サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:埼玉県

3
2018年末の群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡りで、「比企城館跡群」で国の指定史跡である松山城に立ち寄ることにした。アクセスは、電車は、東武東上線の東松山駅から徒歩で25分程度。また、駅からのバスで「百穴入口」で下車、徒歩3分。車は、城址付近に駐車場は無いが、吉見百穴前に駐車場があり、そこから徒歩10分程度。
登城日は2018年12月28日。小倉城から車で向かう。登城開始してすぐに、曲輪4に到着。松山城は、西から東に向かって本曲輪、二ノ曲輪、三ノ曲輪が一直線に並ぶいわゆる連郭式で、曲輪4は三ノ曲輪の更に東側に位置している。
DSC_4211
鎌倉時代の文献には上田氏が居住されていたとされ、1394年頃には松山城は存在していたようであるが、詳細は不明。1532年以降の文献では、扇谷・山内両上杉氏、後北条氏、武田氏、上杉氏の名も見られ、1537年には、小田原北条氏が江戸城と川越城を落とし、松山城を攻めた。郭4から三ノ曲輪へは深い堀跡が見られた。戦国の世の状態が良好に保存されていると言う。
DSC_4212
城主であった上田氏は結局、河越夜戦の後、後北条氏に臣従するが、松山城をめぐる攻防は依然として激しく、北武蔵地域の要所であったことが伺える。二ノ曲輪から本曲輪へは迷わずにすぐに到着。
DSC_4218
本曲輪はこんな感じ。青い空で空気も美味しかった。
DSC_4220
1590年の豊臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏が滅亡、その後、徳川家康の譜代である松平家が城主となったが、忠頼の代に浜松に移封され、1601年に廃城となった。本曲輪からの眺望は、残念ながら、木々が邪魔で今一、見通せず。
DSC_4221
他にも、惣曲輪、太鼓曲輪、笹曲輪などがあるが、時間の都合で廻らなかった。ちょっとだけ兵糧蔵跡までは足を伸ばしたが、特に何も無い。
DSC_4223
駆け足の登城だったので、往復で20分程度だった。堀や縄張りは良く分かると思うが、それ以外には特に見所と言ったものは無かった。案内図や説明はしっかりあるし、登城路もまずまずの状態なので、時間があれば、訪問したい城址と思う。
この後は、2018年最後となる栃木県佐野市は唐沢山城へ向かう。高速道路で約1時間少々の距離だ。
DSC_4272

お城巡りランキング

にほんブログ村

3
2018年末の群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡りで、「比企城館跡群」で国の指定史跡である小倉城(おぐらじょう)に立ち寄ることにした。(福岡の小倉城ではない。)電車では、東武東上線の武蔵嵐山駅からバスで「目黒バス停」で下車し、徒歩20分。車であれば、登城口付近に無料の臨時駐車場がある。
登城日は2018年12月28日。菅谷館から車で10分弱、農村の道に駐車場への小さな案内が出ている。100mも無かったと思うが、大型車だと脱輪しそうな細い道を行けば、到着する。小型車でもゆっくり慎重な運転が必要、行かれる方は現地にて実際にご確認頂きたい。
登城口はこのような感じで、人の気配は全く無い。気の小さい方で単独なら、夕暮れ時や夜間の登城はやめた方が良いだろう。
DSC_4209
冬なので、山城ながら木の葉が無く、視界は良好だった。小倉城の築城時期、築城主ともに明確な文書は発見されていないが、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』に、戦国時代の後北条氏の重臣であった遠山氏が城主であった伝えられている。又、遠山氏、上田氏も城主であった記録がある。
登城して数分すると、本郭の東腰郭に往時の石垣が残っていると言う。草木が元気過ぎて良くは見えなかったが、石垣は確認できた。
DSC_4187
印象に残ったもの一つは竪掘。かなりの深さであることを現地で実感出来る。
DSC_4191
登城開始して、10分程度で本郭に到着。城址碑と説明版があった。
DSC_4197
本郭は楚石跡などから、5棟程度の建物があったと推定されている。
DSC_4196
郭3とされる箇所に当時の石垣が残っているので、登場した際には見逃さないよう。
DSC_4205
時間の関係もあり全てを廻ったわけではないが、速足で歩けば、30分くらいか。国指定の史跡ではあるが、少々、寂れている感は否めない。やはり、石垣や堀、郭などに価値を見出す相当な城好きではないと、この翁な場所まで来る人はいないであろう。
この後は、「比企城館跡群」の一つである「松山城」へ向かう。このエリアの城巡りの最後だ。
DSC_4273

