サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:続100名城 > 神奈川県

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続100名城の66城目は神奈川県の小机城。別名は飯田城、根古屋城。電車でのアクセスはJR小机駅から徒歩10分。車は城址付近に駐車場は無いので小机駅周辺のコインパーキングを利用するのが良いと思う。
登城日は2018年8月25日。まずは、小机駅前にある横浜城郷小机地区センターでスタンプをゲット。猛暑の中、駅から歩くこと10分少々ほど、住宅街を抜けて大手口から登城。山城ではあるが、城内はただの森で特に急な登りもないのできつくはない。
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小机城の築城時期は定かでは無い。記録で確認できるのは、1478年の長尾景春の乱で、江戸城を築城した太田道灌に攻められ、籠城の末に落城したとある。東西2つの曲輪から成るが、どちらが主郭であるかは、特定できていない。取り敢えず、想定本丸跡の城址碑を。ちなみに、ここは野球の練習場になってしまっている。
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広く深い空堀はしっかりと残っている。城内の見所の一つだ。
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落城後は廃城となったが、1524年に小田原北条氏が江戸城攻略の為に再構築したと考えられている。矢倉跡が残るが、特に何も無い。
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暫くは北条氏が城主となったが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際には、合戦もなく落城、その後の徳川家康の関東入府の際に廃城となった。そのためか、曲輪にある土塁も状態良く残っている。
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二の丸とされている場所も特に何もない。
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一番印象的だったのが、竹林。綺麗に整備、保護されているのがわかる。
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小机城は山城だが、広くは無いし、急な坂も無いので、気軽に登城出来るので、小机駅からの往復でも1時間程度と思う。曲輪、空堀、土塁あたりが見所だ。もう少し、発掘調査してもらい、城址の全容がわかるようになればと思う。
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続100名城の42城目は神奈川県の石垣山城。別名は石垣山一夜城。お城EXPO2018に行った翌日に登城する。アクセスは電車であれば、JR早川駅(JR小田原駅から1駅)から、石垣山農道で徒歩約40分。道中はかなり厳しいので、タクシー(1090円とあり。)が良いと思う。車は城址目の前に無料駐車場有り。
登城日は2018年12月23日。朝、小田原から電車でJR早川駅へ。そこから約3kmの農道を歩く。緩やかな登り道が永遠と続き、30分弱で何とか城址に到着。この冬場でも汗をかくぐらいだったので、夏場は相当厳しいだろう。また、農道ではない広い道でも徒歩で2㎞で到着できるが、こちらはかなりの勾配だ。やはり、車かタクシーがお勧めだ。尚、帰りは広い道(駐車場へ行く舗装された道)で早川駅まで約2㎞だったが、馬なりで走って下れ、20分程度だった。
実は、今までの120城制覇で、雨が降ったことはほぼ無かった(豪雨で断念した美濃金山城のみ)のだが、この日は生憎の雨、それは致し方無いのだが、傘を忘れてしまい、20分ほど雨宿りを強いられることに。待機した場所は、スタンプが設置されている駐車場トイレ。ようやく、小降りになったところで、登城開始。
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登城口の奥左手に南曲輪の石垣がある。部分的に崩れているが、規模の大きさに驚く。
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1590年、時の関白豊臣秀吉は小田原北条氏を攻めることを決める。同年4月6日にここ笠懸山(石垣山)に築城を開始、わずか、80日後の6月26日に完成、秀吉は本陣を石垣山城に移したとされる。このような短期間で築かれた石垣類には驚く。馬屋曲輪の石垣。野面積みで全長67m、高さは最大の場所で6mと言う。
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登城後、5分ばかりしたところで雨が激しくなり、再び、雨宿り。今度は40分ばかり、二の丸の休憩所で待機となる。なぜ、傘を忘れたのか。。。名古屋から持参した傘は、今は、キャリーバッグとともに小田原駅のロッカーの中だ。。。結局、最初との合計で1時間のロス。この日は2城の予定で時間的余裕があったから良かったものの、やはり、山城に行く時は傘も含めて、準備はちゃんとすべきと改めて実感。ようやく、雨がやみ、再開。広大な二の丸はちゃんと整備されており、綺麗だった。
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そして、メインの本丸へ。まずは、すぐ右手にある本丸跡の様子。
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左手には物見台跡があるが、展望台が設置されており、小田原城が肉眼で確認できる。石垣山城が、俗に石垣山一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、小田原城から見えないようにし、また、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造って白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われている。それは、例えば、「小田原城を遮る大樹を悉く切る。小田原城中より是を見て、笠懸山に附城一夜に成就せるに驚く。」(大三川誌)や、「面向きの松の枝ども切すかしければ、小田原勢肝をつぶし、こはかの関白は天狗か神か、かように一夜の中に見事なる館出来けるぞや。」(北条記)とあり、後の世に一夜城の伝説となったものとされる。いずれにしても、短期間で大量動員し、作り上げた秀吉の権威と財力に参ってしまったと言うことであろう。
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本丸には天守台跡が残っているが、実際に天守が築かれたかどうかはわかっていない。台の石垣は崩れつつある状態だった。
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石垣山城の最大の見所は、何と言っても、「井戸曲輪跡の石垣」と思う。二の丸から25m下にあり、その野面積の石垣は城内で最も当時の状態を保っていると言う。
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また、高い石垣で築城された東国で最初の城であり、石垣は西国から穴太衆(あのうしゅう)と言う石加工の職人衆を集めて、施工されたことが確認されている。
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その他に、櫓台跡、西曲輪跡、南曲輪跡など見所は多かった。登城口からの往復で全部見廻って、45分程度といったところ。JR早川駅から徒歩での往復であれば、1時間半から2時間は必要だ。
車限定ながらアクセスがし易いこと、綺麗に整備された登城路や曲輪跡、各種案内板の豊富さ、未だに残っている貴重な石垣類、更に、実際に小田原城が肉眼で確認できると言う歴史を感じられることなど、本来であれば、★★★★★なのだが、現存する建築物が無いのが残念で、★4つとした。この後は、八王子は滝山城に向かう。思わず時間が掛かり、急ぎ、下り道をジョギングしながら早川駅へ向かった。
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