サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:スタンプのみ





続100名城の73城目は滋賀県の鎌刃城(かまはじょう)。電車などの公共交通機関でのアクセスはかなり大変。JR米原駅から故国バスで「番場」から登城口まで徒歩約35分。車なら、町屋橋の駐車場らしき場所に止めてから、登城口まで20分くらい。若しくは、名神の42番ゲートから徒歩での登城。
登城日は2019年4月7日。だが、思いもよらず、八幡山城で時間が掛かり、鎌刃城近くに着いた頃には、やや日が暮れ始めていた。取り敢えずは、Cafe&Gallery源右衛門で100円寄付し、スタンプをゲット、パンフレットなどの入手。43番と44番ゲートまで行ってみたが、とてもじゃないが、この時間から登城できるような雰囲気ではなく、無念ながらも次回とすることにした。噂のMapがこれ。
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これでスタンプのみは、5城目となってしまった。名古屋から滋賀は遠くは無いので、そのうちにちゃんと登城したいと思う。

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続100名城の62城目は宮崎県の佐土原城(さどわらじょう)。別名は鶴松城、田島之城。2019年の2月上旬、九州の大分と宮崎の200名城全部と鹿児島の一部、計10城を巡る旅。2日目最後の4城目、この旅通算8城目。電車でのアクセスはJR南宮崎駅から徒歩で3分の宮交シティからバスで40分、「交流センター前」下車徒歩5分。車なら、宮崎市佐土原歴史資料館(鶴松館、土日祝のみ開館)に広い駐車場あり。
登城日は2019年2月3日。臼杵城佐伯城延岡城と廻り、向かう。この時点で登城禁止であることはわかっていたので、スタンプのみを目指し、宮崎市佐土原歴史資料館に行くも営業時間外で入れず、対面にある佐土原いろは館でスタンプはゲット出来た。残念ながら、155城登城で通算5城目のスタンプのみとなってしまった。
いろは館にてガイドブックや資料館作成のレジュメを入手したので、それを貼る。実際に登城していないので、詳細は書かない。南九州唯一の天守をもつ城とある。
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裏面には、「攻略すべし、10の見どころ!」とあり、登城路と見所が明記されている。これがあれば、迷うことなく、効率的に廻れそうと思わせる。
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レジュメは裏表3枚で6ページ。遺構の説明が詳細にされている。子供用と思うが、かわいいイラスト付きの案内図と大人用の渋いそれも付随している。
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時間外で二の丸跡の鶴松館にも入れなかったが残念。国の指定史跡でもあり、ちゃんとしたパンフも準備されているので、早期に復旧して、山城の人気が落ちないうちに開城していただければと切に思う。
これにて、2日目の4城が終了、この旅も計8城を制覇し、残すは翌日の2城。100名城の飫肥城と続100名城の鹿児島県は志布志城だ。
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続100名城の55城目は愛媛県の能島城(のしまじょう)。2019年1月の3連休を利用して、四国(愛媛、香川県)の100名城・続100名城の10城を巡る。事前の調べで、この時点では能島への上陸は不可とわかっていたが、スタンプのある村上水軍博物館へ。
登城日は2019年1月13日。河後森城から向かった。2時間くらいだったと思うが、到着。博物館にてスタンプをゲットし、館内を見て廻る。築城時の様子が人形を使って再現されている。
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能島は所謂、無人島で14世紀中期以降に能島村上氏が築城したとされる。村上氏は、能島・来島・因島に本拠にした三氏からなり、連携と離反を繰り返しつつも、互いに強い同族意識を持っていたとのことだ。
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博物館周辺には、とにかく、村上氏の銅像が建ちまくっている。「村上海賊」と呼ばれるが、俗に言う略奪のような不法行為をしいていたわけではなく、この地域を通行する水先案内人のようなことをし、通行料を徴収していた。この瀬戸内海は工場交通の重要な場所であるが、潮の流れが速く、難所でもあった。そこで、この地を良く知る村上水軍の出番であったと言うわけだ。当時、日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスは能島村上氏を「日本最大の海賊」と称している。
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能島村上氏は、西は九州北部、東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握し、平時には瀬戸内海の水先案内、海上警固、海上運輸など、海の安全や交易・流通を担う重要な役割を果たした。戦時には小早船を巧みに操り、「ほうろく火矢」など火薬を用いた戦闘を得意とした。
博物館には展望台があるが、何も見えないので、カレイ山展望台に向かった。現地での案内図に寄れば、確かに、この地域が要害であったことが確認できる。
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この展望台からの眺望は晴天であったこともあり、圧巻だった。瀬戸内海の島々が良く見える。
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戦国末期、村上氏は豊臣秀吉との戦いに敗れ、1588年、秀吉の海賊廃止令により、水軍は消滅する。また、能島村上氏は、小早川隆景に従い、筑前に移動、そして、能島城は廃城となる。下の写真、左が能島、右は能島城の出丸とされていた鯛崎島だ。
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廃城以降、無人島になったので、遺構等が良く保存されていると言う。携帯電話のカメラでも登城路や本丸、本丸を囲む二の丸がちゃんと見える。
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残念ながら、2019年1月時点では、西日本豪雨の影響で能島への上陸は出来ず、4城目のスタンプのみとなってしまった。是非とも、復旧して、激しいと言われる潮の流れを体験し、登城してみたい城だ。
この後は、この日最後の今治城へ向かう。
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続100名城の35城目は広島県の新高山城(にいたかやまじょう)。11月の3日で大阪岡山広島の未踏の城を廻る。2日目は備中高松城から福山城三原城へ。三原城のスタンプ場所である「みはら歴史館」で新高山城について聞くと、豪雨の影響で云々とのことで、登城は中止し、パンフレットだけとなった。109城で3城目のスタンプのみとなってしまった。
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だが、ちゃんと調べてみると、既に、登城している方々もいるようで、少々、後悔。ただ、登山道の一部が崩れているのは事実のようなので、致し方なし。また、三原市のホームページによると、新高山城の臨時スタンプ設置場所となっている「みはら歴史館」が11月末をもって、臨時スタンプを終了とのこと。正式に登城できるのは11月末からか。ご訪問の際には、良くご確認されたし。
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