サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

カテゴリ:続100名城 > 徳島県

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続100名城の77城目は徳島県の勝瑞城(しょうずいじょう)。別名は阿波屋形、下屋形、勝瑞屋形。アクセスは電車はJR勝瑞駅から徒歩10分。車は、勝瑞城館跡の中に無料の広い駐車場有り。
登城日は2019年4月13日。3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅の2日日の3城目。徳島城一宮城と訪問後、途中、徳島ラーメンの昼食を挟んで車で1時間半ほどで到着。まずは、城址近くにある武田石油さんで満タン給油に、スタンプをゲット。館跡の駐車場から登城開始。ここは、勝瑞館跡勝瑞城跡の2箇所に分かれている点に注意が必要、まずは館跡から。
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第一印象は、街中にあるだだっ広い空き地みたいで、ここに大きなスーパーでも作るのではないか?とも思わせる。現地では親切な説明版や、こういったアニメものもあり、頑張っている点に感心。
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勝瑞館の建設時期は定かでは無い。ここには室町時代に阿波守護の細川氏の守護所が置かれていたとされ、戦国時代に阿波を支配した三好氏の居館跡と推定されている。発掘調査により、当時の建物の礎石跡と水堀の跡が確認されている。
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これは城内の区画の溝跡。この時点ではまだ発掘調査中であることもあるのか、城内の説明版にはその様子が記載されている。

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枯山水庭園という庭園跡も発掘されている。庭園のすぐそばには建物跡も確認されており、この庭園を眺めるためのものであったのではないかと考えられている。
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館跡としては、結構、広大な敷地。だが、あまり、復元物がないので、今後に期待と言ったところ。
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大きな通りを渡った方に、勝瑞城跡があるが、現在は見性寺(けんしょうじ)の境内になっている。城は土佐の長曾我部氏の侵攻に備えるために築城されたとされる。1582年に長曾我部氏により落城、1585年に豊臣秀吉の配下の蜂須賀氏が入ると、一宮城と同様に衰退して行く。境内には、三好氏の盛衰を記した勝瑞義家の碑がある。
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城内で僅かに現存している土塁。当時はこの周囲が大規模な土塁で囲われていたとのこと。
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勝瑞城は正直なところ、15分程度もあれば、十分かと思うが、発掘場所には丁寧な説明版もあるので、それをじっくりと読むのが良いと思う。まだ、発掘継続中なので、今後の結果に期待したいと思う。
これで、この日は終了。徳島から、一気に高知へ向かう。勿論、翌日は高知城からだ。
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続100名城の76城目は徳島県の一宮城。電車でのアクセスはJR徳島駅から徳島バスで「一の宮礼所前」で下車、徒歩ですぐに登城口に着く。車は、一の宮大日寺の無料駐車場が利用可能だ。
登城日は2019年4月13日。3日間で大阪と四国の100名城&続100名城を巡る旅の2日日の2城目、徳島城から向かい、車で約30分ほどで到着。近くの大日寺に駐車し、登城開始。登城口には案内板、パンフレットに加えて、スタンプがある。
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実際の登城口はこのような感じ。「一宮城址登山口」とあり、簡単な登山、夏場などは水分等の準備をしてからの登城が必要と思う。道自体は整備されているので、登り易いが、最初はまま急な階段を行くことになる。
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一宮城の築城主は小笠原長宗で、南北朝時代の1338年とされる。後に、小笠原長宗は一宮氏を名乗り、以降、12代まで城主となった。途中、倉庫跡や畑跡を見て行くこと、約15分弱で才蔵丸跡の虎口に到着。ここまで来ると比較的平らな道を行くので、ツラさは無いと思う。
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その後、一宮氏は細川氏の家臣となり、戦国の世では細川氏の重臣であった三好氏に仕えた。才蔵丸から明神丸へは数分で着く。ここからの眺望は絶景だった。
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明神丸を後にして、楽しみにしていた本丸へ。いきなり、石垣の虎口が現れる。1582年に長曾我部氏が阿波を支配し、一宮氏は滅亡。それから間もない1585年、豊臣秀吉の四国平定で一宮城に蜂須賀氏が入るが、すぐに徳島城を築城、この地は支城となった。本丸に残るこの石垣は蜂須賀氏が作ったと言われている。
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その後、一国一城で廃城となる。この石垣は非常に良く残っており、城内で唯一である。
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ここが本丸跡。眺望も素晴らしく、登ってきて良かったと思わせる。
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一息入れて、本丸を後にして、小倉丸へ。ここには土塁と櫓台跡が残っている。
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残る曲輪は椎の丸と水の手丸の2つ。小倉丸からは椎の丸を経由して水の手丸に抜けるルートと直接、水の手丸のみに行くルートがあるが、前者は難所があるとの現地板の説明あり、安全のため、後者を選択し、下山することにした。途中、迫力ある空堀や堀切があるので、楽しみながら歩けた。
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最後の水の手丸に到着。土塁が良く残っていたし、眺望も良かった。本丸から先は人もおらず、やや獣が出そうな雰囲気が有るが、開けているので心配は無いと思う。
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一宮城は、登城口から、北の才蔵丸・明神丸・本丸の3つの曲輪、南の小倉丸・椎の丸・水の手丸を見廻って下山するまで、1時間半程度は必要と思う。各曲輪がしっかりと残っており、本丸の石垣は圧巻、登城路も整備されており、案内板もあるので、登城し易い山城だと思う。また、眺望も絶景なので、晴れの日に訪れたい城址だ。
この後は、この日最後の勝瑞城(しょうずいじょう)へ向かった。徳島城、一宮城と1日でまとめて廻れれるので、旅行計画の際には是非、検討してもらえれば。
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