サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:愛知県

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時間がある時に、地元の名古屋やその周辺の日帰りで行ける城址(100名城、続100名城以外)を廻っているので、徐々に、アップしていきたいと思う。まずは、愛知県西尾市にある挙母城(ころもじょう)。別名は七州城。電車でのアクセスは、JR高蔵寺駅から、愛知環状鉄道へ乗換え、新豊田駅下車、徒歩約15分。車なら、城址がある豊田市美術館に無料駐車場あり。
登城日は2019年5月12日。GW明けの晴天だったので、西尾城に登城後、行ってみることにした。築城は、内藤氏で、1782年から開始し、1785年に完成したとされる。1978年に隅櫓が復元されている。
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拳母城は、童子山の高台にあり、三河国・尾張国・美濃国・信濃国・伊賀国・伊勢国・近江国の7つの国が見渡せることから七州城と名付けられた。櫓台の石垣が当時を偲ばせる。
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その復元の際には、礎石も見つかっているとのこと。やや汚れながらも、説明版があった。
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内藤氏は2万石で6代86年続いたが、明治に入った1871年に全て解体された。これは隅櫓の裏側。
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隅櫓に隣接して、「又日亭」(ゆうじつてい)と言う書院が残る。これは、明治まで寺部城の城内にあったもので、他の場所へ移設された後、隅櫓の再建時に、豊田市が現在地に移築したものとのこと。
拳母城は、上記のみの見所なので、10分もあれば十分であろう。時間があれば、立ち寄ると言った感じと思う。
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時間がある時に、地元の名古屋やその周辺の日帰りで行ける城址(100名城、続100名城以外)を廻っているので、徐々に、アップしていきたいと思う。まずは、愛知県西尾市にある西尾城。別名は、鶴城、鶴ヶ城、錦丘城、西条城。電車でのアクセスは、JR西尾駅下車し、徒歩10分、又は、六万石くるりんバス右廻りコースで16分、「歴史公園西」下車して、徒歩3分。車なら城址に無料駐車場有り、まずまずのキャパがあるが、休日は結構な人出なので、少々の待ちはあるのかもしれない。
登城日は2019年5月12日。GW明けの晴天だったので、フラッと登城してみることにした。383号線を走っていると、街中に突如として、このような高石垣が出現する。発掘調査により復元された天守台である。

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西尾城の歴史は意外と古く、1221年の承久の乱での戦功で三河国守護となった足利義氏が西条城として築城したのが、その始まりとされる。この城の最大の特徴は、二の丸に天守が築かれていたこと。1585年築、三重四階であったとのこと。
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戦国時代には、酒井正親、田中吉政など城主が入れ代わり、城も拡大した。天守台の石垣には、発掘調査時に出て来た出土石が再利用されている。
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関ヶ原後に本多康俊が西尾2万石藩主として入城、その後は、多くの譜代大名が入る。中でも、1638年、太田資宗は城の大改修を計画し、堀と土塁が城下町を囲む総構えの体裁を整えた。最終的には、その後の井伊直之が引き継ぎ、1657年に完成した。二の丸の表門とされる鍮石門(ちゅうじゃくもん)が復元されている。当時は、真鍮の装飾があったのではないか、とされる。
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完成時にあったとされる姫の丸の辰巳櫓跡が残る。本丸奥から道路を挟んだ先にあった。
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城址は現在では、西尾市歴史公園として整備されているが、水堀はしっかりとある。ここ姫の丸には、西尾市資料館があり、城の歴史を学ぶことが出来るので、是非。
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最盛期には、本丸に3重櫓と3棟の2重櫓、二の丸には1棟の2重櫓、南東隅に天守が建てられ、北の丸、東の丸、三の丸にそれぞれ2棟の2重櫓が建てられていたから、かなりの規模であったのであろう。この城址最大の見所なのが、本丸にある3重の丑寅櫓(復元)。本天守に次ぐ高さを誇る。内部に入ることが出来る。
