サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:新潟県

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続100名城の13城目は村上城。別名は舞鶴城、本庄城。9月最後の3連休に有給休暇を2日取得し、長野新潟5日間11城制覇の旅。3日目は3城の予定で、最後の3城目だ。新発田城から車で向かうこと1時間弱で、村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)に到着した。アクセスは電車はJR村上駅から徒歩25分でおしゃぎり会館到着、そこから城入口までは徒歩10分ほど。車なら、おしゃぎり会館に駐車場あり、城入口前にも大きくは無いが駐車場があるので便利だ。
登城日は2018年9月24日。おしゃぎり会館でスタンプを押印、会館と隣にある国重要文化財の若林家住宅、村上歴史文化館の3点セット券を購入。会館内で勉強、良い感じの模型が展示されていたのでご紹介。
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会館から10分弱ほど歩き、城の入り口である一文字門跡に到着。本丸や城郭に行くには必ず、通る門であったとのこと。右奥に見える整備された道から、一気に登城する。
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10分弱程度でいきなり、石垣群が見えてくる。台風か大雨の影響なのか定かではないが、落石し、補修中であった。
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少々、わかりにくいかもしれないが、十字路になっている珍しい四ツ門跡。4方向に扉がある櫓門であったとのこと。
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村上城は標高135mの臥牛山にあり、室町時代に築城されたと言われている。城主は本庄時長、江戸時代に入り、堀氏が大改修する。1649年に譜代の松平氏が入封すると、再び、改修が始まる。現存する石垣等はこの頃のものと推定されている。天守に向かう途中の石垣。
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出櫓跡にある大石垣は修復したものだが、壮大だ。道の左側は工事中で立ち入り禁止だった。
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巨大な石垣の脇を通り、すぐに本丸へ。天守台跡に到着する。天守はあったが、明治期に破却されてしまったとのこと。
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天守跡からの眺望は素晴らしかった。少々、曇りで残念だったが、日本海が一望出来た。
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下山にあたっては中世散策コースと言うあまり人が行かないコースもあり、蜘蛛の巣とか貼りまくりだったが、是非行ってみて頂きたい。往路の石垣群が近世コースで、中世コースはそれこそ、山城である。こんな感じで。
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やや夕暮れ時だったこともあり、すぐに下山。結局、往復40分程度であった。おしゃぎり会館からなら、往復で1時間ちょっとくらいだ。また、山麓から、天守跡も見えるので是非、確認してほしい。会館の出窓からも案内があり見ることが出来る。
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ご参考までに、セット券の若林家住宅の写真を貼っておく。200年ほど前の中級武士の茅葺屋根武家屋敷だとのこと。庭も綺麗だった。国の重要文化財に指定されている。
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村上城は山城の割には、さほど厳しい山道ではなく、中世と近世の面影が残っている面白い城である。特に、石垣は圧巻だったので、石垣好きの方には、強く、お勧めしたい城だ。これで、3日目は終了、村上温泉にて疲れを癒す。4日目は名古屋への帰路もかねて、村上から、一気に松本城へ向かう。
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100名城の30城目は新発田城。別名は憶えきれない菖蒲城(あやめじょう)、舟形城、狐尾曳ノ城。9月最後の3連休に有給休暇を2日取得し、長野新潟5日間11城制覇の旅。3日目は3城の予定で2城目だ。アクセスは電車は、JR新発田駅から徒歩20分。車なら周辺に数か所の無料駐車場があるので気軽に行ける。
登城日は2018年9月24日。朝一に登城した春日山城から車で、昼食を挟んで1時間半くらいで到着。旧二の丸跡の駐車場に行き着くと、早速、新発田城の見所の一つである三階櫓が目の前に見えてくる。再現ものであるが、当時は天守の扱いで、最上階の3つの鯱は全国的にも珍しいものだと言う。残念なことに、行けば分かるが、この三階櫓の場所は自衛隊の駐屯地となっており、中に入ることは出来ない。

