サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:三重県

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続100名城の18城目は赤木城。三重和歌山奈良の続100名城3日間7城の城旅行。2日目は伊勢から一気に、赤木城、新宮城を目指す予定だったが、予定外の鬼ヶ城に立ち寄ったため、新宮城は翌日に変更した。アクセスは、電車なら、JR紀勢本線の熊野市駅からだが、車で約35分も掛かるらしい。行った感じでも、車でないと辿り着けそうにない場所にあるのは間違いないであろう。車であれば、城址目の前に駐車場がある。そこに止めれば、楽チンに登城できる。
登城日は2018年10月7日。鬼ヶ城から30分程度であったか、まずはスタンプのある紀和鉱山資料館に到着。ここで残念なことがあった。何と、先日、スタンプが盗難にあったとのこと。あまり、blogで書きたくは無いのだが、敢えて、書くことにした。入り口に設置してあったが、繋いでいる針金ごと強引に持っていかれたとのこと。他の城址でも盗難はあるようだが、スタンプ場所を管理している人の苦労、我々のように遠方から苦労して来た人のことなどよくよく考えて欲しいと思う。たまたま、私が行った日の午前に新しいスタンプが着いていて(2018年10月7日PM時点)、押すことが出来たが、それまでは代用をしていたとのことだ。紀和鉱山資料館では、館員の方が非常に親切だった。内容も一生懸命やっている感じだ。赤木城の模型と見所の解説もあった。
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元々、この一帯は鉱山で栄えた場所であり、鉱山中心の展示内容であるが、それはそれでとても良く出来ており、感嘆した。凄く好きな人形系。2階から1階へ降りるエレベーターが面白い。是非、行ってご確認を。
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親切にも館員の方に赤木城への道程を教えてもらい、約15分程度で到着。要所で看板も出てるので、迷うことは無いであろう。ちゃんとした駐車場もあり、トイレ、30秒くらい歩くが、自販機もあった。トイレの壁(外)には赤木城の説明と縄張り図が貼ってあった。
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赤木城は、1589年に豊臣秀吉の部下であった藤堂高虎が築城したとされる。高虎は江戸城の縄張りも手掛けた「築城の名手」である。登城して鍛冶屋敷跡を超えると、すぐに、野面積の石垣が見えて来る。
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城への侵入には、東郭の門を通る必要がある。狭い門で挟み撃ちされる格好だ。
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すぐに、虎口がある。敵を防ぐための要所で、赤木城では二つの虎口を設け、門も設置されていた。階段はなく、ちょっと高くなっている。防御のためか。
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虎口から主郭へはこのように折れており、門跡もある。敵は近そうで遠かったであろう。
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主郭には礎石が発掘されており、どうも、大きな櫓が建っていたと想定されている。
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ここからは、長閑な田園風景が眺められる。登城自体は楽であるが、とにかく、ここに来るまで遠かった。こういう景色を見ると、達成感を感じる。
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西郭に行き、南郭から降りる。南郭は山裾にあり、かまど跡なども見つかり、主に生活の場であったと考えられている。南郭から主郭を眺める。何度見ても、立派な石垣だ。
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赤木城はさほど広くは無いので、30分程度でほぼ見ることが出来る。雰囲気としては、竹田城の小型版みたいで、実際、朝もやがかかれば、幻想的で天空の城とも呼ばれているそうだ。
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近くの見所として、藤堂高虎らの新領主に農民一揆で抵抗した北山の人々が処刑された刑場の跡である田平子峠刑場跡や丸山千枚田、もちろん、続100名城の新宮城もあり、少し、足を伸ばせば、那智の滝もある。これは、丸山千枚田。
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赤木城でも十分に満足できるが、折角の世界遺産のエリア、色々な場所を訪れれば、更に楽しい旅となると思う。この後、那智の滝と熊野那智大社に。三重塔と那智の滝のツーショットを。
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三重和歌山奈良の続100名城3日間7城の城旅行の2日目は終了、新宮市内に宿泊、最終日は、新宮城登城後、奈良への気の遠くなる山道のロングドライブが待っていた。
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三重和歌山奈良の続100名城3日間7城の城旅行。2日目は伊勢から一気に、赤木城、新宮城を目指す。10月なのに、気温は朝から25℃超え、この日がまさか非常に厳しい日になるとは思わなかった。予定外だったと言うか、城のことしか計画を立てていない中、道中、【世界遺産】に出会ってしまう。しかも「鬼ヶ城」ときた。道路案内を見て、吸い込まれるように向かってしまった。
