サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:100名城 > 愛媛県

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100名城の72城目は愛媛県の今治城。別名は、吹揚城、美須賀城。2019年1月の3連休を利用して、四国(愛媛、香川県)の100名城・続100名城の10城を巡る旅で、7城目。電車でのアクセスは、JR予讃線の今治駅から、せとうちバスで「今治城前」下車で約10分。車なら、城址目の前に有料駐車場がある。
登城日は2019年1月13日。河後森城能島城の続く3城目。能島城からは30分程度で到着、城址前の駐車場に止め、少し周囲を廻る。この城は水堀が特徴的だからだ。平城ながら海城で、水堀には海水を引いて来ている。模擬天守の5重6階の天守と山里櫓、石垣、水堀のセットだ。水面(海面?)に反射した姿が美しく、お気に入りの1枚。
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今治城は1602年に、関ヶ原の戦いでの戦功で伊予半国20万石を領した藤堂高虎が瀬戸内海に面した海岸に築いた平城で、1613年頃に完成したとされる。入城すると、鉄御門があるが、その手間に高麗門があり、写真のグレーの部分がその袖塀の石垣の跡である。この門を突破しても、鉄御門と多聞櫓があり桝形で囲まれてしまう虎口になっている。

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入口正面には、権威を示す巨石(鏡石)がある。当時の築城奉行であった渡辺勘兵衛なる方に因んで、「勘兵衛石」と呼ばれていた。
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三の丸の表門であった鉄御門。再建物であるのが、残念。キレイ過ぎる。
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但し、発掘調査により、2つの楚石は残っている。
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二の丸には藤堂高虎の勇姿が、天守と映える良い撮影スポットになっている。
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城内には日本初の層塔型の五重天守が存在したと言われるが、天守台が無いので、実在したかは定かでは無いとのことだ。城の完成直後に高虎が伊勢・伊賀に国替えとなり、天守は伊賀上野城に移築する目的で解体されたが、1610年、丹波亀山城の築城の際、徳川家康に献上されて移築されたという。藤堂氏の国替え以降の城主は松平氏となり、その後、明治に至った。
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天守閣内にてスタンプをゲット。展示物で勉強しながら、最上階へ。そこからの眺望は夕日に映え、良かった。水堀や縄張りも良く分かる。
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日本三大水城(今治城、高松城、中津城)とも言われており、水堀の外側に海水口がある。ここから満潮時には海水が堀に入って来る。
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今治城は広くは無いが、紹介した見所に加えて、3つの櫓内での展示物もあり、ゆっくり見廻り、1時間ちょっとであった。現存遺物(建物)がほぼ残っていないし、天守が本当にあったのか否かが確認されていないなど、少々残念ではあるが、やはり、この水堀は壮大で、この地域の水軍の基地であったことを感じることが出来た。
これにて、2019年1月3連休の2日目の城巡りは終了。この後、丸亀市内まで移動し、翌日最終日は、丸亀城(現存12天守)、高松城(日本三大海城)、引田城の3城だ。
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100名城の71城目は愛媛県の宇和島城。別名は、鶴島城。2019年1月の3連休を利用して、四国(愛媛、香川県)の100名城・続100名城の10城を巡る。電車でのアクセスは、JR宇和島駅から徒歩で登城口まで約10分。車なら、登城口の桑折(こおり)氏武家長屋門の前に、有料駐車場がある。
登城日は2019年1月12日。午前中に松山城湯築城の2城、午後は大洲城宇和島城だ。桑折氏武家長屋門からの登城。この門は移築されたもので、数少ない武家屋敷だ。
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登城路の石垣を眺めながら、緩やかな石段を上がって行く。宇和島城は中世の城の跡地に、1596年、築城の名手・藤堂高虎が自身初の居城として改修に着手、1601年に天守が完成した。
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城内にある3つの井戸の一つ、最も重要視された井戸が井戸丸跡として残っている。
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本丸に侵入する際に通る三の門跡。
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ここを過ぎると、高石垣の上に天守が見えて来る。高虎が作った天守は3重3階の望楼型。その後、入った伊達宗利が、1676年に現在残る3重3階の層塔型天守へと建替えた。
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1603年の関ヶ原後に多くなった層塔型天守は装飾性が重視されている。
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スタンプは天守内にある。天守から見える本丸。一部は工事中であった。
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眺望は素晴らしいの一言。晴天であれば、と思うが、爽快な気分になった。