お城巡りランキング

にほんブログ村

3
続100名城の50城目は埼玉県の菅谷館。別名は菅谷城。2018年の年末に群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡りで登城。電車でのアクセスは、東武東上線の武蔵嵐山駅から徒歩15分。車なら、館跡とセットになっている「埼玉県立嵐山史跡の博物館」に無料駐車場有り。
登城日は2018年12月28日。杉山城から車で20分も掛からなかったと思う。博物館の駐車場に止め、まずは、スタンプと館内見学。博物館裏には館跡の模型があった。
DSC_4165
博物館は、搦手の方にあるので、三ノ郭から入城。ここに武士や騎馬が集合していたとされる。
DSC_4163
菅谷館の構築時期や築城主は明らかになっていない。古代からの多くの遺跡群があるとのことだが、鎌倉時代初期の畠山重忠の館であったとされる。三ノ郭から二ノ郭へ向かう。ここも三ノ郭同様、広大だ。
DSC_4166
三ノ郭から二の郭へは最大6mの土塁が残っている。現地でその迫力を是非、体感頂きたい。
DSC_4169
二ノ郭は本郭を囲むように配置されている。畠山重忠の館自体もここにあったものと考えられている。畠山氏は1205年、時の北条氏により滅亡に追い込まれた。館跡には氏の銅像が建っている。
DSC_4173
その後、戦国の1488年まで歳月が流れ、山内杉内氏が菅谷城として再建、16世紀初頭まで居住した。現在残っているのが、ほとんどその時代のもので、非常に保存状態が良いとのことだ。これが本郭。
DSC_4171
本郭は空堀と高い土塁で防御されている。土塁は桝形に配置され、堅い守りとなっている。
DSC_4175
また、発掘調査の結果で復元ではあるが、木橋もあったとされる。
DSC_4183
菅谷館は広大ではあるが、道は綺麗に整備され、坂道もない公園のような感じなので、見所をゆっくり廻って30分程度であろう。博物館をくまなく見て1時間程度だ。現存遺物は残っていないが、分かり易い縄張りと空堀、圧倒的な土塁などが楽しめる場所だ。
この後は、「比企城館跡群」の一つで、100名城でも続100名城でもない「小倉城」(おぐらじょう)へ向かった。
DSC_4269