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良い感じの外堀の周囲を歩きながら、登城口である本丸表門に到着する。1732年に再建されたもので国の重要文化財に指定されており、見所の一つだ。
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表門にスタンプがある。係りの方に聞けば、出してくれる。そして、目の前が本丸になる。近い。新発田城は、上杉謙信の父である長尾為景と対等の力をもった新発田氏の居館跡に入城した溝口秀勝が新たな縄張りにとりかかり、3代目の宣直の時代に完成、以降、溝口家の居城となった。
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本丸の先は壁がある。自衛隊の駐屯地となっているためだ。従い、表門から入りすぐの本丸を見て、すぐに左か右に行くしかない。取り敢えずは、重要文化財である旧二の丸隅櫓を見学する。1668年の火災後に再建されたもので、二の丸北部にあったものを現在の位置に移設したものである。現存していると言う点で、その価値は表門とともに高い。
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他には、再建されたものであるが、辰巳櫓がある。城内では、旧二の丸櫓よりも重要な感じで辰巳櫓がある気がした。歴史的価値と言う意味では、全然違うのであるが。
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明治期にほぼ破壊されてしまったので、城内は大きくはなく、登城して各所を廻っても20分程度で十分。堀や石垣も立派なので、是非、見て頂きたい。この後、この日最後の3城目、村上城へ向かった。
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100名城の29城目は春日山城。9月最後の3連休に有給休暇を2日取得し、長野新潟5日間11城制覇の旅。3日目は3城の予定で1城目だ。
登城日は2018年9月24日。前日の23日、上越市にある高田城福島城に登城、そのまま、上越市内のホテルに宿泊。朝一、車でまずはスタンプ設置場所でもある春日山城跡ものがたり館に向かう。9時の開館前だったので、広大な春日山城史跡広場にて、新鮮な空気を思いっきり、吸い込む。天候は曇りで、気温は18度前後だったと思う。やはり、このくらいの気温での登城は最高だ。思えば、2018年夏の歴史的猛暑の中での登城は、まさに地獄だった。
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春日山城跡ものがたり館にてスタンプをゲットし、展示物を見学。春日山城に関するビデオも鑑賞し、城主・上杉謙信が祀られている春日山神社に向かう。ここからの登城が一番、楽。もちろん、要所はほぼ見ることが出来る。駐車場も神社の目の前にあるので良い。っと思ったが、神社であることを忘れていた。
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まあ、このくらいなら。朝一での運動なので、少々、心臓が泣いたが、すぐに登り切る。そして、左に行けば、かの有名な上杉謙信像、高台に設置されており、上越市内を見つめている。携帯電話での写真なので、このくらいが精一杯。
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初期の築城については、時期、人物ともに明らかなっていないが、600年くらい前の南北朝時代であると言われている。その後、長尾為景が改修し、その子である謙信が完成させた難攻不落の山城である。
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来た道を戻り、神社に向かって右側が登城口。すぐに、さりげなくある御屋敷跡の看板を発見、行ってみることに。山城に良くあることだが、いかにも誰も行きそうにない道に誘う看板があるが、行ってみると、大体、目標は結構、遠かったりする。だけど、折角、来たから途中で戻れない、だから行くけど、いつ着くの?って感じだ。しかも、その目標場所に看板が無かったりする。そして、あまり人が行かないので、獣道っぽく、人気もなく寂しいのが多い。御屋敷跡もしかりで、多分、これだ。まあ、歩いた道は搦手道でもあることがわかり、やや満足はしたが。
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とは言うものの、春日山城は道も整備されており、案内や看板はちゃんとあるので心配はご無用。かえって、見所が多くて困ってしまうくらいだ。本丸到達前にも色々とあるが、千貫門跡にある空堀は恐怖心を覚えた。門に侵入してきた敵を断崖に落とすよう巧妙に仕組まれた道のような濠だとのこと。確かに、騙された気になって門跡の先を進むと、あった。この先はチラ見したが怖くて、撮影できず。足元が土であるのは、滑って落ちそうでやっぱり怖い。行く人は「この先、ヤバイ!」とかの看板はないので、気を付けて欲しい。命あっての100名城、続100名城なのだから。