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1764年に大給松平氏(おぎゅうまつだいらし)が入城、廃藩となるまで5代続くが、明治維新を迎えると城は天守閣を始め、ほとんどが取り壊された。その他の見所としては、旧近衛邸。江戸末期の建築物だ。
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西尾城は広くはないので、見所を全て廻って45分程度と思う。各所での説明版が充実しているので、理解しやすいであろう。又、2020年の夏の完成ではあるが、二の丸の丑寅櫓、50mに及び屏風折れの土塀の復元が進められており、当時の遺物は無いものの、今後が楽しみな城址である。
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2019年の1月中旬にたまたま寒さが和らいだので、地元愛知の清州城に行ってみた。別名は、清須城。電車でのアクセスは名鉄の新清州駅若しくはJR清州駅からいずれも徒歩10分少々。車なら、城址目の前に無料駐車場があるので、駐車の心配は無いと思う。
登城日は2019年1月19日。天守閣の目前にある駐車場に止め、早速、撮影。1989年(平成元年)に模擬で作られた4階建ての天守閣。
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清州城は、室町期の1405年、尾張国の守護であった斯波義重が、守護所があった下津城の別郭として建てられたのが始まりと言われている。戦乱の中で下津城が焼失すると、1478年に守護所が清須に移転すると、清須が尾張国の中心地となった。天守閣内部は、そのような歴史の紹介が充実しており、非常に勉強になる。天守最上階からの眺望はなかなかで、市街地がよく見通せる。
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そして、1555年に織田信長が那古野城から入城、尾張を統一し、1560年の桶狭間の戦いに勝利して、清須から天下統一の野望を抱く。しかし、本能寺の変が起こり、跡目を決めるかの清須会議がここ清州城で行われ、次男の信雄が城主となり、改修に着手、巨大な郭域の中に城下町を取り込んだ都市として過去最大の規模に達した。城を後にして、正面のショットを撮影。城門と天守閣はなかなかのもの。
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その後城主は、織田家から豊臣秀次、福島正則と移り、関ヶ原後は松平忠吉、徳川義直となった。1610年、徳川家康は清須城廃城と名古屋城築城を命じ、「清須越」が行われ、城と城下町ともども歴史から消された。付近には、発掘調査によって明らかになった石垣が復元され、展示されているので、訪問の際には是非。
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また、徒歩数分の公園には、パワースポットとして、織田信長と濃姫にツーショット像がある。夫婦の絆・立身出世・必勝祈願の3つだそうだ。
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清州城は天守閣の展示や他の見所を廻って、1時間もあれば十分。歴史の中で、重要な役割をしたと言っても過言では無いが、遺物が残っていない点が残念。ただ、織田信長ファンの方は、この出発点は是非、訪れるべきであろう。
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続100名城の65城目は愛知県の小牧山城。電車でのアクセスは名鉄の小牧駅、岩倉駅などからバスで「小牧市役所前」で下車すれば、城址近くに到着出来る。車であれば、城址目の前に小牧山北駐車場があり、2時間までは無料だ。
登城日は2018年8月18日。大垣城から車で向かい、到着したのは17時過ぎ。真夏なので、この時間でも暑かったが、まあ、真昼間よりは良いであろう。緩やかな階段の登城路を行く。150mほどだ。
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小牧山城は1563年に織田信長が美濃攻略の為に築城し、本拠地とした。4年後に、美濃稲葉山城を攻略、これを岐阜城と改名し、居城を移し、廃城となった。以前には、信長が美濃攻略用に急増した砦のようなものと思われていたが、近年の発掘調査により、主郭の周囲を石垣で囲った本格的な城であることが判明した。この転落石は、石垣に積まれていたものが落ちたものである。
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登城開始して5分程度で小牧市歴史館(小牧城)が見えて来る。西本願寺の飛雲閣をモデルとしたものであるとのことで、この中でスタンプがゲット出来る。4階建てで小牧市の歴史、小牧山城の歴史的資料等がある。
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最上階からの眺望は期待以上のもであった。濃尾平野が一望できる。
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廃城して17年後、羽柴秀吉と徳川家康の小牧・長久手の戦いで、家康がここに本陣を敷いた。主郭跡の周辺には当時の石垣も残っている。