登城日は2018年10月7日。伊勢を出発してしばらく、鬼ヶ城センターに立ち寄る。言わずと知れた、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部だ。
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Wikiによれば、『熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震による隆起によって階段上に並び、熊野灘に面して約1km続いている。志摩半島から続くリアス式海岸の最南端で、これより南はなだらかな砂浜の海岸(七里御浜)へと変わる。』とのこと。わかりにくいので、実際はこのような感じ。
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古より、南紀州の奇石として名高かったらしく、あまりにも大き過ぎて、近くからはその巨大さを表現することが出来ないのが残念。また、災害影響で、途中から先は通行禁止となっていた。多分、「奥の木戸」と呼ばれるところまでだ。(18年10月上旬現在)
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さて、城との関係だが、いわば、伝説・伝承みたいな形で残っている。桓武天皇の頃(737年~806年)に、このあたり一帯を暴れまくって、と恐れられた海賊の多蛾丸(たがまる)を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂が征伐、それで「鬼の岩屋」と呼ばれていた。後に、「鬼ヶ城」と言われるようになったらしい。
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さて、鬼ヶ城の本城は鬼ヶ城センターの駐車場から行くことが出来る。鬼ヶ城城跡までは緩やかな坂道を15分程度だった。ただ、10月なのに暑さが半端なく、結構な疲労感があった。
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本城は、1523年頃、有馬忠親が隠居城として山頂に築城した。有馬氏は後に堀内氏によって滅ぼされる。堀内氏は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いまで当地を治めたとのこと。熊野灘の景観を見たのであろうか?
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若し、伊勢から熊野もしくはその逆で城巡りを車でするなら、必ず、通る場所。時間に余裕があれば、海外沿いの奇岩鑑賞だけなら、短時間で楽しめる世界遺産なので、是非、立ち寄られたし。本城に向かう方の為に、遊歩道の絵を貼っておく。行ったところは、写真真ん中のやや下部、「鬼の見晴らし台(展望台)」というところ。それ以上先は、本格的な熊野古道巡りとなる。思わぬ寄り道となってしまったので、この日はこの後、赤木城登城後、新宮城は最終日の朝一に変更、折角の機会を生かして、那智の滝に寄ることにした。
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続100名城の17城目は田丸城。別名は玉丸城。三重和歌山奈良の続100名城3日間7城の城旅行。初日の最後、3城目は田丸城だ。電車でのアクセスはJR参宮線の田丸駅から徒歩で約10分。車なら大手門跡にある玉城町役場の駐車場が利用できるので、便利だ。
登城日は2018年10月6日。多気北畠氏城館跡から車で1時間弱で到着。時間ギリギリだったので、まずは、村山龍平記念館に駆け込み、受付前に置いてあるスタンプをゲット。大手門から登場するが、史跡碑が見えなくなっていて、少々、残念。
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田丸城は桜や紅葉などで地元の方々に愛されているようだ。大手門跡から桜のトンネルと言う道を歩いて行くが、城内にある玉城中学校の通学路のようなので、平日の通学時間帯は子供たちで一杯か?明治維新の際、城内には8つの門が残されていたが、この富士見門のみが残り、江戸中期のままの原型を留めていると言う。
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1336年、北畠親房が南朝の拠点として築城したと言われている。その後、織田信長の次男の信雄が拠点として本格的に築いた。田丸城は信長による安土城築城の前年である1575年に完成したとされ、天守のある城として日本で一番古い城とのことだ。これって、意外と凄くない?って思うが。本丸虎口には他の野面積みとは違う打込の石垣が見られる。写真の右の方。
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虎口を通れば、すぐに本丸跡に到着する。天守跡は目の前だ。
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織田信雄が築いたとされる三層の天守の土台が天守跡。意外と小さい。天守跡からの眺望はさほど高い所ではないので、まあ、悪くは無かった。
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本丸を下りるとすぐに二の丸跡に。その石垣はかなりのものだが、どうしても、校庭が目に入ってしまう。
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二の丸から搦手道に入り、下り切って終了。駐車してある大手口跡へは歩いて数分で着く。
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田丸城散策は見所を見廻って30分程度。急な坂道もなく、楽に登城できる。案内はそれなりにあるが、印字が薄くなっていたり、もう少し、解説を加えて頂ければ、と感じた。三重和歌山奈良の続100名城3日間7城の初日は終了。伊勢市内のホテルに移動し、疲れを癒した。
