サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

2019年05月

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続100名城の77城目は徳島県の勝瑞城(しょうずいじょう)。別名は阿波屋形、下屋形、勝瑞屋形。アクセスは電車はJR勝瑞駅から徒歩10分。車は、勝瑞城館跡の中に無料の広い駐車場有り。
登城日は2019年4月13日。3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅の2日日の3城目。徳島城一宮城と訪問後、途中、徳島ラーメンの昼食を挟んで車で1時間半ほどで到着。まずは、城址近くにある武田石油さんで満タン給油に、スタンプをゲット。館跡の駐車場から登城開始。ここは、勝瑞館跡勝瑞城跡の2箇所に分かれている点に注意が必要、まずは館跡から。
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第一印象は、街中にあるだだっ広い空き地みたいで、ここに大きなスーパーでも作るのではないか?とも思わせる。現地では親切な説明版や、こういったアニメものもあり、頑張っている点に感心。
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勝瑞館の建設時期は定かでは無い。ここには室町時代に阿波守護の細川氏の守護所が置かれていたとされ、戦国時代に阿波を支配した三好氏の居館跡と推定されている。発掘調査により、当時の建物の礎石跡と水堀の跡が確認されている。
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これは城内の区画の溝跡。この時点ではまだ発掘調査中であることもあるのか、城内の説明版にはその様子が記載されている。

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枯山水庭園という庭園跡も発掘されている。庭園のすぐそばには建物跡も確認されており、この庭園を眺めるためのものであったのではないかと考えられている。
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館跡としては、結構、広大な敷地。だが、あまり、復元物がないので、今後に期待と言ったところ。
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大きな通りを渡った方に、勝瑞城跡があるが、現在は見性寺(けんしょうじ)の境内になっている。城は土佐の長曾我部氏の侵攻に備えるために築城されたとされる。1582年に長曾我部氏により落城、1585年に豊臣秀吉の配下の蜂須賀氏が入ると、一宮城と同様に衰退して行く。境内には、三好氏の盛衰を記した勝瑞義家の碑がある。
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城内で僅かに現存している土塁。当時はこの周囲が大規模な土塁で囲われていたとのこと。
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勝瑞城は正直なところ、15分程度もあれば、十分かと思うが、発掘場所には丁寧な説明版もあるので、それをじっくりと読むのが良いと思う。まだ、発掘継続中なので、今後の結果に期待したいと思う。
これで、この日は終了。徳島から、一気に高知へ向かう。勿論、翌日は高知城からだ。
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続100名城の76城目は徳島県の一宮城。電車でのアクセスはJR徳島駅から徳島バスで「一の宮礼所前」で下車、徒歩ですぐに登城口に着く。車は、一の宮大日寺の無料駐車場が利用可能だ。
登城日は2019年4月13日。3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅の2日日の2城目、徳島城から向かい、車で約30分ほどで到着。近くの大日寺に駐車し、登城開始。登城口には案内板、パンフレットに加えて、スタンプがある。
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実際の登城口はこのような感じ。「一宮城址登山口」とあり、簡単な登山、夏場などは水分等の準備をしてからの登城が必要と思う。道自体は整備されているので、登り易いが、最初はまま急な階段を行くことになる。
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一宮城の築城主は小笠原長宗で、南北朝時代の1338年とされる。後に、小笠原長宗は一宮氏を名乗り、以降、12代まで城主となった。途中、倉庫跡や畑跡を見て行くこと、約15分弱で才蔵丸跡の虎口に到着。ここまで来ると比較的平らな道を行くので、ツラさは無いと思う。
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その後、一宮氏は細川氏の家臣となり、戦国の世では細川氏の重臣であった三好氏に仕えた。才蔵丸から明神丸へは数分で着く。ここからの眺望は絶景だった。