お城巡りランキング

にほんブログ村

5
続100名城の49城目は埼玉県の杉山城。別名は初雁城。2018年の年末に群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡りで登城。電車でのアクセスは東武東上線・武蔵嵐山駅から約2.9km、徒歩で約40分。車なら、玉ノ岡中学校の体育館北側に駐車場あり、すぐに登城可能だ。
登城日は2018年12月28日。宿泊先の熊谷から車で向かう。まずは、嵐山町(らんざん)役場庁舎の玄関ホールにてスタンプをゲット。そこから移動する必要があるが、少々、駐車場がわかりにくい。現地にある案内図と資料で良くご確認されたし。ポイントとしては、ナビは玉ノ岡中学校にセットし、校内に入ってからは、小さくも案内が出ているので、徐行してゆっくりと見逃さないように進めば迷わずに行けるだろう。また、この時点ではまだ無かったが、近くに城址用の専用駐車場の土地が確保されていた。近々、出来るのではないだろうか。いくら何でも、学校の敷地内を駐車場にしておくのは、良くはないであろうし。ただ、この確保用駐車場の場所に来てしまったら、間違えていると言うことなので、引き返すのが良い。体育館前の駐車場からすぐに登城可能、登城口はこのような感じだ。
DSC_4120
杉山城は丘陵上に築かれた典型的な山城で、10個にも及ぶ郭が配置されている。全てを書けないが、現地に行けば、容易に10の郭が確認できるので、是非。大手口にあるのが、出郭。ここからでも本郭が見えるくらいの規模だ。
DSC_4122
大手口の説明版。全ての説明版では無いが、イラスト付きの解説が嬉しい。イメージが湧きやすい。
DSC_4129
杉山城は築城時期、築城主ともに明らかになっていない。戦国時代の初期に、関東では山内上杉氏(拠点は鉢形城)と扇谷上杉氏(拠点は河越城=川越城)の同族同士の激しい戦闘があったとされ、近年の発掘調査で、この戦いの少し後だということが分かり、山内上杉氏が扇谷上杉氏に抗するために作ったという説が有力になるつつあるとのこと。大手口から、馬出郭、南三の郭、南二の郭へ。途中、南二郭から南三郭へは食違い虎口になっている。左右の土塁が平行にずれている虎口で敵が侵入しにくくなっている。
DSC_4138
そして、南二郭から井戸廓へ。ここには井戸跡があり、石で塞がれている。これは危険防止のために最近置かれたものかと思ったが、廃城の際に敵に利用させないよう置かれた当時のものであるとのこと。今でも年中、水が湧いている。
DSC_4133
井戸郭から本郭へ行けるが、一旦、反対方向にある東二郭と東三郭へ。ここも堀と郭跡が良く残っていた。
DSC_4142
そして、本郭に到着。結構、広くて奥に城址碑が見える。
DSC_4143
本郭のメインの場所までは大手口からゆっくり見廻って約15分弱だった。各郭は勿論、虎口や土塁、堀切など見るべき箇所は多い。
DSC_4145
本郭からの眺望。勿論、町も見渡せるが、郭、土塁、堀が非常に良く残っているのが分かる1枚を。
DSC_4147
本郭の北には、北二の郭、北三の郭、そして、搦手口がある。(この3つの案内板のみ確認出来なかった。)本郭から北への虎口は、横矢掛かりで守られている。
DSC_4152
杉山城は山城であるが、非常にコンパクトに纏まっているので、ゆっくり廻ったが所要時間は45分程度であった。登城路も綺麗に整備されており、案内板と説明も豊富で縄張りも分かり易い。他の山城のように急な坂道をヒイヒイと苦労して行かずとも山城の特徴が掴みやすい。又、高度な築城技術が見たままにわかること、及び、それが綺麗な状態で残っていること、今後の調査によりその歴史が解明されそうであることに対する期待、ついでに、山城だが、クマやイノシシ、蛇などに対する恐れもなく、山中で迷子になる危険性も全くないこと(笑)、などで★★★★★とした。
この後は、菅谷館に向かう。加えて、この一帯は「比企城館跡群」と呼ばれており、69か所もの城館跡があることを知ってしまった。従い、予定していた杉山城、菅谷館の続100名城の2城に、城館群の中で国指定史跡である小倉城(おぐらじょう)と松山城の2城を加えることにした。そして、最後は栃木県佐野市は唐沢山城。結局、1日で5城と言うハードな日程となってしまった。
DSC_4268

お城巡りランキング

にほんブログ村

3
続100名城の36城目は埼玉県の忍城(おしじょう)。別名は忍の浮き城。大宮で仕事があり、サラリーマンの制服であるスーツにワイシャツ、ネクタイ、革靴で登城出来そうな忍城に行くことにした。この日のアクセスは東京駅から熊谷まで新幹線、熊谷からは秩父鉄道の行田市駅で下車、徒歩で15分くらいで辿り着く。車なら、駐車場が2箇所あり、ラクチンに登城可能だ。
登城日は2018年11月14日。前日の夜に名古屋から熊谷まで新幹線を乗り継ぎ、宿泊。朝一で秩父鉄道に乗車、意外と本数はあるのが嬉しい。駅から行くと、メインの模擬の御三階櫓が目に入って来る。
DSC_3472
忍城は室町時代の1478年頃に成田氏が築城したとされる。登城口から入城して行く。
DSC_3475
戦国末期に豊臣秀吉の関東平定の際、石田三成の水攻めに耐えた難攻不落の名城と言われたらしい。その後、小田原城の落城により開城となる。1639年、老中の阿部忠秋が改修し、その孫の正武が御三階櫓など作ったとされる。明治維新で破却となり、今では当時から残っているものはあまり無い。櫓の石垣に使われた石はこのような形で残されている。
DSC_3477
また、当時を偲ぶものとしては、本丸の土塁。綺麗に整備されていた。
DSC_3482
現在の本丸には、行田市郷土博物館となっており、忍城はもちろん、足袋のことや行田市の歴史が展示されている。この館の入口でスタンプはゲット出来る。入城しなくても大丈夫だが、かなり、勉強できるので、時間があれば入館すると良いと思う。館内を20分程度で見廻り、伝進修館の表門と言われる門を発見。当時の武家屋敷の表門として、貴重であるとのこと。
DSC_3480
他には、本丸跡にある鐘楼や高麗門形式の城門、北谷門などがある。忍城だけであれば、博物館をじっくり見て棕櫚の周囲を散策しても45分程度。行田市駅からの往復なら1時間ちょっとか。 これだけでは物足りないので、時間あれば、丸墓山古墳に行くと良いと思う。日本最大級の円墳で、石田三成を大将とした忍城の戦いで三成が本陣を敷いた場所である。また、その近くには石田堤と呼ばれる、当時、築いた堤防がある。今回は時間の都合で行けなかったが、次の機会に立ち寄ってみたいと思う。
DSC_3492


