100名城の74城目は香川県の高松城。別名は、玉藻城。2019年1月の3連休を利用して、四国(愛媛、香川県)の100名城・続100名城の10城を巡る旅で、ラス前の9城目。電車でのアクセスは、JR高松駅から徒歩約5分。車なら、城址入口に無料の玉藻公園駐車場があり、いずれも、楽チンに登城できる。
登城日は2019年1月14日。朝一に登城した丸亀城から車で1時間弱で到着。玉藻公園駐車場は東口で、旭橋と旭門からの登城となる。
旭橋を渡りながら見えるのが中堀。高松城は中堀、外堀、内掘に海水を引き込んでおり、よって、日本三大水城の一つである。この一帯は、玉藻公園となっており、入城するには200円で有料だ。東入口で入城料を払い、スタンプをゲット、序でにパンフレットも。すぐに巨石で作られた桝形が確認出来るので、是非、現地にて。
高松城は、1587年に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が築城した。3年後の1590年に完成、併せてこの地を高松とした。桝形の南側には、現存の艮櫓(うしとらやぐら)がある。1677年に完成、元々は太鼓櫓があった場所であるが、昭和期に移築され、今の場所にある。
桜の馬場、桜御門跡を進むと、重要文化財の披雲閣がある。元々は、藩の政庁や藩主の住居であったが、明治期に取り壊され、現在のものは、大正期の1917年に作られたものとのこと。ここの庭園は国の名勝にもなっている。
庭園を抜けると右側に、月見櫓(左)、水手御門(真ん中)、渡櫓(右)の3点セットが現れる。現存している建築物で1676年に完成。水手御門は、この門から直接、海出て行く海城独自のもので、現存では唯一である。残念ながら、ご覧の通り、堀に水は無かった。
生駒氏の治世は4代54年に及んだが、1640年に生駒騒動と言われるお家騒動で、領地を召し上げられ、その後、松平頼重が入城する。渡櫓の石垣には生駒家から松平家へ引き継がれた石垣の継ぎ足しが残っている。
二の丸に向かう途中に、水門がある。堀と海が繋がっているので、潮の干満の水位調節のためのもの。ここで、城釣り(?)が出来、海の魚も釣れるとのことだ。
二の丸から鞘橋と言う橋を渡ると、本丸に着く。1884年に取り壊されたが、平成期に修復された天守台跡がある。
天守台からの鞘橋と二の丸。ここは内堀や瀬戸内海も眺めることが出来る。
生駒氏時代の天守は3重であったとされるが、松平氏が取り壊し、1670年に小倉城の天守を模したとされる3重5階(3重4階+地下1階)を築造した。当時、四国内で最大であったとされる。発掘調査により、地下の存在が明らかになった。
高松城はさほど大きくは無いので、全ての見所を廻っても1時間あれば十分であろう。珍しい水城で縄張りも分かり易く、案内もままあり、現存物も残っているので、是非、訪れたいと思わせる城であった。
この後は、この四国10城巡り旅行の大ラス、10城目の引田城へ向かう。
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登城日は2019年1月14日。朝一に登城した丸亀城から車で1時間弱で到着。玉藻公園駐車場は東口で、旭橋と旭門からの登城となる。
旭橋を渡りながら見えるのが中堀。高松城は中堀、外堀、内掘に海水を引き込んでおり、よって、日本三大水城の一つである。この一帯は、玉藻公園となっており、入城するには200円で有料だ。東入口で入城料を払い、スタンプをゲット、序でにパンフレットも。すぐに巨石で作られた桝形が確認出来るので、是非、現地にて。
高松城は、1587年に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が築城した。3年後の1590年に完成、併せてこの地を高松とした。桝形の南側には、現存の艮櫓(うしとらやぐら)がある。1677年に完成、元々は太鼓櫓があった場所であるが、昭和期に移築され、今の場所にある。
桜の馬場、桜御門跡を進むと、重要文化財の披雲閣がある。元々は、藩の政庁や藩主の住居であったが、明治期に取り壊され、現在のものは、大正期の1917年に作られたものとのこと。ここの庭園は国の名勝にもなっている。
庭園を抜けると右側に、月見櫓(左)、水手御門(真ん中)、渡櫓(右)の3点セットが現れる。現存している建築物で1676年に完成。水手御門は、この門から直接、海出て行く海城独自のもので、現存では唯一である。残念ながら、ご覧の通り、堀に水は無かった。
生駒氏の治世は4代54年に及んだが、1640年に生駒騒動と言われるお家騒動で、領地を召し上げられ、その後、松平頼重が入城する。渡櫓の石垣には生駒家から松平家へ引き継がれた石垣の継ぎ足しが残っている。
二の丸に向かう途中に、水門がある。堀と海が繋がっているので、潮の干満の水位調節のためのもの。ここで、城釣り(?)が出来、海の魚も釣れるとのことだ。
二の丸から鞘橋と言う橋を渡ると、本丸に着く。1884年に取り壊されたが、平成期に修復された天守台跡がある。
天守台からの鞘橋と二の丸。ここは内堀や瀬戸内海も眺めることが出来る。
生駒氏時代の天守は3重であったとされるが、松平氏が取り壊し、1670年に小倉城の天守を模したとされる3重5階(3重4階+地下1階)を築造した。当時、四国内で最大であったとされる。発掘調査により、地下の存在が明らかになった。
高松城はさほど大きくは無いので、全ての見所を廻っても1時間あれば十分であろう。珍しい水城で縄張りも分かり易く、案内もままあり、現存物も残っているので、是非、訪れたいと思わせる城であった。
この後は、この四国10城巡り旅行の大ラス、10城目の引田城へ向かう。
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