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明神丸を後にして、楽しみにしていた本丸へ。いきなり、石垣の虎口が現れる。1582年に長曾我部氏が阿波を支配し、一宮氏は滅亡。それから間もない1585年、豊臣秀吉の四国平定で一宮城に蜂須賀氏が入るが、すぐに徳島城を築城、この地は支城となった。本丸に残るこの石垣は蜂須賀氏が作ったと言われている。
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その後、一国一城で廃城となる。この石垣は非常に良く残っており、城内で唯一である。
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ここが本丸跡。眺望も素晴らしく、登ってきて良かったと思わせる。
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一息入れて、本丸を後にして、小倉丸へ。ここには土塁と櫓台跡が残っている。
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残る曲輪は椎の丸と水の手丸の2つ。小倉丸からは椎の丸を経由して水の手丸に抜けるルートと直接、水の手丸のみに行くルートがあるが、前者は難所があるとの現地板の説明あり、安全のため、後者を選択し、下山することにした。途中、迫力ある空堀や堀切があるので、楽しみながら歩けた。
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最後の水の手丸に到着。土塁が良く残っていたし、眺望も良かった。本丸から先は人もおらず、やや獣が出そうな雰囲気が有るが、開けているので心配は無いと思う。
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一宮城は、登城口から、北の才蔵丸・明神丸・本丸の3つの曲輪、南の小倉丸・椎の丸・水の手丸を見廻って下山するまで、1時間半程度は必要と思う。各曲輪がしっかりと残っており、本丸の石垣は圧巻、登城路も整備されており、案内板もあるので、登城し易い山城だと思う。また、眺望も絶景なので、晴れの日に訪れたい城址だ。
この後は、この日最後の勝瑞城(しょうずいじょう)へ向かった。徳島城、一宮城と1日でまとめて廻れれるので、旅行計画の際には是非、検討してもらえれば。
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100名城の93城目は徳島県で唯一選定されている徳島城。アクセスはし易く、電車ではJR徳島駅から徒歩10分弱。車は、徳島城東駐車場が便利。有料で310円だ。ここが満車でも周辺のコインパーキングで何とでもなるであろう。
登城日は2019年4月12日の夜と13日。3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅。飯盛城芥川山城と廻り、大阪から徳島へ入った。徳島城は御殿が置かれた山麓部と本丸などの山城に分かれている平山城。丁度、この時期、夜桜が美しいということで、21時過ぎに山麓部を散策。太鼓櫓上からライトアップされた桜を鑑賞。
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城の鬼門(北東)となる数寄屋橋もライトアップ。橋の先には不明門があったとされ、凶事以外にはその門は開かなかったとのこと。
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大手口の鷲之門もライトアップ。1945年の空襲にて消失、平成になって復元されたものだ。
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水堀と石垣、ライトアップされた桜が美しかった。30分ほど夜桜を堪能し、徳島ラーメンを食して、ホテルで休んだ。
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翌13日は本丸がある山に登る。山とは言っても緩やかな整備された登城路を行くので、ツラさは全く無い。本丸は広く、桜が満開で清々しかった。徳島城は1586年に蜂須賀家政が築城した。歴代の城主は蜂須賀氏であった。
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明治期と戦災で遺物は無くなってしまったが、江戸期に天守は東二の丸にあった。現在では天守跡のみが残っている。
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東二の丸付近からの眺望。徳島市内を見通すことが出来る。
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本丸、西二の丸、東二の丸の高石垣は圧巻であった。
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山麓に降りると、このような蜂須賀家政公の像が建つ。何となく、イマイチ感は否めないが。
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100名城スタンプは山麓の徳島城博物館にて。徳島城については勿論、城下町やその文化などが展示されている。最後に、御殿跡にある御殿庭園に立ち寄り。非常に美しい庭園なので、是非。
