サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:続100名城 > 富山県

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続100名城の25城目は富山城。秋晴れの週末を利用した福井石川富山の続100名城2日間5城の旅、2日目は富山城から。富山城へのアクセスは、電車なら、富山駅より徒歩約10分。車であれば、城址すぐそばに有料だが、市営駐車場が多くあるので、それを利用するのが良いであろう。
登城日は2018年10月21日。市営駐車場からすぐに、千歳御門から登城。千歳御門は1849年、富山城の東に建立された。富山藩10代藩主であった前田利保が建造した大名屋敷である千歳御殿の正門であり、富山城唯一の現存建築遺構である。

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門から入り、すぐ左には1954年に現存天守である彦根城や犬山城を模した三重四階の天守、二重二階の小天守が見えて来る。戦時の空襲で甚大な被害を受けた富山市の復興事業完了を機に開催された博覧会の際に作られたもので、現在では富山市郷土博物館となっている。スタンプは入城料を支払って、この中で。
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館内では富山城に関する各種の展示物や情報が紹介されているので、勉強になる。最上階の天守からの眺望は、広い堀が見える。
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富山城は1543年頃、神保長職が、築城したとされる。だが、近年の発掘調査により室町時代前期の遺構が発見され、創建時期はさらに遡るものと考えられている。戦国時代には、上杉謙信による攻撃や一向一揆での争奪戦などを経て、織田信長臣下の佐々正成が入り、大規模な改修を行っている。

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信長の死後の1585年、豊臣秀吉と対立した佐々正成は、7万にもなる秀吉の大軍に包囲され、降伏し、破却となる。江戸期になると、富山城を隠居の場所とした前田利長の居城となる。この頃に石垣の整備が始まり、1662年以降、初代富山藩藩主の前田利次が改修したのが、現在見られる石垣である。算木積み(角隅に長居石を交互に積み崩れにくくする。)も見られる。
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富山城の石垣の多くは野面積みであるが、布積み(加工した石を水平に設置)も見られる。また、巨大な鏡石もあり、その権力を誇示するための象徴となっていたのかもしれない。鉄門に複数個、確認できる。
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富山城は富山城址公園となっており、日本庭園や美術館などもあるので、時間あれば立ち寄ると良いであろう。
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富山城は博物館や石垣類等の見所を廻って、30分程度といったところか。石垣に関する解説が多くあるので、石垣が好きなら、結構、楽しめると思う。この後は名古屋への帰路に着く。途中で寄るのは、玄蕃尾城だ。
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続100名城の24城目は増山城。別名は和田城。秋晴れの週末を利用した福井石川富山の続100名城2日間5城の旅、初日は福井県の越前大野城、石川県の鳥越城を巡り、最後は富山県の増山城。電車でのアクセスは、JR城端線・礪波駅から加越能バス・栴檀野線「増山」下車で徒歩30分 と大変。車なら、増山陣屋に無料駐車場があるが、そこまで辿り着くには、ナビで「和田川ダム管理事務所」と入力するのが良い。迷わずに行けるであろう。
登城日は2018年10月20日。まずは、スタンプのある「砺波市(となみし)埋蔵文化財センター」に行く。ナビにも出て来るが、なんと、学校に到着することになる。だが、気にする必要はない。その敷地内にあるのだから。センターでスタンプを押すと、おまけのシールと登城認定証(二の丸への登城が条件)が貰えるので、下段を参照しいて欲しい。また、記帳すると、来訪者の県にシールが貼られ、どの県から来訪したかが掲示されている。私が行った時は愛知県が一番多かった。
さて、ここから増山城へ車で移動、誰もいない増山陣屋に駐車し、登城開始。ダムを渡って行く。
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登城路、案内板もしっかりあるので、迷う心配は無いであろう。新設された冠木門から向かう。

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登城路を歩くこと10分弱で、「とやまの名水」として知られている?「又兵衛清水」なる名水がある。確かに、水が沸いていた。歴代城主の飲用水とされていたようだ。もちろん、このまま飲んではだめだ。
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増山城は南北朝時代に、和田城として存在していたことが文献により確認されている。戦国時代には神保氏の拠点となるが、上杉謙信により降伏を余儀なくされる。その後、1581年、織田軍の攻撃により落城、佐々成政が入っていた。 豊臣時代には城主を務めたが、一国一城令により廃城となったとのことだ。 歴代の城主はこの池で馬に水を汲んだと言う。雑草で見えにくいが、確かに池になっているので、近ずき過ぎには要注意だ。
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登城から20分ほどでメインの二の丸に到着。増山城は二の丸が本丸であったとされる。
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二の丸には、鐘楼堂と言われる櫓台があり、増山城の最も高い場所にある。また、神水鉢と呼ばれる決して枯れることのない鉢がある、水にまつわる箇所が多く残っているので、水補給には苦労しなかったのであろう。謙信の攻めに耐えた理由の一つかもしれない。
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他の見所としては、三の丸や屋敷跡などがあるが、時間の都合で一の丸やその周辺の土塁を見て下山することとした。この時期は草が元気過ぎて、確認しずらいのが残念だが。
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増山城は南北朝の1363年から約250年間も存在していた貴重な山城で、松倉城(魚津市)、守山城(高岡市)と並び越中三大山城とされている。三の丸まで見るなら、所要時間は1時間以上、メインの二の丸までなら、1時間弱で往復できるであろう。 センターでのおまけを2つ。シールと登城認定証。ほとんどこのようなサービスをしている100名城は無いので、嬉しい限りだ。この後、砺波市内に宿泊し、翌日は富山城から帰路に着き、玄蕃尾城の2城の登城だ。
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