サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:100名城 > 新潟県

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100名城の30城目は新発田城。別名は憶えきれない菖蒲城(あやめじょう)、舟形城、狐尾曳ノ城。9月最後の3連休に有給休暇を2日取得し、長野新潟5日間11城制覇の旅。3日目は3城の予定で2城目だ。アクセスは電車は、JR新発田駅から徒歩20分。車なら周辺に数か所の無料駐車場があるので気軽に行ける。
登城日は2018年9月24日。朝一に登城した春日山城から車で、昼食を挟んで1時間半くらいで到着。旧二の丸跡の駐車場に行き着くと、早速、新発田城の見所の一つである三階櫓が目の前に見えてくる。再現ものであるが、当時は天守の扱いで、最上階の3つの鯱は全国的にも珍しいものだと言う。残念なことに、行けば分かるが、この三階櫓の場所は自衛隊の駐屯地となっており、中に入ることは出来ない。

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良い感じの外堀の周囲を歩きながら、登城口である本丸表門に到着する。1732年に再建されたもので国の重要文化財に指定されており、見所の一つだ。
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表門にスタンプがある。係りの方に聞けば、出してくれる。そして、目の前が本丸になる。近い。新発田城は、上杉謙信の父である長尾為景と対等の力をもった新発田氏の居館跡に入城した溝口秀勝が新たな縄張りにとりかかり、3代目の宣直の時代に完成、以降、溝口家の居城となった。
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本丸の先は壁がある。自衛隊の駐屯地となっているためだ。従い、表門から入りすぐの本丸を見て、すぐに左か右に行くしかない。取り敢えずは、重要文化財である旧二の丸隅櫓を見学する。1668年の火災後に再建されたもので、二の丸北部にあったものを現在の位置に移設したものである。現存していると言う点で、その価値は表門とともに高い。
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他には、再建されたものであるが、辰巳櫓がある。城内では、旧二の丸櫓よりも重要な感じで辰巳櫓がある気がした。歴史的価値と言う意味では、全然違うのであるが。
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明治期にほぼ破壊されてしまったので、城内は大きくはなく、登城して各所を廻っても20分程度で十分。堀や石垣も立派なので、是非、見て頂きたい。この後、この日最後の3城目、村上城へ向かった。
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100名城の29城目は春日山城。9月最後の3連休に有給休暇を2日取得し、長野新潟5日間11城制覇の旅。3日目は3城の予定で1城目だ。
登城日は2018年9月24日。前日の23日、上越市にある高田城福島城に登城、そのまま、上越市内のホテルに宿泊。朝一、車でまずはスタンプ設置場所でもある春日山城跡ものがたり館に向かう。9時の開館前だったので、広大な春日山城史跡広場にて、新鮮な空気を思いっきり、吸い込む。天候は曇りで、気温は18度前後だったと思う。やはり、このくらいの気温での登城は最高だ。思えば、2018年夏の歴史的猛暑の中での登城は、まさに地獄だった。
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春日山城跡ものがたり館にてスタンプをゲットし、展示物を見学。春日山城に関するビデオも鑑賞し、城主・上杉謙信が祀られている春日山神社に向かう。ここからの登城が一番、楽。もちろん、要所はほぼ見ることが出来る。駐車場も神社の目の前にあるので良い。っと思ったが、神社であることを忘れていた。
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まあ、このくらいなら。朝一での運動なので、少々、心臓が泣いたが、すぐに登り切る。そして、左に行けば、かの有名な上杉謙信像、高台に設置されており、上越市内を見つめている。携帯電話での写真なので、このくらいが精一杯。
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初期の築城については、時期、人物ともに明らかなっていないが、600年くらい前の南北朝時代であると言われている。その後、長尾為景が改修し、その子である謙信が完成させた難攻不落の山城である。
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来た道を戻り、神社に向かって右側が登城口。すぐに、さりげなくある御屋敷跡の看板を発見、行ってみることに。山城に良くあることだが、いかにも誰も行きそうにない道に誘う看板があるが、行ってみると、大体、目標は結構、遠かったりする。だけど、折角、来たから途中で戻れない、だから行くけど、いつ着くの?って感じだ。しかも、その目標場所に看板が無かったりする。そして、あまり人が行かないので、獣道っぽく、人気もなく寂しいのが多い。御屋敷跡もしかりで、多分、これだ。まあ、歩いた道は搦手道でもあることがわかり、やや満足はしたが。
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とは言うものの、春日山城は道も整備されており、案内や看板はちゃんとあるので心配はご無用。かえって、見所が多くて困ってしまうくらいだ。本丸到達前にも色々とあるが、千貫門跡にある空堀は恐怖心を覚えた。門に侵入してきた敵を断崖に落とすよう巧妙に仕組まれた道のような濠だとのこと。確かに、騙された気になって門跡の先を進むと、あった。この先はチラ見したが怖くて、撮影できず。足元が土であるのは、滑って落ちそうでやっぱり怖い。行く人は「この先、ヤバイ!」とかの看板はないので、気を付けて欲しい。命あっての100名城、続100名城なのだから。
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次に、本丸到着前で外せないのは色々とあるが、やはり、毘沙門堂と思う。謙信と言えば、悪魔を降臨させると言う毘沙門天の「毘」の旗印。まさに、悪魔の軍と言うことだ。このお堂の中にある毘沙門天尊像の由来が凄い。左の看板によれば、「尊像は上杉景勝公の頃に会津から米沢に行き、1849年の火災で被災。その約80年後の1928年、東京美術学校(現東京学芸大)に修理を依頼、何と、実際に修理したのは、かの高村光雲。で、その際に分身が作られ、尊像の欠片を体内に入れて、1930年に完成しこの祠堂に奉られた。」とのこと。隙間から尊像に拝謁できるので、是非。
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その他にも、上杉の重臣・直江家屋敷跡、お花畑跡、諏訪堂跡、護摩堂跡などがあり、スタートの春日山神社から、約20分で本丸に到着。
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標高180mにある本丸跡の眺望は、何と、1597年に描かれた「越後国絵図」と同じであったから、驚く。現地で、是非、ご確認いただきたい。
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その後、天守閣跡(実際は天守はなかった。)を見て春日山城を下る。それでも、まだ見所がある。まずは、井戸丸址。大き過ぎる。覗くことも出来るが、ブラジルはリオデジャネイロまで貫通しているのではないか、と思わせるくらいだ。(ちょっと、大袈裟)
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御館の乱で謙信の跡目を勝ち取った上杉景勝の屋敷跡、御成街道、二の丸跡や三の丸跡など、見ていて飽きさせない。珍しさと当時の姿が残っているという点で、米蔵跡の周辺の土塁を紹介。
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春日山城は山城ではあるが、登城する道は緩やかであり、きつくはない。数多い見所を見て廻って、約1時間程度であろう。誰もが安全に分り易く、且つ、歩きやすくなるよう整備している点、当時の姿を結構残していると言う歴史的価値など、登城して良かったと思わしめる素晴らしい城と思う。そして、春日山神社前での地元の方のPRの熱心さ、親切さ、郷土愛みたいなものも加えて、初めての★★★★★とさせて頂いた。この後、新潟2つ目の100名城、新発田城に向かった。
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