サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:続100名城 > 埼玉県

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続100名城の50城目は埼玉県の菅谷館。別名は菅谷城。2018年の年末に群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡りで登城。電車でのアクセスは、東武東上線の武蔵嵐山駅から徒歩15分。車なら、館跡とセットになっている「埼玉県立嵐山史跡の博物館」に無料駐車場有り。
登城日は2018年12月28日。杉山城から車で20分も掛からなかったと思う。博物館の駐車場に止め、まずは、スタンプと館内見学。博物館裏には館跡の模型があった。
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博物館は、搦手の方にあるので、三ノ郭から入城。ここに武士や騎馬が集合していたとされる。
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菅谷館の構築時期や築城主は明らかになっていない。古代からの多くの遺跡群があるとのことだが、鎌倉時代初期の畠山重忠の館であったとされる。三ノ郭から二ノ郭へ向かう。ここも三ノ郭同様、広大だ。
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三ノ郭から二の郭へは最大6mの土塁が残っている。現地でその迫力を是非、体感頂きたい。
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二ノ郭は本郭を囲むように配置されている。畠山重忠の館自体もここにあったものと考えられている。畠山氏は1205年、時の北条氏により滅亡に追い込まれた。館跡には氏の銅像が建っている。
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その後、戦国の1488年まで歳月が流れ、山内杉内氏が菅谷城として再建、16世紀初頭まで居住した。現在残っているのが、ほとんどその時代のもので、非常に保存状態が良いとのことだ。これが本郭。
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本郭は空堀と高い土塁で防御されている。土塁は桝形に配置され、堅い守りとなっている。
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また、発掘調査の結果で復元ではあるが、木橋もあったとされる。
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菅谷館は広大ではあるが、道は綺麗に整備され、坂道もない公園のような感じなので、見所をゆっくり廻って30分程度であろう。博物館をくまなく見て1時間程度だ。現存遺物は残っていないが、分かり易い縄張りと空堀、圧倒的な土塁などが楽しめる場所だ。
この後は、「比企城館跡群」の一つで、100名城でも続100名城でもない「小倉城」(おぐらじょう)へ向かった。
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続100名城の49城目は埼玉県の杉山城。別名は初雁城。2018年の年末に群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡りで登城。電車でのアクセスは東武東上線・武蔵嵐山駅から約2.9km、徒歩で約40分。車なら、玉ノ岡中学校の体育館北側に駐車場あり、すぐに登城可能だ。
登城日は2018年12月28日。宿泊先の熊谷から車で向かう。まずは、嵐山町(らんざん)役場庁舎の玄関ホールにてスタンプをゲット。そこから移動する必要があるが、少々、駐車場がわかりにくい。現地にある案内図と資料で良くご確認されたし。ポイントとしては、ナビは玉ノ岡中学校にセットし、校内に入ってからは、小さくも案内が出ているので、徐行してゆっくりと見逃さないように進めば迷わずに行けるだろう。また、この時点ではまだ無かったが、近くに城址用の専用駐車場の土地が確保されていた。近々、出来るのではないだろうか。いくら何でも、学校の敷地内を駐車場にしておくのは、良くはないであろうし。ただ、この確保用駐車場の場所に来てしまったら、間違えていると言うことなので、引き返すのが良い。体育館前の駐車場からすぐに登城可能、登城口はこのような感じだ。
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杉山城は丘陵上に築かれた典型的な山城で、10個にも及ぶ郭が配置されている。全てを書けないが、現地に行けば、容易に10の郭が確認できるので、是非。大手口にあるのが、出郭。ここからでも本郭が見えるくらいの規模だ。
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大手口の説明版。全ての説明版では無いが、イラスト付きの解説が嬉しい。イメージが湧きやすい。
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杉山城は築城時期、築城主ともに明らかになっていない。戦国時代の初期に、関東では山内上杉氏(拠点は鉢形城)と扇谷上杉氏(拠点は河越城=川越城)の同族同士の激しい戦闘があったとされ、近年の発掘調査で、この戦いの少し後だということが分かり、山内上杉氏が扇谷上杉氏に抗するために作ったという説が有力になるつつあるとのこと。大手口から、馬出郭、南三の郭、南二の郭へ。途中、南二郭から南三郭へは食違い虎口になっている。左右の土塁が平行にずれている虎口で敵が侵入しにくくなっている。