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徳島城は、山麓部と山頂部の見所を廻り、博物館や御殿庭園などを見れば、2時間程度は必要であろう。非常に良く整備されており、楽しく散策したい城址だ。
この後は、徳島県の続100名城である一宮城へ向かう。ままハードな山城だ。
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続100名城の75城目は大阪府の芥川山城(あくたがわさんじょう)。別名は芥川城、三好山城、原城。電車でのアクセスはJR高槻駅から市営バスで「塚脇」で下車、徒歩10分少々で登城口に着く。車は、登城口近くに有料か無料だかがわからない駐車場有り。
登城日は2019年4月12日。3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅の初日の2城目。飯盛城から車で向かい、塚脇バス停留所に行くも付近に駐車場が発見出来ず、致し方なく、JR高槻駅のコインパーキングに止めた。で、駅構内にある観光案内所でスタンプをして、結局、バスで塚脇バス停まで向かう羽目に。バス停近くの案内に従い、歩いて行くとこのような登城口がある。また、この近くに駐車場があった。わざわざ、高槻駅に駐車する必要は全く無いので、車で行く際には、塚脇バス停付近にある案内に従って車を走らせれば、駐車場に到着できると思う。
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案内通りに登城をして行く。少しすれば、台風被害の様子をもろに理解することになるが、登城路は安全が確保されているので、心配はご無用。また、やや獣が出て来そうな雰囲気もあるが、フェンスなどで防御もされているので、大丈夫であろう。
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芥川山城は、三好山(城山)に1516年頃までに築城されたとの記録が残る。築城種は細川高国。道中ではこのような野面積の石垣が所々に残っている。
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築城以降、細川氏が城主となったが、1553年に細川晴元を追った三好長慶が入城した。城内に唯一残る竪土塁(山城の斜面の縦方向の作られた土塁)があるので、お見逃しなく。
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登城開始後、約20分ほどで主郭に到着する。ここには御殿があったとされる。
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主郭からの眺望は飯盛城と同じく非常に素晴らしかった。まだ、4月であったが、鯉のぼりも飾られていた。また、登城者も何人かお見掛けしたので、多分、被災から復活し登城しても問題ない状況となったのだろうと思う。
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1568年以降は和田惟政や高山右近などが入城したとされるが、徐々に廃れていってしまったとのことだ。城内の一部にある堀切。少々、木々が元気良過ぎるが。
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帰路は大手道へ向かう。ご覧のような手作りの案内板。そもそも、この芥川山城は個人所有とのこと、迷惑行為は避けて欲しいと日本城郭協会では宣伝している。
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大手道はかなり急な下りとなる。虎口には石垣が残っている。
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大手道入口付近の石垣。なかなかのものであった。
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芥川山城は登城口からの往復で約1時間で全ての見所は廻れる。また、山城であるが、比較的登城は楽、山麓は住宅街なので、恐らくは獣類に出会うことはあまり無いと思う。石垣や土塁、各曲輪など、手作り案内を楽しみながら、気軽に登り、山頂からの絶景を楽しみたいところだ。(ただ、一部狭い登城路あり。)
これで初日は終了、既に16時を過ぎていたが、大阪から一気に徳島に向かう。翌日からは四国の名城巡りだ。
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続100名城の74城目は大阪府の飯盛城。別名は飯盛山城。電車でのアクセスは徒歩1時間は必要なので大変。JR四条畷駅から徒歩1時間、野崎駅から徒歩1時間少々。車は、大東市野外活動センターまで行くのが良い。城址付近となる。
登城日は2019年4月12日。3日間で大阪、四国の100名城、続100名城を巡る旅。前日の11日の守護と終了後、名古屋から車で奈良まで入った。12日の朝に野外活動センターを目指すが、道中道に迷い、ようやく10時半に到着。途中、細い道を行くが、対向車をしっかり見ながら行けば大丈夫と思う。以下のマップの右上、野外活動センターに駐車(4~5台のスペース有り、有料)し、スタンプを受付で押印し登城開始。
