続100名城の91城目は山梨県の要害山城。別名は要害城、積翠山城。アクセスは電車では、JR甲府駅から山梨交通バスで約20分の「積翠寺」停留所で下車し、徒歩15分。車なら、城址の登城口に広くは無いが、無料の駐車場があり、楽チンだ。
登城日は2019年5月6日。GW10連休を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の8日目、計20城目。5月5日に千葉を出発し、夜に甲府入り。翌日、まずは、朝一番で、甲府駅前にある「藤村(フジムラ)記念館」に行き、スタンプをゲット。内部を少々、観覧し、城址へ向かう。尚、100名城の甲府城が目の前にあるので、お忘れなく。確か、車で10分程度で到着、登城口の駐車場に止めてスタート。登城と言うよりは、要害山という770mの山登りとなる。山頂までは徒歩約30分とのこと、山城なので自販機があるはずもなく、夏場などは水分を準備されたし。
登城路は整備されているが、周囲は5月でも草が元気に生い茂っている状態だった。ちょっと、ケモノが出てきそう感じがしなくもない。
要害山城は、1520年に武田信虎が築いた山城である。居館や政庁などがあった山麓の武田氏館(躑躅ヶ崎館)に対して、緊急時に立てこもる詰の城として作られた。城内には土塁や竪堀跡などが当時のままとのことであるが、木々が生い茂っており、イマイチ、わかりずらかった。
少し上がって行くと、大小多くの曲輪跡が残っている。説明板があるので、場所は確認できると思う。
そして、主郭までは8つもの門跡があり、堅固な防御となっているのが分かる。1つ1つをゆっくり見ながら行けば、登山の苦しさも紛れるかも知れない。
登城開始して、やはり30分ほどで山頂の主郭に到着。要害山城は、武田家3代(信虎、信玄、勝頼)に渡り、使用された。最初の信虎の頃に、福島氏に攻められたが、懐妊していた正室をここに避難させ、城内で信玄を産み落としたとされる。その記念碑が建つ。
主郭部は土塁で囲まれ、庭園などに使用される石も残っている。その他には、山梨百名山の碑もあるので、お見逃し無きよう。
武田氏が滅亡すると、徳川家が入り、その後、豊臣系の大名が城主となる。加藤光泰が城の改修を行ったとのこと。770mを登って来たので、眺望を楽しみにしていたが、残念ながら、このような感じ。
1600年の関ケ原の戦い後、再び、徳川の領地となり、その際に廃城となった。主郭部周辺に残る堀切跡と石垣。元禄年間に修築されたとされる穴太積み(あのうづみ)だ。
山を下る途中にある井戸は、今でも1年を通して水が絶えることないとのこと。
要害山城は山麓からの往復で1時間少々であった。登城路は整備されているので、歩き易いと思う。ただ、もう少し、周囲の木々を伐採すれば、もっと、曲輪や土塁、竪堀などの遺構が良く分かると思う。
この後は、続100名城の新府城というのが流れだが、少々、時間があったので、100名城でも続100名城でもない湯村山城に行くことにした。
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