サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:100名城 > 佐賀県

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100名城の54城目は佐賀県の名護屋城。11月末の3連休に有休を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、3日目の2城目。電車でのアクセスは、唐津駅からバスで約40分、「名護屋城博物館入口」下車して徒歩約5分。車なら、無料の駐車場有り。
登城日は2018年11月25日。唐津城から車で約30分ほどで到着。まずは、佐賀県立名護屋城博物館にて、スタンプと展示物を勉強。入館料は無料だが、かなりの規模の建屋で、内容も充実している。主に、原始から近世の日本と朝鮮の関係、交流史がメインで、しっかり見るなら、1時間程度は掛かるであろう。また、受付で募金すれば、名護屋城の案内図が貰えるのでご確認を。
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博物館の裏手には、木下延俊の陣屋跡がある。名護屋城周辺には、有力大名の陣屋跡が残っているが、時間がない場合は、せめて、この木下陣屋を見ると良いと思う。これは、陣屋にあるトイレ跡。
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昼食を挟んで、登城開始。城址入口の案内所で多分、100円ほどだったかを払うと、おススメ散策ガイド、ガイドマップが貰えるので、是非。
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登城は城の正面入口の大手口から。右側に櫓台があり、緩やかな登りの一直線の道がある。登城坂だ。尚、博物館からここまでの道は太閤道と呼ばれている。
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登り切ると右手に東出丸という曲輪がある。
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左に行けば、すぐに三の丸に到着する。ここから本丸、二の丸に行くことが出来る。井戸の跡もあり。
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名護屋城は、豊臣秀吉の天下統一後、中国大陸進出の前線基地として、1591年、九州の諸大名に命じて築城された。その本丸は広大さに圧倒される。
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本丸には、後の世に作られた東郷平八郎や青木月斗の碑があるが、何と言っても、天守台と多聞櫓跡が必見だ。まずは、多聞櫓跡。全長55m、幅8mであったと言う。
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広大な名護屋城だが、突貫工事で僅か5ヶ月で完成した。巨大な五重天守が建っていたが、それは、天守台に登ればわかる。
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そして、天守台からの眺望も素晴らしかった。
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朝鮮出兵のための急造の城ではあるが、約17万㎡にも及び、全てを散策するのも、Blogに書くのも結構、大変。印象に残ったものを幾つか。。。
まずは、二の丸の西側にある110mの石垣と合坂。(合坂=上り下りしやすくする石段)
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あまり、人が行かないであろう搦手口。
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名護屋城は豪華絢爛な城で、参集した諸将は周囲に陣屋を構え、その数は約130と言われる。だが、1599年に秀吉が没すると、朝鮮出兵は中止となる。関ヶ原後に唐津城築城の際に一部の資材が使用されたと言われている。そして、1615年の一国一城令により、名護屋城は廃城となる。今では、その本丸の石垣も崩落しつつある。危険が無いのであれば、人為的に修繕せずに、時に流れに任せてもらいたいとも感じる。
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名護屋城は気軽に登城が出来る名城で、その歴史的価値や整備状況、高石垣や曲輪などの見所が多い点、天守台からの眺望の良さ、博物館の内容の良さや料金、周囲の陣屋など、様々な点から、当然の★★★★★。博物館見て、全てを廻るなら、2時間は必要だ。だが、肉体的に疲労するような坂道とかは無いので、ご安心を。
この後、この日最後の平戸城へ向かう。
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100名城の53城目は佐賀県の佐賀城。別名は栄城、沈み城、亀甲城。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、2日目の3城目。佐賀城へのアクセスは、電車は、JR佐賀駅から徒歩25分、バスなら、城址近くまで行けるのでご確認されたし。車は、城址に無料駐車場が複数個所あるので便利だ。
登城日は2018年11月24日。吉野ケ里から数十分で到着。城址目の前の駐車場に止める。すぐに、国の重要文化財である鯱の門、続櫓が見える。1835年の大火の後、本丸の門として建立されたもので、1838年6月に完成した。
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この門は鯱で有名であるが、明治期に入った1874年の佐賀の乱での銃弾痕が残っていることでも知られている。
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忘れてはいけない鯱はこんな感じだ。かわいい。
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佐賀城は、1608年、龍造寺氏の居城であった村中城を、家臣の鍋島直茂・勝茂親子が改修・拡張して築城した。当時は四重五階の天守も建てられた。残念ながら消失してしまい、現在は天守台が残る。
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同じく、消失した本丸御殿は平成16年に再建された。十代藩主であった鍋島直正が再建した天保期のそれを忠実に再現したもので、現在は佐賀城本丸歴史館となっている。ここの受付にてスタンプがゲット出来る。
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歴史館では、佐賀城や佐賀藩に関する資料や展示物があり、御殿内部の作りも当時の雰囲気を醸し出している。中でも、鍋島さんの人形、少々、寂しさを感じざるを得ないが。。。。
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他の見所としては、石垣と外堀である。特に外堀は広大で、たまたま夕日に映えて美しかった。
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佐賀城は広くはないので、歴史館でじっくり勉強して見所を廻っても1時間程度で十分であろう。城の歴史の中で、江戸期よりも明治維新以降のことが中心になっている気がした。
これにて、4日間11城の九州城巡り旅行、2日目が終了、折り返しの6城を制覇。この日は佐賀市内に宿泊、行く実は佐賀市から唐津へ向かい、その後、長崎へ向かう道程だ。
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100名城の52城目は佐賀県の吉野ヶ里遺跡。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、2日目の2城目。吉野ヶ里遺跡へのアクセスは、電車はJR鳥栖駅から長崎本線で、JR吉野ヶ里公園駅、又は、JR神埼駅下車で徒歩約15分。車なら、吉野ケ里歴史公園に有料の広大な駐車場がある。
登城日は2018年11月24日。久留米城から向かい、30分程度で到着。東口の券売機付近にてスタンプをゲット。快晴で気温も高く、絶好の登城日和。早速、ゆるキャラのお出迎え。
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吉野ケ里は、紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代の環濠集落である。大陸から伝来した稲作が盛んになると、水や土地を奪い合う争いが始まり、集落周辺にはこのような逆茂木と言われる乱杭を作り、防御したとされる。
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また、大きな濠を掘り、その土で土塁を作り、土塁の上には木の柵を設けて防御をしていた。「土から成る」=「城」の語源となったとされる。
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環濠の出入り口や倉庫などの重要な場所、施設を監視する物見櫓の存在も発掘調査で確認されている。かなりの広範囲を見渡すことが出来た。
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見所の一つとしては北内郭。柵に囲まれており、迷路みたいな通路を行く。重要な祭りごとを決める神聖な場所だ。
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北内郭の内部では重要事項を諮っている様子が、人形で表現されている。
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北があれば、南あり。南内郭は、王や権力者が住んでいたとされる場所だ。
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他には、村の住居や建物、集落の歴代の王が埋葬されている墓と考えられている北墳丘墓。外観が復元され、墳丘墓の内部では14基の本物の甕棺や出土品の展示、解説がある。これは本物とのこと。穴にある甕(かめ)に遺体を収納していた。

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吉野ケ里は見所が多いので、施設等の見学もして、隈なく廻ると最低でも1.5時間くらいは必要か。広大な公園をゆっくりと散策しながら、弥生期に思いを馳せて見学するのが良いであろう。
この後、この日最後の佐賀城へ向かう。
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