続100名城の39城目は福岡県の久留米城。別名は笹原城、篠山城、篠原城。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の城巡り旅行、2日目のスタート。アクセスは電車なら、JR&西鉄の久留米駅から西鉄バスで、「大学病院」下車、徒歩3分。車であれば、城址に駐車場有り、すぐに登城出来る。
登城日は2018年11月24日。蜜柑丸跡の駐車場に止め登城、すぐに現存する高石垣がお目見え、かなり迫力ある。
1504年頃、この地の勢力が笹原城として築いたのがその前身とされ、1587年、豊臣秀吉の九州平定で毛利氏が入り、本格的な近世城郭に修繕した。だが、毛利氏は関ヶ原の戦いで西軍についたため、その後、田中氏が入ることになる。しかし、2代で断絶してしまい、1621年に有馬豊氏が城主となり、久留米城は幕末まで治世の中心となった。70年くらい掛けて完成したと言う。残念ながら、現存している建築物は無いが、当時は7つの櫓があったとされる。その跡は案内図にあるので、ご参考にされるのが良いと思う。
特に、巽櫓は壮大な威容を誇っていたと言う。今となっては簡素なベンチしかないが。。。。
本丸は、現在、有馬氏ら歴代の城主を祀った篠山神社となっている。ここの社務所にスタンプがある。また、有馬氏のゆかりの資料が展示されている有馬記念館も傍にあるので、是非。有馬氏の歴史のビデオが3編あり、勉強になるのも良い。何と言っても、15代当主の有馬頼寧氏が、かの年末の風物詩「有馬記念」の創設者であることが最も印象に残ってしまった。(有馬記念のビデオは、あの歴史的圧勝したディープインパクトだ。)
久留米城は筑後川中流の丘陵に築かれた平城で、乾櫓跡からは筑後川が見える。高地ではないが、まずまずの眺望だった。
櫓跡の他に、門跡や井戸跡などがあるがあるが、この城の見所は高石垣に尽きる。
久留米城は、さほど広くもないし、見る場期箇所も多くは無い。有馬記念館でじっくり鑑賞しても45分もあれば十分ではないかと。今となっては櫓が無いのは、歴史的宿命であったので、致し方ないと思うが、再建櫓もないのはちょっと寂しいと感じた。
この後は、100名城の吉野ケ里へ向かう。約10年ぶりの登城だ。
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登城日は2018年11月24日。蜜柑丸跡の駐車場に止め登城、すぐに現存する高石垣がお目見え、かなり迫力ある。
1504年頃、この地の勢力が笹原城として築いたのがその前身とされ、1587年、豊臣秀吉の九州平定で毛利氏が入り、本格的な近世城郭に修繕した。だが、毛利氏は関ヶ原の戦いで西軍についたため、その後、田中氏が入ることになる。しかし、2代で断絶してしまい、1621年に有馬豊氏が城主となり、久留米城は幕末まで治世の中心となった。70年くらい掛けて完成したと言う。残念ながら、現存している建築物は無いが、当時は7つの櫓があったとされる。その跡は案内図にあるので、ご参考にされるのが良いと思う。
特に、巽櫓は壮大な威容を誇っていたと言う。今となっては簡素なベンチしかないが。。。。
本丸は、現在、有馬氏ら歴代の城主を祀った篠山神社となっている。ここの社務所にスタンプがある。また、有馬氏のゆかりの資料が展示されている有馬記念館も傍にあるので、是非。有馬氏の歴史のビデオが3編あり、勉強になるのも良い。何と言っても、15代当主の有馬頼寧氏が、かの年末の風物詩「有馬記念」の創設者であることが最も印象に残ってしまった。(有馬記念のビデオは、あの歴史的圧勝したディープインパクトだ。)
久留米城は筑後川中流の丘陵に築かれた平城で、乾櫓跡からは筑後川が見える。高地ではないが、まずまずの眺望だった。
櫓跡の他に、門跡や井戸跡などがあるがあるが、この城の見所は高石垣に尽きる。
久留米城は、さほど広くもないし、見る場期箇所も多くは無い。有馬記念館でじっくり鑑賞しても45分もあれば十分ではないかと。今となっては櫓が無いのは、歴史的宿命であったので、致し方ないと思うが、再建櫓もないのはちょっと寂しいと感じた。
この後は、100名城の吉野ケ里へ向かう。約10年ぶりの登城だ。
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