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その後は尾張徳川家が管理することになり、一般人の立ち入りは制限されていた。明治維新もそのままであったが、昭和に入り、時の徳川当主が国に寄付した。現在でも発掘調査が続けれられており、新たな発見に期待を抱かせる。
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主郭周囲にある石垣が当時を偲ばせる。
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小牧山城は山城とは言えど、山麓からの往復、歴史館での勉強をしても1時間程度であろう。山麓の周囲も遺構が残っており、それも見るなら1時間半程度。信長と家康と言うこの時代を代表する人物が拠点とした城であることでその価値が高く、新たな発見も楽しみである。
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続100名城の9城目は古宮城。3連休に千葉での法事を終え、千葉から車で途中の名城に立ち寄りながら名古屋へ帰る。17日は3城を予定、最後は愛知県新城の古宮城。アクセスは電車ではJR飯田線の飯田駅からバス25分とのことだが、かなり、ローカル。車なら、スタンプ場所の作手歴史民俗博物館から、車で数分。ただ、駐車場のような箇所に数台止めれるスペースしかない。また、スタンプの博物館は管理人さんによるとほぼボランティアレベルでやっているので、15時まで。ただ、閉館後や閉館時は近くのコンビニで押印できる。
登城日は2018年9月17日。駐車場のようなところに1台バイクが止まっているのみ、そこに駐車して登城。
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駐車場にすぐそばにある登城口は神社だ。人気もなく、少々、不安になりながらもバイクのライダーさんもいるはずだしぃー、と思い、先へ進む。夜はとてもじゃないが、無理っぽい。
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すぐに、ご神木の案内がある。だが、見所箇所の案内はない。遊歩道なのかどうなのかよくわからない道を進むと、ドン!と現れる。
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厳重に守られた感じのご神木。確か、これ以外、案内などが記載されたものは無かった。従い、歴史館でコピーの資料を入手してからの登城をお勧めしたい。ただし、その城内案内を見ても、縄張りや城の構造などにある程度、詳しくないとよくわからないのでは?と思う。これが主郭かな?と思う場所。
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古宮城は、かの武田信玄が徳川攻略のために、17571年に築城させたと言われている。その後、武田氏の凋落とともに廃城となったようである。武田氏の高度な築城術が残る貴重な城跡とのことだが、専門家でもないし、イマイチ、良く分からなかった。複数の堀で固めているのは、何となく、これかな?と思ったが。
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森の中だが、平地のにあるので、登城自体の体力的厳しさはない。ただ、案内が無いので、折角の武田氏の築城術の凄さを感じることが出来ないのが残念。やはり、あるレベルの知識を持ってからの登城、もしくは、学者先生に案内してもらうなどではないと、わからないと思う。ざっと、廻るなら20分程度、いるはずのライダーさんも発見できずで、人の気配は無かった。だが、高地ではないし、意外と開けているので、クマさんなどの危険な動物とバッタリ出会うことはないと思う。早く整備され、城自体が理解できるような状態にして欲しいと願ってやまない。
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続100名城の8城目は吉田城。別名は今橋城、豊橋城。3連休に千葉での法事を終え、千葉から車で途中の名城に立ち寄りながら名古屋へ帰る。17日は3城を予定、2城目は愛知県豊橋市の吉田城。現在は、豊橋公園の中にある。アクセスはJR豊橋駅から徒歩20分か、路面電車で10分ほどで豊橋公園前下車。車は公園周辺に市営駐車場が複数個所にある。
登城日は2018年9月17日。屋外の駐車場は満車、近くの地下駐車場に止め、豊川沿いから登城。立派な石垣と天守らしきものが視界に入って来る。
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吉田城は1505年、牧野古白なる人によって築城されたと言われる。1590年に池田輝政は入り、本格的に築城し、城下町を作った。その縄張りは背後に豊川を控え、「後ろ堅固の城」と言われた。少々わかりにくいが、北御多門跡から豊川が見え、その近さがわかる。
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吉田城に行くと、一見、天守と思えるが、実際は「本丸鉄櫓」である。とは言っても、天守と記載されている絵巻等もあり、実質は天守であったが、天守とは呼ばれなかった、というのが事実らしい。