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時間の都合もあり、城から下ることにする。途中で通った式部丸は、石垣崩落でカバーが掛かっていた。
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式部丸跡から搦手道で降りる。最後は、上り立ち門。武家の正門とされる薬医門形式で、現存する薬医門としては、最大級且つ最古である可能性のある門だとのこと。
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宇和島城は山城なので、緩やかな登り道を行くが厳しさは無い。山麓からの往復で1時間くらいだった。小さいが貴重な現存天守をしっかり保存しているのが印象的だった。
これにて、四国の100名城、続100名城の旅の初日が終了。愛媛の100名城4つを予定通り、廻ることが出来た。この日は、宇和島市内に宿泊、翌日は愛媛県の残りの3城を廻る。計7城で愛媛県は制覇となる。
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100名城の70城目は愛媛県の大洲城(おおずじょう)。2019年1月の3連休を利用して、四国(愛媛、香川県)の100名城・続100名城の10城を巡る。電車でのアクセスは、JR大洲駅からタクシーで約5分、徒歩なら約20分。車なら、城址前に有料の市民会館駐車場がある。
登城日は2019年1月12日。午前中に松山城湯築城に登城、昼食を挟んで2時間弱で到着、市民会館駐車場から向かう。すぐに、高石垣と土塀の上に再建された天守が見えて来る。
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大洲城は、14世紀前半に伊予国の守護であった宇都宮豊房が築いた地蔵ヶ岳城が起源とされる。登城していくと間もなく、天守(真ん中)、高欄櫓(左手前)、台所櫓(右奥)が聳えている。
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豊臣秀吉の四国平定後、小早川隆景、藤堂高虎、脇坂安治などが城主となった。近代城郭にしてのは、高虎と言われており、脇坂安治に治世に4重4層の天守が建ったとされる。その天守に至るには、暗がり門という最後で城内最大の櫓門を抜けなくてはならない。このあたりが暗がり門跡である。
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天守は1888年まで現存していたが取り壊され、2004年に復元された。資料に基づき、伝統工法を用いて木造で復元された初の四重天守とのこと。スタンプのある右の台所櫓は1857年の安政の大地震で大破し、その2年後に再建されたもので、国の重要文化財だ。左の高欄櫓も同様に、地震で崩壊し、1859年に再建されたもの、これも重文である。
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台所櫓内にある復元模型。精密に出来ており、城の様子が良く分かる。
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眺望は残念ながら、雨でこんな感じだった。晴天であれば、もっと良いと思う。
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忘れてはいけないのが、二の丸にある苧綿櫓(おわたやぐら)。この時は修理中であった。1843年に再建されたもので、国の重要文化財。
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ここからは、肘川近くの標高20mの地蔵ヶ嶽に築城されたのが良く分かる。
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その他の見所は、これまた、重要文化財である三の丸南隅櫓や下台所などがある。下の写真は下台所で、現存物である。食糧庫であった。
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大洲城は三の丸以外の全ての見所を廻って約40分程度であった。城内は非常に綺麗に整備されており、現存する櫓は貴重だ。
この後は、この日最後の宇和島城へ向かう。現存12天守の一つだ。
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100名城の69城目は愛媛県の湯築城。別名は、湯月城。2019年1月の3連休を利用して、四国(愛媛、香川県)の100名城・続100名城の10城を巡る。電車でのアクセスは、JR松山駅から路面電車で道後公園駅まで約20分。車なら、城址に有料パーキングがある。
登城日は2019年1月12日。朝一で松山城に登城、その後、車で数分で到着。
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スタンプは城址内にある湯築城資料館にて。館員の方の丁寧な説明やビデオを鑑賞し、散策開始。南北朝時代の14世紀中頃に、河野氏が築城したとされる。丘陵部と平地部からなる城郭で、平地には当時の武家屋敷が復元されている。
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戦国期の1535年、河野通直が二重の堀(内堀、外堀)と土塁を作り、現在の形を完成させる。内堀の土塁がしっかりと残っている。
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外堀の土塁は展示室になっており、その高さを感じることが出来る。
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内堀はこのような感じで、秋には紅葉が綺麗ではないかと思わせる。一種の景勝地の雰囲気。土坑(ゴミ捨て場)や排水溝、遮断土塁(外と内の土塁が最も近接した箇所で、外から見えないようにし、防御を固めている土塁。)などが残っている。
