内で最大で最大高低差16m、最大幅は7mとのこと。如何にもイノシシが出没しそうな雰囲気のところであるが、是非、現地にて見てもらいたいと思う。なお、ビョウとかセッテイとか意味不明な単語であるが、どうやら、江戸時代の古地図にそのように表記されているからだそうだ。
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本佐倉城の散策は約45分ほどであった。非常に広大な平山城で、各郭、縄張りが非常に分り易く構成されている。城内は綺麗に整備され、案内や説明もしっかりあるので、山城好きなら、楽しめる城址と思う。地元のボランティアと思われる方の案内もやっているので、是非と思う。
これにて、この日は終了。実家に帰って、翌日は同じ千葉の続100名城の大多喜城を登城する。
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