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ここからの登城ルートは2つある。馬場の楠公寺方面と池の奥から南丸を目指すルート。どちらから行っても同じだと思うので、行きと帰りで違うルートを取るのが良い。野外活動センターの前にある池、ここからスタートとなる。
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馬場を目指すルートを選択し、約10分ほど緩やかな山道を行くと、楠公寺がある。所謂、楠木氏のお寺だ。楠木氏とこの地域の関係は、南北朝期に遡る。1348年、南朝側の楠木正行と北朝の足利側の高師直が戦った四条畷の戦いだ。結果は北朝側の圧勝とされ、正行は自害したとされる。その縁でここに寺があるようだ。
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飯盛城の築城年は1334年頃に佐々目憲法なる人物により築城されたと言うが定かでは無い。また、戦国時代の1528年に木沢長政が築城若しくは改修したともされている。更に進み、山頂を目指す。登城路は全体的に綺麗に整備されており、歩き易かった。
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1560年、その後畿内を支配することになる三好長慶が入城する。現在残る石垣などは長慶が大改修した時のものと考えられている。10分も掛からずに本郭に到着。展望台が設けられているが、その眺望は素晴らしいの一言だった。
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その後、1575年に織田信長が畿内を平定すると、この一帯の城は破城となり、飯盛城も破却されたとされる。
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本曲輪の高櫓台跡には、冒頭の楠木正行像が建つ。この後、二の丸方面に向かおうとしたが、方向を間違え、帰路ルートの千畳敷方面へ行ってしまい、引き返そうと思ったが、更に、情けなくも急にトイレにも行きたくなる始末、残念ながら、下山することにした。
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飯盛城は、野外活動センターまで車で行けば、登城自体はそう大変ではない。二の丸を見逃したが、おそらく、往復で1時間もあれば十分だと思う。見ていない箇所があるので評価はしにくいが、本郭から眺望が素晴らしいと言う点は良かった。ただ、少し、説明版や案内が他の城に比べると少なかった印象。
この後は、同じ大阪の続100名城の芥川山城に向かう。台風被害で大変だったようであるが、この時点では登城可能となっていた。
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2019年の1月中旬にたまたま寒さが和らいだので、地元愛知の清州城に行ってみた。別名は、清須城。電車でのアクセスは名鉄の新清州駅若しくはJR清州駅からいずれも徒歩10分少々。車なら、城址目の前に無料駐車場があるので、駐車の心配は無いと思う。
登城日は2019年1月19日。天守閣の目前にある駐車場に止め、早速、撮影。1989年(平成元年)に模擬で作られた4階建ての天守閣。
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清州城は、室町期の1405年、尾張国の守護であった斯波義重が、守護所があった下津城の別郭として建てられたのが始まりと言われている。戦乱の中で下津城が焼失すると、1478年に守護所が清須に移転すると、清須が尾張国の中心地となった。天守閣内部は、そのような歴史の紹介が充実しており、非常に勉強になる。天守最上階からの眺望はなかなかで、市街地がよく見通せる。
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そして、1555年に織田信長が那古野城から入城、尾張を統一し、1560年の桶狭間の戦いに勝利して、清須から天下統一の野望を抱く。しかし、本能寺の変が起こり、跡目を決めるかの清須会議がここ清州城で行われ、次男の信雄が城主となり、改修に着手、巨大な郭域の中に城下町を取り込んだ都市として過去最大の規模に達した。城を後にして、正面のショットを撮影。城門と天守閣はなかなかのもの。
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その後城主は、織田家から豊臣秀次、福島正則と移り、関ヶ原後は松平忠吉、徳川義直となった。1610年、徳川家康は清須城廃城と名古屋城築城を命じ、「清須越」が行われ、城と城下町ともども歴史から消された。付近には、発掘調査によって明らかになった石垣が復元され、展示されているので、訪問の際には是非。
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また、徒歩数分の公園には、パワースポットとして、織田信長と濃姫にツーショット像がある。夫婦の絆・立身出世・必勝祈願の3つだそうだ。