お城巡りランキング

にほんブログ村

3
100名城の16城目は埼玉県の川越城。別名は初雁城。残念なことに、明治以降、取り壊しが進み、ほぼ本丸御殿しか残っていない。アクセスは車なら御殿の目の前に駐車場あり、電車なら東武東上線・JR川越駅か西武新宿線 の本川越駅からバスだ。いずれも、登城に苦労することはない。
登城日は2018年2月17日、冬風厳しき中での登城が記憶に残る。
DSC_1134
徳川時代が始まると、ここには譜代大名を入城させていたということなので、重要な拠点であったのだろう。江戸の大手(表)は小田原城、搦め手は川越城(裏)と言われていた。御殿は大きく、正面からの全体像が入りきれないくらいだった。
DSC_1133
御殿に入場すれば、受付にてスタンプが押せる。御殿内部の写真を2枚ほど。
DSC_1131
松平信綱の世に川越城も城下町も大改修されたとのことだ。庭なんかも立派である。だが、やっぱり、真冬は色鮮やかさが無い。
DSC_1132
堀や櫓跡もあるが、本丸御殿の見学だけなら、20分程度。このためだけに川越まで遠方から訪れるわけにはいかないであろう。かつては、小江戸と言われた川越、他にも見所は多くある。この日は真冬の強風が吹きまくり、さすがに無理だった。帰路に着いたバスの中、五輪で羽生選手が金メダルを取った瞬間、隣に座る若い女性達の黄色い歓声が記憶に残った。
DSC_2246

お城巡りランキング

にほんブログ村

3
100名城の14城目は埼玉県の鉢形城。以前に、スーツケース持参のまま寄居駅に到着も、ロッカーがなく、登城を断念したことがあった。今回は車での登城のため、問題はない。電車ではJR八高線・秩父鉄道線・東武東上線の寄居駅下車、徒歩で25分。寄居駅にロッカーはないので手軽な荷物で訪れたい。
登城日は2018年2月16日。スタンプのある鉢形城歴史館の駐車場から徒歩。真冬ながらも、寒さを感じず、平日とあって訪問客もほぼゼロの絶好の登城日和となった。1476年に長尾景春が築城、以降、上杉家、小田原北条氏が拠点とした。
DSC_1111
秀吉の小田原攻めの際、前田利家、本多忠勝、上杉景勝などに囲まれても暫く耐えたのは、二の曲輪、三の曲輪にある巨大な空堀があったからなのか。
DSC_1112
馬出跡や外曲輪、伝御殿曲輪などの見どころもあり、復元された四脚門が目を引く。
DSC_1115
二の曲輪にある石垣も見逃さないようにされたし。
DSC_1114
鉢形城は荒川の断崖に立ち、南に深沢川がある天然の要害とされるが、現地ではイマイチ、実感できない。この曲輪配置図を見れば、一目瞭然だ。
DSC_1116
城内は広いが、駐車場からなら、ゆっくり見て回って1時間というところ。鉢形城歴史館でスタンプし、城の勉強をした上で、登城するが良いと思う。
DSC_2244 (1)

お城巡りランキング

にほんブログ村

このページのトップヘ