サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:続100名城 > 大阪府

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続100名城の75城目は大阪府の芥川山城(あくたがわさんじょう)。別名は芥川城、三好山城、原城。電車でのアクセスはJR高槻駅から市営バスで「塚脇」で下車、徒歩10分少々で登城口に着く。車は、登城口近くに有料か無料だかがわからない駐車場有り。
登城日は2019年4月12日。3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅の初日の2城目。飯盛城から車で向かい、塚脇バス停留所に行くも付近に駐車場が発見出来ず、致し方なく、JR高槻駅のコインパーキングに止めた。で、駅構内にある観光案内所でスタンプをして、結局、バスで塚脇バス停まで向かう羽目に。バス停近くの案内に従い、歩いて行くとこのような登城口がある。また、この近くに駐車場があった。わざわざ、高槻駅に駐車する必要は全く無いので、車で行く際には、塚脇バス停付近にある案内に従って車を走らせれば、駐車場に到着できると思う。
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案内通りに登城をして行く。少しすれば、台風被害の様子をもろに理解することになるが、登城路は安全が確保されているので、心配はご無用。また、やや獣が出て来そうな雰囲気もあるが、フェンスなどで防御もされているので、大丈夫であろう。
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芥川山城は、三好山(城山)に1516年頃までに築城されたとの記録が残る。築城種は細川高国。道中ではこのような野面積の石垣が所々に残っている。
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築城以降、細川氏が城主となったが、1553年に細川晴元を追った三好長慶が入城した。城内に唯一残る竪土塁(山城の斜面の縦方向の作られた土塁)があるので、お見逃しなく。
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登城開始後、約20分ほどで主郭に到着する。ここには御殿があったとされる。
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主郭からの眺望は飯盛城と同じく非常に素晴らしかった。まだ、4月であったが、鯉のぼりも飾られていた。また、登城者も何人かお見掛けしたので、多分、被災から復活し登城しても問題ない状況となったのだろうと思う。
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1568年以降は和田惟政や高山右近などが入城したとされるが、徐々に廃れていってしまったとのことだ。城内の一部にある堀切。少々、木々が元気良過ぎるが。
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帰路は大手道へ向かう。ご覧のような手作りの案内板。そもそも、この芥川山城は個人所有とのこと、迷惑行為は避けて欲しいと日本城郭協会では宣伝している。
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大手道はかなり急な下りとなる。虎口には石垣が残っている。
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大手道入口付近の石垣。なかなかのものであった。
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芥川山城は登城口からの往復で約1時間で全ての見所は廻れる。また、山城であるが、比較的登城は楽、山麓は住宅街なので、恐らくは獣類に出会うことはあまり無いと思う。石垣や土塁、各曲輪など、手作り案内を楽しみながら、気軽に登り、山頂からの絶景を楽しみたいところだ。(ただ、一部狭い登城路あり。)
これで初日は終了、既に16時を過ぎていたが、大阪から一気に徳島に向かう。翌日からは四国の名城巡りだ。
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続100名城の74城目は大阪府の飯盛城。別名は飯盛山城。電車でのアクセスは徒歩1時間は必要なので大変。JR四条畷駅から徒歩1時間、野崎駅から徒歩1時間少々。車は、大東市野外活動センターまで行くのが良い。城址付近となる。
登城日は2019年4月12日。3日間で大阪、四国の100名城、続100名城を巡る旅。前日の11日の守護と終了後、名古屋から車で奈良まで入った。12日の朝に野外活動センターを目指すが、道中道に迷い、ようやく10時半に到着。途中、細い道を行くが、対向車をしっかり見ながら行けば大丈夫と思う。以下のマップの右上、野外活動センターに駐車(4~5台のスペース有り、有料)し、スタンプを受付で押印し登城開始。
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ここからの登城ルートは2つある。馬場の楠公寺方面と池の奥から南丸を目指すルート。どちらから行っても同じだと思うので、行きと帰りで違うルートを取るのが良い。野外活動センターの前にある池、ここからスタートとなる。