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続100名城の16城目は多気北畠氏城館。別名は、北畠氏館、霧山城。毎週末に台風が来る中、何とか避けられそうなエリアの三重和歌山奈良の続100名城3日間7城の城旅行に出発。折角の秋の行楽シーズン、微妙な雨と未だ30℃近い気温の中だが、この時期は逃したくない。アクセスは、電車なら、JR名松線の伊勢奥津駅から津市コミュニティバスで約10分で、「上多気交差点」下車して、徒歩約10分、若しくは、JR名松線の竹原駅から津市コミュニティバスで約45分「北畠神社前」下車後すぐとのことだ。結構、大変かもしれない。車であれば、館の目の前にマートがあるので、その駐車場に止めた。この日はマートは休みだった。
登城日は2018年10月6日。津城から車で30分程度、かなりの農村部の道を行く。ナビは「北畠神社」にセットするのが良かろう、特に迷わずにドンピシャで到着。神社入り口のあたりに案内がある。
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事前の調べをあまりしていなかったので、少々、驚く。多気北畠氏城館跡とは、北畠氏館跡(北畠神社)とその背後にある霧山城のセットだとのこと。確かに、神社のこの鳥居をくぐると、右が館跡、左が霧山城と書いてあった。
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小雨の中、取り敢えず、神社の社務所に向かい、無人の受付の横にあるスタンプをゲットし、神社内を散策開始。北畠氏と伊勢国との関わりは、北畠親房が、1336年に田丸城を拠点としたことに始まる。親房自身はやがて常陸国に移るが、次男の顕信と三男の顕能はとどまり、1338年に顕能が伊勢国司となる。その後、南伊勢の各拠点が北朝方の攻撃を受け、1342年に田丸城が落城すると、北畠氏は多気に拠点を移し、霧山城や館を築いたといわてれる。北畠神社では長男の顕家が花将軍として、銅像が建てられている。かなり、優秀な名将であったようだが、若くして没している。
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また、公家の歌人であった三男の顕能の歌碑などもある。
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1521年頃の築造と推定される北畠氏庭園跡がある。入場料は無人の受付に300円を払う形だ。秋の紅葉は嘸かし、美しいだろうと思わせる。

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1576年、織田信長の侵攻を受け、約240年続いた多気北畠氏の歴史は幕を閉じることになった。当時の礎石建物跡や北畠氏一族、家臣団などの関係したものなどが祀られている留魂社にその無念を感じる。

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この後、霧山城の登山に向かうも天気が急変、大雨警報の発令もあり、登城は諦めざるを得なかったのが残念。しかし、登城口はこんな雰囲気である。人も居ない中、かなりの恐怖感。しっかりと虫よけで防護して好天の日に複数人で登場されたし。
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多気北畠氏城館は神社のみなら、15分程度、霧山城は登場しなかったので、正確にはわからないが、案内板に1350mとあった。激しい雨が降り始め、早々に初日最後の田丸城へ向かうことにした。
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続100名城の15城目は津城。別名は安濃津城(あのつじょう)。毎週末に台風が来る中、何とか避けられそうなエリアの三重和歌山奈良の続100名城3日間7城の城旅行に出発。折角の秋の行楽シーズン、微妙な雨と未だ30℃近い気温の中だが、この時期は逃したくない。アクセスは、電車なら、近鉄名古屋線の津新町駅から徒歩で約10分。車なら高山神社や周辺に駐車場があるので、簡単に登城できる。初日は三重の3城。津城、多気北畠氏城館、田丸城の順だ。朝9時前に車で名古屋から出発。早速、高速で事故渋滞、まさかの2時間半でようやく到着。
登城日は2018年10月6日。この日は、津のお祭りの日で津城周辺は規制されており、駐車場も満車が多く、取り敢えず、5分くらい離れたパーキングに止め、東鉄門から登城。この門は桝形で外門の東黒門(高麗門)と内門の東鉄門(櫓門)から成っていた。
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すぐそばに丑寅櫓がある。本丸の東北隅にあり、三重三階、1958年に復元されているが、中に入ることは出来ない。東鉄門からのその姿。
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津城を築城したのは、織田信長の弟の信包(のぶかね)。1580年に5層の天守が完成、城下町も作られた。その後の富田氏が1600年、関ヶ原の戦いの前哨戦にて、西軍の攻撃により、津は荒廃したと言う。その後、1608年に藤堂高虎が入ると、石垣や櫓、堀、城下町などの整備に尽力したと言う。その栄誉を称え、本丸に像が設置されている。
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1820年に第10代の藩主の藤堂高兌(とうどうたかさわ)が有造館という藩校を設立、その時の正門であった入徳門が本丸跡にある。1871年に廃校となってしまい、戦前戦後も色々な場所に移設されたりしたが、この場に落ち着き、修理復元された。現存の遺物である。