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清州城は天守閣の展示や他の見所を廻って、1時間もあれば十分。歴史の中で、重要な役割をしたと言っても過言では無いが、遺物が残っていない点が残念。ただ、織田信長ファンの方は、この出発点は是非、訪れるべきであろう。
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続100名城の73城目は滋賀県の鎌刃城(かまはじょう)。電車などの公共交通機関でのアクセスはかなり大変。JR米原駅から故国バスで「番場」から登城口まで徒歩約35分。車なら、町屋橋の駐車場らしき場所に止めてから、登城口まで20分くらい。若しくは、名神の42番ゲートから徒歩での登城。
登城日は2019年4月7日。だが、思いもよらず、八幡山城で時間が掛かり、鎌刃城近くに着いた頃には、やや日が暮れ始めていた。取り敢えずは、Cafe&Gallery源右衛門で100円寄付し、スタンプをゲット、パンフレットなどの入手。43番と44番ゲートまで行ってみたが、とてもじゃないが、この時間から登城できるような雰囲気ではなく、無念ながらも次回とすることにした。噂のMapがこれ。
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これでスタンプのみは、5城目となってしまった。名古屋から滋賀は遠くは無いので、そのうちにちゃんと登城したいと思う。

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続100名城の72城目は滋賀県の八幡山城(はちまんやまじょう)。別名は、八幡城、近江八幡城。電車でのアクセスはJR近江八幡駅から近江鉄道バス「大杉町八幡山ロープウェイ口」から徒歩5分。近江八幡駅から徒歩25分でもロープウェイ口に到着する。車なら、ロープウェイ口に無料の駐車場有り。
登城日は2019年4月7日。この日は八幡山城と鎌刃城の滋賀の続100名城を登城しようと思い、12時半くらいに八幡城付近に到着も、桜祭りが開催されており、周囲は渋滞、ロープウェイ前の駐車場は満車でようやく14時前に、この時期のみと思われる有料の臨時駐車場に止め、八幡山ロープウェイまで徒歩10分ほど歩く。確かに、桜は丁度、満開だった。ロープウェイは頻繁に出発しているので、ほぼ待つことなく乗り込み、山上駅にてスタンプをゲット。
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八幡山城は1585年に羽柴秀吉の甥である秀次が築城した。山上と山麓に分かれた山城である。その山頂駅からすぐに西の丸址に到着、ここの景色は絶景で琵琶湖が一望出来る。
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これが噂の恋人の聖地のモニュメント。特に、感じるものは無い。
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主郭部は総石垣で現在、野面積の石垣が残っている。
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羽柴秀次が清州城に移ると、京極氏が入るが、1595年に廃城となった。現在、本丸は築城主である羽柴秀次の菩提寺の村雲御所瑞龍寺が建つ。
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本丸跡に城址碑が無かったと思うので、目に付いたものを撮った。
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本丸からの眺望も勿論、良い。ロープウェイで上がって来ているので、当然であるが。
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二の丸址には展望館がある。ここからの眺望も良いに決まっている。
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八幡山城は山麓からロープウェイであがり、山上の見所を廻って往復で1時間程度。遺物はなく、野面積の石垣はそれなりではあったが、眺望の良さ以外、あまり見所が無いというのが正直なところであった。
この後は、渋滞を抜けて鎌刃城へ向かった。日が徐々に落ちてきており、嫌な予感を感じていた。
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昨日、5/3にNHKで、『あなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル第3弾』の放映があった。様々な名城の中から、出演者3名が「日本最強の城」を決めると言うもの。勿論、ただ選ぶだけではなく、その城の特徴や歴史などの解説付きの番組。初回と第2弾はこちらから。
今回の第3弾は以下の7城がエントリー。
・「フォトジェニックな城」から大坂城(100名城)、弘前城(100名城)、明石城(100名城)の3城。
・「アウトドアにぴったりな城」から岡城(100名城)、滝山城(続100名城)の2城。
・「守りの仕掛けがユニークな城」から原城(続100名城)、五稜郭(100名城)の2城。