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馬場を目指すルートを選択し、約10分ほど緩やかな山道を行くと、楠公寺がある。所謂、楠木氏のお寺だ。楠木氏とこの地域の関係は、南北朝期に遡る。1348年、南朝側の楠木正行と北朝の足利側の高師直が戦った四条畷の戦いだ。結果は北朝側の圧勝とされ、正行は自害したとされる。その縁でここに寺があるようだ。
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飯盛城の築城年は1334年頃に佐々目憲法なる人物により築城されたと言うが定かでは無い。また、戦国時代の1528年に木沢長政が築城若しくは改修したともされている。更に進み、山頂を目指す。登城路は全体的に綺麗に整備されており、歩き易かった。
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1560年、その後畿内を支配することになる三好長慶が入城する。現在残る石垣などは長慶が大改修した時のものと考えられている。10分も掛からずに本郭に到着。展望台が設けられているが、その眺望は素晴らしいの一言だった。
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その後、1575年に織田信長が畿内を平定すると、この一帯の城は破城となり、飯盛城も破却されたとされる。
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本曲輪の高櫓台跡には、冒頭の楠木正行像が建つ。この後、二の丸方面に向かおうとしたが、方向を間違え、帰路ルートの千畳敷方面へ行ってしまい、引き返そうと思ったが、更に、情けなくも急にトイレにも行きたくなる始末、残念ながら、下山することにした。
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飯盛城は、野外活動センターまで車で行けば、登城自体はそう大変ではない。二の丸を見逃したが、おそらく、往復で1時間もあれば十分だと思う。見ていない箇所があるので評価はしにくいが、本郭から眺望が素晴らしいと言う点は良かった。ただ、少し、説明版や案内が他の城に比べると少なかった印象。
この後は、同じ大阪の続100名城の芥川山城に向かう。台風被害で大変だったようであるが、この時点では登城可能となっていた。
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続100名城の32城目は大阪の岸和田城。別名は千亀利城。(ちぎりじょう)11月の3日で大阪岡山広島の未踏の城を廻る。電車でのアクセスは、南海の岸和田駅から徒歩10分程度。車なら、城址に駐車場有り、いずれも苦労せずに到達出来る。
登城日は2018年11月9日。午後に大阪で仕事があり、朝一、名古屋から新幹線、御堂筋線、南海線と乗り継ぎ、岸和田城へ向かう。何とか11時前に到着、雨模様であったが、徐々に晴れてきて良い感じに。いきなり、街中の学校近くに現れる。立派な堀と石垣に、かなり圧倒された実感。
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岸和田城の築城時期、築城者は明らかになっていないが、建武新政期に楠木正成の一族、和田高家なるお方が築いたとの伝承があるとのことだ。
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二の丸から本丸、天守への登城口は、あともう一息の紅葉がだが、綺麗だった。
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1585年、豊臣秀吉は小出秀政を城主とし、城郭を整備、天守閣もこの時に築かれた。5層であったと言う。現天守閣は、昭和期に建造された3層3階の天守。この中で、スタンプをゲット出来る。
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平城ではあるが、そこからの眺望はかなり良かった。
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小出氏、松平氏の後、1640年、岡部宣勝が入城、以後、明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治した。天守閣は1827年に落雷で焼失、維新期には櫓・門など城郭施設が破壊されたため、近世以前の遺物は堀と石垣以外には残存していない。
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その他の見所としては、天守の目の前にある「八陣の庭」。1953年に作られたものだが、とても美しい。中国の三国時代の蜀の諸葛亮孔明の八陣法を取り入れている。即ち、大将を中心に、「天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇」であると言う。正面奥に台風の影響で大木が倒れているのが見える。
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岸和田城は、堀の外側を1周廻って、天守内の見学等をして、だいたい45分程度か。台風等の影響で、未だ、立ち入れない箇所もあったが、石垣と堀、街中に聳える天守閣など、結構、楽しめる。アクセスも楽なので、是非、訪問されたし。また、一刻も早い復興を願う。
さて、午後からは仕事だ。気を切り替えて、一旦、城巡りは終了だ。
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