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その他に津城の見所は日本庭園や堀、石垣などがある。堀はこのような規模であった。強風があったのか、大木が倒れていた。
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石垣は相当の希望であったことがわかる。高山神社近く、本丸の高石垣、目の前で見ると迫力がある。
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スタンプは、公園内にある高山神社にて。藤堂高虎を祀った神社で、その社務所に設置されている。
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津城は広くもなく、見所も短時間で見れるので、滞在時間は20分程度。石垣と堀が立派ではあるが、天守が消失もしくは明治以降の廃城により、あまり現存物が残っていないのが残念。時間の制約もあり、この後、急ぎ、多気北畠氏城館に向かうことにした。
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100名城の20城目は三重県の伊賀上野城。別名は白鳳城。天守の優雅な姿は、まさにその名に相応しい。アクセスは、電車なら、関西本線の伊賀上野駅から伊賀鉄道の上野市駅下車、徒歩5分程度とのこと。車で向かったが、近隣に市営駐車場があるので、問題はない。
登城日は2018年6月17日。梅雨の合間の絶好のお出掛け日和。城郭周辺は上野公園となっており、急な坂道もなく、登城しやすい。

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1585年、筒井定次が三重の天守を築城した。その後、1608年に徳川家康に領地を没収され、築城の名手藤堂高虎が改修を行った。五重の天守を製作中に来襲した暴風雨で崩壊、その後、工事はされなかった。
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現在の復興された天守閣は川崎克氏による。氏が私財を投げ打って、産業振興のために1935年に落成したとのことである。天守内部は撮影可能で、最上部の天井はこんな感じ。眺望もまずまずだった。
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上野城の最大の見所は復興天守もあるが、何といっても、目が眩むような高石垣である。城好きなのに、意外と高所が苦手な私が意を決して撮ったのがこの1枚。右手前が石垣の最上段。この真下は絶壁だ。柵もないので、自己責任で近づくように。
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最大の見所が本丸西の高石垣。高さは30mで日本有数の高さとのこと。正直、かなりビビりながら撮影した。このような市街地に、まさに圧巻である。
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おまけで、上野公園には、芭蕉翁記念館や俳聖殿なるものもあり。俳聖殿は国の重要文化財に指定されている。松尾芭蕉生誕300年を記念して、1942年に建立された。どうも、芭蕉の旅装束をイメージしたものらしい。芸術センスゼロの私でも、何となく、イメージ出来る。
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スタンプは大天守入り口にある。公園自体もあまり大きくはなく、登城のしんどさもない。芭蕉の関連施設を見ても最大1時間程度であろう。柵もなく、無謀な人ならかなり近くまで行けてしまう高石垣が印象的、私財で復興してくれた天守を有難く思いながら、名古屋への帰路に着いた。
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100名城の18城目は三重県は松坂城。城址は現在、松坂城公園となっており、市民の憩いの場のようだ。アクセスは近鉄の松坂駅から徒歩で10分程度で到着。車でもアクセスは容易で、無料の駐車場もある。
登城日は2018年3月25日。名古屋から近鉄で向かう。春の穏やかな日で桜の開花には早かったが、心地よかった。
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1588年、蒲生氏郷氏は築城、その後、服部氏、古田氏と城主が変わり、古田氏の時に今の姿になったようだ。
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当時は、三重の天守があったようだが、1644年の台風により崩壊したとされる。今では天守閣跡が残るのみだ。
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二の丸には御殿(徳川陣屋)があったらしいが、現在、その跡しか残っていない。
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本丸は上段と下段があった。上段は天守閣を含み、かなり広い。
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最大の見所は高石垣。まじかで見ると、結構な迫力がある。
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城内に松坂市歴史民俗資料館がある。松坂の歴史の勉強とスタンプはここで。ここが一番、桜がきれいだった。
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あまり貴重なもの自体は残っておらず、残念だが、桜鑑賞とマッタリとできる散策など、ゆっくりとしたい時にはお勧めの場所だ。松坂駅からの往復でも1時間あれば十分であろう。
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