それで、「最強の城」に選ばれたのは、岡城であった。個人的にも、この中では岡城だと思ったので納得。(尚、決めた3名が、岡城は未登城とのことだったのは少々、意外。)番組でも紹介されていたが、滝廉太郎の「荒城の月」はこの城を思い、作られたとのことで記念像が建っている。
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これで、この番組で選ばれた「最強の城」は、高取城松江城岡城の3つとなった。
昨今、「城巡り」が流行っているとのことで、続いている同番組、第4弾があるのかは知らないが、是非、放映して欲しいと思わせる面白い企画。「あ~、ここ見た見た。」とか、「やっぱり、ここが見所だよなあ~。」とか思いながらの視聴は楽しいものだ。

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続100名城の71城目は長崎県の原城。別名は、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。電車でのアクセスはJR長崎本線の諫早駅から島鉄バスで「原城入口」にて下車、徒歩10分。諫早駅からは2時間単位だ。車では城址近くの原城温泉真砂に駐車場有り、そこからすぐに登城可能だ。
登城日は2019年3月24日。4日間で九州の100名城、続100名城を巡る旅の最終4日目、オーラスの登城となる。日野江城から向かい、スタンプのある有馬キリシタン記念館に立ち寄る。島原の3城(島原城日野江城、原城)訪問の総仕上げと言った感じで、キリシタン大名の歴史が学べる。少々、悲痛な思いが残ることになるが。記念館から数分で、原城温泉真砂の駐車場に車を止め、宿内にあるレストランで昼食。長崎牛ステーキ御膳は少々、値は張るも非常に美味だったので、おススメ。腹を満たして、登城開始。すぐに大手口跡、三の丸跡があるが、とにかく一面に美しい景色の中を歩くことになる。この時期は本当に風が心地良かった。10分ほどで本丸付近に到着、壮大な空堀跡は本丸の守備のため。一揆衆がこの底に待機していた様子が絵図に残されていると言う。

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原城は1599年から5年を掛けて、有馬晴信によって築城された。有馬氏が日向の延岡城に転封されると、松倉氏が入るが、原城を廃城とし、島原城を築城する。本丸正面はこのような感じで石垣が残っている。
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松倉氏の治世は厳しく、徹底したキリシタン弾圧を行った。これにより、1637年に島原・天草一揆が勃発する。徹底抗戦した天草一揆勢であったが、幕府軍によって鎮圧されてしまう。本丸に入って2つ目の門となる埋門は、幕府軍によって破壊されたものだ。
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幕府軍により破却された石垣が城内の多くのところで残っている。
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程なく、本丸に到着。非常に広い。
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この本丸には櫓台跡が残る。3層の天守相当の櫓であったと言う。ここからの眺望は本当に素晴らしいの是非、現地にて。
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島原・天草一揆の時に、盟主となったのが齢15歳の天草四郎時貞。ここ原城で88日間、籠城するも、幕府軍の総攻撃で落城、時貞は本丸で斬首となった。その墓碑があり、訪れた人は皆、立ち寄っていたのが印象的だった。
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墓碑に参った後、城を下りる。その際に見れる石垣。
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ここにも破却された石垣がある。
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原城はこのように断崖絶壁に築かれた城。少々、面倒でも天草丸方面に向かえば、それが実感できる。真ん中の部分が本丸だ。
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原城は駐車場から見所を全て廻り、やや遠方にある天草丸跡まで行って、往復で1時間少々だった。道は整備されており、登城の案内や説明も十分。誰もが中学校で学んだ島原の乱、天草四郎。城ともども有馬キリシタン記念館の素晴らしさ、爽快な眺望、世界遺産の構成にもなっていること、個人的に島原城よりも原城の方がより印象に残ったもあり、★★★★★とさせて頂いた。
これにて、3月末の連休を利用した九州100名城、続100名城を巡る旅も終了。14時半に城址を後にし、島原港ターミナル15時45分発のフェリーに乗り、熊本空港から名古屋へ戻った。これでようやく、九州の100名城は全て制覇、続100名城は長崎県にある難攻の金田城と福江城を残すのみ。いつ、行こうか、そんなことを考えていた。
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