サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:100名城 > 岐阜県

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100名城の37城目は岐阜県の岩村城。別名は霧ヶ城。酷暑の中での岐阜山梨長野100名城2日間4城の旅、初日は岐阜県の岩村城だ。アクセスは、明知鉄道の岩村駅で下車し、岩村歴史資料館まで徒歩約20分、そこから本丸まではさらに約20分、合計40分の長い道程。車であれば、本丸付近に駐車場があるので、夏であれば、車で上がる方が良かろう。
登城日は2018年7月21日。名古屋から向かい、まずはスタンプのある岩村歴史資料館へ。その後、本丸駐車場まで行き、駐車し登城。岩村城は標高717mに築かれた日本一高所にある山城で、備中高松城(岡山)、高取城(奈良)とともに、日本三大山城とされている。
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本丸駐車場からはすぐに、本丸の石垣が見えて来る。夏場なので、草が多い状態であった。
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そして、すぐに、埋門(うずみもん)跡がある。奥の石垣の上には櫓があり、右には二重の納戸櫓があったことが、当時の絵図にある。また、左の石垣は江戸初期のものと考えられている。
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岩村城は相当な規模であっただけでなく、歴史も長い。1185年、源頼朝の重臣であった加藤景廉(かとうかげかど)が築城してから、鎌倉と室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間にわたり、様々な城主が改修にあたっている。そして、明治初期に廃城されるまで、計700年間に及ぶ。今となっては、山麓に復元された櫓と御門があるが、本丸には何もない。
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この城の最大の見所は、何と言っても、見事に六段に積まれている美しい石垣。まじかで見るとかなりの感動を覚える。
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元は最上部のみの高石垣であったが、崩落を防ぐために徐々に石垣が作られ、最終的に六段になったとのこと。
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正面目の前からはこんな感じだ。かなりの迫力。
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その他には本丸にある昇龍の井戸、菱櫓跡、などがある。山麓の御門と櫓は時間なく訪問しなかった。岩村城はその歴史の古さを感じつつ、見事な六段壁などを眺めながら散策しても、駐車場からなら30分とは掛かるまい。大失敗したスタンプを後悔しながら、この後、甲府に向かう、翌日は、甲府の100名城の2城だ。
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100名城の21城目は岐阜県の岐阜城。別名は稲葉山城。岐阜市内の金華山山頂にある織田信長の城で、山麓には居住地があったとされる。アクセスは、電車なら、JR岐阜駅及び名鉄岐阜駅下車。駅からは少々離れているので、岐阜バスで岐阜公園・歴史博物館前で下車。山麓から山頂までは歩くこともできるが、金華山ロープウェーがあるので、それを利用するのが良かろう。山上の駅からは徒歩5分程度。車であれば、近隣の駐車場から徒歩で山麓の岐阜城公園へ、結局、ロープウェイには乗らざるを得ない。
登城日は2018年6月24日。梅雨の合間の絶好のお出掛け日和だったが、相当な暑さだった。名古屋から車で1.5時間程度で到着、やや離れた駐車場から向かう。まずは、山麓にある日本遺産・織田信長公居館跡に行く。高低差は30m、庭園跡や金箔の瓦などが発掘されており、どうやらかなり派手であったことがわかりつつあるとのこと。絵図ではこのような感じだ。
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金華山ロープウェイで山頂に到着すると、岐阜市が作成した「天下第一の門」がある。当時、稲葉山城を攻め落とした信長はこの地を岐阜とし、城下町の整備などを進め、天下統一の第1歩を踏み出したという点で、そのように名付けたとのこと。
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そもそも、岐阜城(稲葉山城)は鎌倉時代の1201年~1204年に築城されたとの伝承があるが、明らかにはなっていない。1530年代に斎藤道三が本格的な城にしたということだが、1567年、信長により斎藤家が追放されると、信長は大改造を行ったとされる。現在の天守は三重四階で、1956年に鉄筋コンクリートで建てられたものである。
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天守からの眺望が素晴らしく、岐阜市内も一望できる。やはり、眺望は晴れに限る。清清しい空気に癒される。
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尚、有料の天守閣に入場しないと、すぐ隣にある岐阜城資料館でのスタンプは押印できないので、天守登城が必須になる。また、城付近にはお城時計という江戸初期に制作された時計が展示されている。年代物で時が十二支となっている珍しいもの。何と、その精度は当時世界一だったと言うのだから、改めて、日本の職人技術の凄さを感じる。
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当時の遺物はあまり残っていないが、登山道には石垣類が残っているとのこと。残念ながら、登山道は通っていないので見ていない。城付近にあるものはこの程度だ。
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おまけとしては、「板垣退助遭難の地」の碑である。相原尚褧が当時の総理であった板垣の胸を刺した岐阜事件の現場。一命はとり止めたが、この時に有名な「板垣死すとも自由は死せず」と発したと言う。
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岐阜城は最寄駅から離れており、ややアクセスが悪く、金華山ロープウェイに乗らないといけないので、少々、お金が掛かる。城郭、山麓の居館跡など全部見て、1時間。かの信長の居館があった場所、ぜひ、訪れたい城址だ。
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