続100名城の81城目は福島県の向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)。別名は岩崎城、巌館。アクセスは電車では、JR会津本郷駅から徒歩約30分。車なら、城址前に無料駐車場が有る。
登城日は2019年4月28日。10連休という滅多に無い機会を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の初日、計2城目だ。三春城から車で向かうこと、1時間も掛からずに向羽黒山城整備資料室に到着。室内でべ学習し、入り口でスタンプを押印するが、そこには熊の出没情報の記載あり、ちょっと重たい気分なるも、取り敢えず、登城口に向かった。城址入口の目の前に駐車場が有るのは有り難いが、登城口には、「熊出没中」とある。「出没注意」ではなく、「出没中」なので、「いるってことか!」と思い、リュックとズボンにダブルで鈴をつけて、いざ、スタート。
向羽黒山城は、1561年、鎌倉期からこの地の有力大名であった蘆名氏(あしなし)の盛氏が隠居城として築城した。登城開始後、やや急な道を行くが、基本的にちゃんと整備されているので、問題は無かろう。すぐに、圧倒される堀跡に出会うことになる。
わずか10分も掛からずに一の曲輪(本丸)の虎口に到着したのは良いが、ここで山麓から警察の大音量が流れる。耳を澄まして聞くと、どうやら、つい先ほど、この周辺の山中で熊発見の一報があったとのこと。やはり、この地方には、クマさんがいるのだなあ、と実感。
この隠居城はすぐに廃城となってしまい、蘆名氏が滅亡すると、伊達氏、蒲生氏が入るが、1598年に上杉景勝に与えられる。その時に城の大改修を実施したとされる。一の曲輪、いわゆる本丸に到着。岩崎山の山頂であり、標高は408m。あの春日山城を凌ぐと言われる規模は、ここでも感じることが出来た。
最終的に、上杉景勝は徳川家康の命により米沢へ移封となり、1601年に向羽黒山城は廃城となった。行きは古城の道からだったので、違う方向から下り、二の丸方面へ。途中、礎石建物跡が何か所かあった。
一旦、舗装された道路に出て、二の丸跡へ。ここでは、「熊出没注意」だった。奥の階段を上って行く。
二の丸跡は広場となっている。遊具などもあったが、古びており、立ち入り禁止となっていた。奥には展望する場所がある。
ここからの眺望は素晴らしいの一言、是非、美味しい空気を吸って頂きたい。
この城は、とにかく、堀がいたるところに残っているのがポイント。山城が好きな方であれば、十分に満足できるものと思う。さすがは、東北随一の山城と言われるだけある。
少々余談であるが、近くには「出世稲荷神社」があるので、階段がかなり厳しいが、出世したい方は是非。また、4月末はこの周辺が桜の名所でもある。
向羽黒山城は一ノ曲輪、二ノ曲輪から三ノ曲輪、北ノ曲輪まで廻って、約1時間であった。堀や土塁、虎口など戦国時代の山城が良い状態で残っているのが特徴。もう少し、説明版や案内板があって欲しいなあと思う。また、熊さんについては、無責任なことは言えないが、意外と開けており、あまり、遭遇しそうな雰囲気ではなかったとの言うのが実感。この時期だからと言うのもあるかもしれないが。ただ、熊出没情報にはご注意の上、登城して頂きたい。
この後は、米沢市へ向かう。続100名城の米沢城と、100でも続100ではないが、非常に面白そうな山城である舘山城の2城を巡り、初日は終了の予定だ。
お城巡りランキング
にほんブログ村