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1585年、豊臣秀吉の四国攻めによって河野氏は小早川隆景に降伏、400年に及ぶ河野氏の伊予支配が終焉する。その後、福島正則が城主となったが、国分山城に居城を移し、廃城となる。丘陵には展望台があり、そのあたりが本壇であったとされる。高くは無いので、簡単に登ることが出来る。
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また、松山城築城の際には、湯築城の資材が利用されたことが明らかになっている。晴れていれば、もっと良い眺望が拝めるに違いない。
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登城から、平地部と丘陵部の散策で40分程度もあれば十分であろう。松山城を見ているがゆえに、物足りなさを感じざるを得ないが、綺麗に整備された公園、地元の方の熱心さは感じられる場所だ。
この後は、100名城の大洲城へ向かう。松山市内からさほど遠くなく、1時間半程度のドライブだ。
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100名城の68城目は愛媛県の松山城。別名は、勝山城、金亀城。2019年1月の3連休を利用して、四国(愛媛、香川県)の100名城・続100名城の10城を巡る。電車でのアクセスは、伊予鉄道の松山市駅から徒歩10分、JR松山駅からは徒歩15分。他に、市内電車でもアクセス可能。車なら、周辺に有料駐車場が複数、ちょっと離れているが、コインパーキングも多くあり。
登城日は2019年1月12日。3連休の前日に空路にて松山に入り、初日の朝、1城目だ。城下からは、ロープウェイ・リフトでの登城も可能だが、徒歩での登城を選択、東雲口登城道からだ。築城主で初代城主の加藤嘉明の銅像が登城口にある。東雲神社を過ぎると、ロープウェイやリフトを眺めることになる。登城開始して約10分少々で長者ヶ平というロープウェイ・リフトの終着駅に着く。登り道を行くので、時間が無い人や夏場などは楽した方が良いかも知れない。そこから少しで、本丸の壮大な高くて急な石垣が見えて来る。隠門続櫓下の石垣だ。
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そして、楽しみにしていた本丸への登城。まずは、大手登城にある高麗門の戸無門(重文)。1624年頃の当時から戸が無かったとされ、1800年に建て替えられたという札が残っている。上に見えるのは筒井門西続櫓、ここから攻撃されるので、戸が無くても大丈夫と言うことか。さらに、左背後には太鼓櫓があり、ここからも攻撃される。
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戸無門を過ぎると、筒井門と隠門(重文)、その櫓がある。筒井門は再建物であるが、隠門は現存物、築城時のままである。下の写真は、運良くこの門を突破できたとしての内側からのもの。右から筒井門西続櫓、筒井門、筒井門東続櫓、隠門、隠門続櫓(重文)の構成。最初に侵入する戸無門は右奥。敵は筒井門の突破を目指すが、その奥にある隠門から奇襲できるようになっている。現地で、是非、この防御の工夫を感じて頂きたいと思う。
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ここを突破して、本丸に入るには、太鼓櫓が待ち構えている。広い本丸を抜け、そして、ようやく、本壇(天守がある場所)が見えて来る。
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松山城の築城は、1602年。豊臣秀吉の家臣であった加藤嘉明が、標高132mの勝山に五重天守を持つ本丸を置き、山麓に居住空間としての二の丸を作った。天守は姫路城などと同じく連立式天守。勿論、現存天守だ。加藤嘉明の後、蒲生氏、松平定行が城主となったが、五重天守は定行の時に、三重三階地下一階に縮小された。現在のものは、1784年の落雷によって消失し、70年後の1852年に再建されたもの。
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天守内部の入口にてスタンプをゲット。外を眺めると、完全に囲んでいる様子が分かる。
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上から見ると、凄く、その防御が分かる。ちょっと、やり過ぎでは?と思うくらいだ。
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天気が良ければ、もっと良い眺望に違いない。この日は霧発生で、ほとんど見えず。
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天守を下り、下山するが、人気の無い天守の裏側に向かう。ほぼ誰もいない中で、高石垣を堪能出来る。
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帰りは県庁裏登城路がお勧めだ。現地でもあまりPRされていない気がしたが、山麓にある二の丸と山上の本丸を繋ぐ登り石垣はこの道で見れる。日本最大規模とのことなので、見逃さないで欲しい。やや緑が元気であったが、その壮大さに驚くと思う。
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下山して、県庁の駐車場か広場から1枚。見えにくいが、二の丸と天守のショット。
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この他にも見所は多過ぎて、書き切れない。大天守、小天守含む21個の重要文化財、壮大な石垣、井戸や土塀、水堀等、全て見るなら、急いでも往復2時間は必要であろう。松山城は、是非、自分が「攻める」気になって、登城すると面白いと思う。建造物類の貴重性、登城路(一部、閉鎖中)の整備状態の良さ、ロープウェイなどで簡単に登城できるようにしていること、説明版の充実度なども加味して、当然の★★★★★。
天気が良ければ良かったのだが、これだけはどうにもならない。名残惜しみつつ、次はすぐ近くの道後温泉にある湯築城に向かう。
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