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天守内部は有難いことに無料、スタンプは受付のところにある。中は展示物や説明のパネルなどがあり、勉強しやすい。地元の高校で作った復元模型がある。
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眺望はさほど良くは無いが、豊川の目の前にあるのが良くわかる。
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吉田城の石垣は、この鉄櫓の周辺がメインであるが、野面積みで池田氏築城のもので手直しされていないと言われているから、結構、貴重だ。石垣の花崗岩に大名た家臣の刻印がされているのも確認されており、大坂城や名古屋城などにも見られる。この石垣は名古屋城築城に余った花崗岩を使用したのもわかっているらしい。
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吉田城はアクセスも良く、公園となっているので散策を兼ねてゆっくりと見廻るのが良い。およそ45分程度だ。築城時の石垣が残っている点と、豊川沿いに立ち、要害となっていることも簡単に確認が出来る、意外とお勧めの城だ。
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100名城の19城目は愛知県の長篠城。長篠の合戦で有名な天然要害の堅城だ。アクセスは名鉄の豊橋駅で下車、乗り換えでJR飯田線で長篠城駅下車。無人の駅からは徒歩10分弱程度で到着する。車なら、城址の目の前にある長篠城址史跡保存館に駐車場がある。電車の本数が少なく、無人駅なので、駅舎も小さい。帰りの時間をチェックし、効率的な登城計画を立てた方が良い。
登城日は2018年6月2日。まだ、6月だというのに暑かった。今思えば、今年の猛暑はこの頃からすでに始まっていたのかもしれない。まずは、史跡保存館に立ち寄るのが良い。長篠城の勉強と様々な出来事やエピソードを学べる。もちろん、スタンプも設置してある。火曜が休館らしいので、訪問前に要チェックだ。
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長篠城は1508年に菅沼元成が築いた。その後、徳川家康が対武田軍防御のために、整備したとのことだ。南に宇連川、西に寒挟川があり、50Ⅿの断崖上に位置している。本丸の奥から覗いても、ハッキリとわからないが、断崖になっているという。
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1575年の長篠の合戦の際、長篠城に籠城した家康の家臣、奥平貞昌は、大量の武田軍に囲まれ、落城の危機に陥っていた。そこで、岡崎城の家康に援軍を求めるが、その時の密使が、「鳥居強右衛門(すねえもん)」である。武田の包囲網を突破し、岡崎城に到着、家康らに窮状を訴えた後、帰城する際に武田軍に捕まる。その後に取った行動が、忠誠心の塊であり、未だに、烈士とされているのであろう。保存館にある磔時の絵は、強烈な印象として心に残っている。
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もう一つ、エピソードとして、1836年にアメリカにて起きた「アラモの戦い」である。長篠城の籠城戦とこのアラモの戦いが良く似ているとこと、大量の敵軍の囲まれた籠城戦で苦戦していたこと、鳥居強右衛門と同様の働きをしたボナムなる仕官がいたこと、などである。これにより、友好の碑が本丸に立っていたりする。
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他の見所としては、土塁や堀、郭跡などである。帯郭跡はこのような感じ。
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長篠城はさほど大きくないので、城内散策は長くて15分程度。保存館をゆっくり見ても、1時間も必要ないであろう。歴史的な場所であること、鳥居強右衛門や外国との関係など、特色がある場所。ただ、断崖絶壁感が感じられないのが残念だ。
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100名城の17城目は地元愛知県の犬山城。別名は白帝城。現存12天守にして最古の天守、且つ国宝となっている誰もが知る日本が誇る名城だ。アクセスは、名鉄犬山線の犬山遊園駅から徒歩にして約15分、車なら駐車場が近くにあり、楽に行ける。
登城日は2016年9月11日が初、2018年3月24日にスタンプ押印を目的に2回目の登城。2回目は犬山遊園駅から木曾川沿いを歩く。このアングル、結構好きだ。
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1537年に織田信長の叔父である織田信康が築城した。現存最古の天守は、1617年に成瀬正成が城主となった時に築かれたものとのこと。400年も前のものがこんな高い所に立っているのが凄い。
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土曜日ともあれば、人出が多く賑わう。2回目の登城では、天守登城へは渋滞の列。あきらめて登城しなかったので、2016年に登った天守からの眺望を貼る。あまり、天気は良くなかったが。