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そして、南二郭から井戸廓へ。ここには井戸跡があり、石で塞がれている。これは危険防止のために最近置かれたものかと思ったが、廃城の際に敵に利用させないよう置かれた当時のものであるとのこと。今でも年中、水が湧いている。
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井戸郭から本郭へ行けるが、一旦、反対方向にある東二郭と東三郭へ。ここも堀と郭跡が良く残っていた。
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そして、本郭に到着。結構、広くて奥に城址碑が見える。
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本郭のメインの場所までは大手口からゆっくり見廻って約15分弱だった。各郭は勿論、虎口や土塁、堀切など見るべき箇所は多い。
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本郭からの眺望。勿論、町も見渡せるが、郭、土塁、堀が非常に良く残っているのが分かる1枚を。
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本郭の北には、北二の郭、北三の郭、そして、搦手口がある。(この3つの案内板のみ確認出来なかった。)本郭から北への虎口は、横矢掛かりで守られている。
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杉山城は山城であるが、非常にコンパクトに纏まっているので、ゆっくり廻ったが所要時間は45分程度であった。登城路も綺麗に整備されており、案内板と説明も豊富で縄張りも分かり易い。他の山城のように急な坂道をヒイヒイと苦労して行かずとも山城の特徴が掴みやすい。又、高度な築城技術が見たままにわかること、及び、それが綺麗な状態で残っていること、今後の調査によりその歴史が解明されそうであることに対する期待、ついでに、山城だが、クマやイノシシ、蛇などに対する恐れもなく、山中で迷子になる危険性も全くないこと(笑)、などで★★★★★とした。
この後は、菅谷館に向かう。加えて、この一帯は「比企城館跡群」と呼ばれており、69か所もの城館跡があることを知ってしまった。従い、予定していた杉山城、菅谷館の続100名城の2城に、城館群の中で国指定史跡である小倉城(おぐらじょう)と松山城の2城を加えることにした。そして、最後は栃木県佐野市は唐沢山城。結局、1日で5城と言うハードな日程となってしまった。
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続100名城の36城目は埼玉県の忍城(おしじょう)。別名は忍の浮き城。大宮で仕事があり、サラリーマンの制服であるスーツにワイシャツ、ネクタイ、革靴で登城出来そうな忍城に行くことにした。この日のアクセスは東京駅から熊谷まで新幹線、熊谷からは秩父鉄道の行田市駅で下車、徒歩で15分くらいで辿り着く。車なら、駐車場が2箇所あり、ラクチンに登城可能だ。
登城日は2018年11月14日。前日の夜に名古屋から熊谷まで新幹線を乗り継ぎ、宿泊。朝一で秩父鉄道に乗車、意外と本数はあるのが嬉しい。駅から行くと、メインの模擬の御三階櫓が目に入って来る。
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忍城は室町時代の1478年頃に成田氏が築城したとされる。登城口から入城して行く。
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戦国末期に豊臣秀吉の関東平定の際、石田三成の水攻めに耐えた難攻不落の名城と言われたらしい。その後、小田原城の落城により開城となる。1639年、老中の阿部忠秋が改修し、その孫の正武が御三階櫓など作ったとされる。明治維新で破却となり、今では当時から残っているものはあまり無い。櫓の石垣に使われた石はこのような形で残されている。
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また、当時を偲ぶものとしては、本丸の土塁。綺麗に整備されていた。
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現在の本丸には、行田市郷土博物館となっており、忍城はもちろん、足袋のことや行田市の歴史が展示されている。この館の入口でスタンプはゲット出来る。入城しなくても大丈夫だが、かなり、勉強できるので、時間があれば入館すると良いと思う。館内を20分程度で見廻り、伝進修館の表門と言われる門を発見。当時の武家屋敷の表門として、貴重であるとのこと。
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他には、本丸跡にある鐘楼や高麗門形式の城門、北谷門などがある。忍城だけであれば、博物館をじっくり見て棕櫚の周囲を散策しても45分程度。行田市駅からの往復なら1時間ちょっとか。 これだけでは物足りないので、時間あれば、丸墓山古墳に行くと良いと思う。日本最大級の円墳で、石田三成を大将とした忍城の戦いで三成が本陣を敷いた場所である。また、その近くには石田堤と呼ばれる、当時、築いた堤防がある。今回は時間の都合で行けなかったが、次の機会に立ち寄ってみたいと思う。
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