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明治期の1891年、濃尾地震で天守が半壊してしまう。そして、旧藩主の成瀬氏に無償で譲渡され、義援金により修繕が進む。2004年、(財)犬山城白帝文庫に所有権が移転されたことは、当時、ニュースになった。
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この日はまだ、桜が咲いておらず、こんな感じで微妙。満開の際にはさぞかし、人手が多かろう。
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滞在時間は駅からなら往復で、天守まで上がれば、土日なら、2時間程度か。平日なら1時間半くらい。スタンプは城内の管理事務所にて。混み合う天守受付ではないので、ご安心を。犬山城は城内自体、こじんまりとした感じだが、折角のこれだけの価値のある名城、遠方から遥々来るなら、やはり、平日にゆっくり来て欲しいというのが、地元愛知県民の思いだ。
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100名城の8城目は地元愛知の岡崎城。別名は竜城、竜ヶ城などと呼ばれる。神君出生の城として有名だ。アクセスは容易でJR岡崎駅から徒歩10分ほど、付近に駐車場もある。
登城日は2017年11月19日、電車で駅から徒歩で行く。現在は岡崎公園となって整備されている。
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築城年は1455年頃とされており、1531年に家康の祖父である松平清康が現位置に移して、岡崎城となった。1542年に徳川家康が誕生、以降、江戸幕府開設後も本多氏、松平氏などの譜代大名が居城していたというから、一種の名誉だったのであろう。
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明治維新後に大部分は取り壊されたが、1959年にほぼ原形通りの天守が復元され、現在に至る。天守からの眺望は柵があり、興ざめする。
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残念ながら、現存する遺物はなく、これといった見所はない。本多忠勝像やからくり時計くらいか。

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スタンプは天守1階にある。公園内をゆっくり散策しながら回っても1時間は掛からないだろう。

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100名城の7城目は地元名古屋の名古屋城。別名は金鯱城など、大坂城、熊本城とともに日本三大名城の一つで、国指定特別史跡となっている。アクセスは名古屋の中心地にあるため、様々な手段で容易に到着できる。
登城日は2017年11月15日。まずは、部分公開されていた本丸御殿に行く。(2018年6月より完成公開)1610年の名古屋築城の5年後、1605年に住居・政庁として作られた書院造の御殿である。昭和20年の名古屋空襲により、消失、その後、復元された。

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御殿内の障壁画はその多くが重要文化財に指定されている。まさに豪華絢爛で、必見の価値があるものばかりだ。近々、公開された御殿を見に行く予定だ。

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名古屋城は関ヶ原後の1610年家康は築城時に、加藤清正や福島正則らの当時の英傑に命じ、完成したまさに権力の象徴と言っても良いであろう。
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空襲にて大天守は失われ、60年ほど前の1959年に再建されたのが現在の天守。ただし、2018年5月から天守閣木造復元事業のための、完成までの当面は入場できないので、要注意だ。金の鯱は特に有名で、空想上の生き物、水を呼ぶ火除けのまじないとされてきた。

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しばらくは見れないので、天守からの名古屋市内がこんな感じ。あまり、感動はない。
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西南隅櫓(未申櫓)からの天守閣も格好良い。
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スタンプは、各所にあり、東門の改札所で押印した。名古屋城内は広いので、天守や本丸御殿に加えて、櫓や庭園を見るなら、1時間以上は必要。特に、休日などは待ち時間入れるともっとかかるか?いずれにせよ、木造天守の再建が待ち遠しい。

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