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次に、本丸到着前で外せないのは色々とあるが、やはり、毘沙門堂と思う。謙信と言えば、悪魔を降臨させると言う毘沙門天の「毘」の旗印。まさに、悪魔の軍と言うことだ。このお堂の中にある毘沙門天尊像の由来が凄い。左の看板によれば、「尊像は上杉景勝公の頃に会津から米沢に行き、1849年の火災で被災。その約80年後の1928年、東京美術学校(現東京学芸大)に修理を依頼、何と、実際に修理したのは、かの高村光雲。で、その際に分身が作られ、尊像の欠片を体内に入れて、1930年に完成しこの祠堂に奉られた。」とのこと。隙間から尊像に拝謁できるので、是非。
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その他にも、上杉の重臣・直江家屋敷跡、お花畑跡、諏訪堂跡、護摩堂跡などがあり、スタートの春日山神社から、約20分で本丸に到着。
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標高180mにある本丸跡の眺望は、何と、1597年に描かれた「越後国絵図」と同じであったから、驚く。現地で、是非、ご確認いただきたい。
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その後、天守閣跡(実際は天守はなかった。)を見て春日山城を下る。それでも、まだ見所がある。まずは、井戸丸址。大き過ぎる。覗くことも出来るが、ブラジルはリオデジャネイロまで貫通しているのではないか、と思わせるくらいだ。(ちょっと、大袈裟)
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御館の乱で謙信の跡目を勝ち取った上杉景勝の屋敷跡、御成街道、二の丸跡や三の丸跡など、見ていて飽きさせない。珍しさと当時の姿が残っているという点で、米蔵跡の周辺の土塁を紹介。
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春日山城は山城ではあるが、登城する道は緩やかであり、きつくはない。数多い見所を見て廻って、約1時間程度であろう。誰もが安全に分り易く、且つ、歩きやすくなるよう整備している点、当時の姿を結構残していると言う歴史的価値など、登城して良かったと思わしめる素晴らしい城と思う。そして、春日山神社前での地元の方のPRの熱心さ、親切さ、郷土愛みたいなものも加えて、初めての★★★★★とさせて頂いた。この後、新潟2つ目の100名城、新発田城に向かった。
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9月最後の3連休に有給休暇を2日取得し、長野新潟5日間11城制覇の旅。2日目は3城の予定だったが、直前に登場した高田城と関連があり、近いので行ってみることにした。
登城日は2018年9月23日。高田城からは車で10分程度。ナビにも出たので、迷わず、着くことが出来た。福島城は今は小学校になっているので、その校門の前にある駐車場らしき微妙なスペースに駐車した。学校の銘板の脇に分り易く、碑があった。
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校門から入城?すると、すぐ左に僅かばかりの石垣が残っている。学校の敷地内ながら、しっかりと歴史を残す姿勢が素晴らしいと思う。
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福島城は1607年に完成し、その7年後には廃城となってしまった寂しい歴史を持つ城である。城主は、初代が堀忠俊、2代目が高田城城主にもなった松平忠輝。忠輝は城主になった4年後に、理由は定かではないが、高田城を築いて移ってしまった。その結果、廃城となってしまう。ただ、残った石垣と古図から、かなり立派な城であったのではないか?とされている。
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城址全体としては、このような感じ。1枚で収まってしまうほどだが、学校の片隅できれいに保存されている。
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高田城の三重櫓内の展示でも福島城のことは結構、触れられていた。それなりの役割を果たした城なのであろう。まさに、「まぼろしの福島城」、推定の模型写真があるので、それを貼っておく。是非、時間があれば、訪問して頂きたい。
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続100名城の12城目は高田城。別名は多過ぎる高陽城、螺城、鮫ヶ城、関城。9月最後の3連休に有給休暇を2日取得し、長野新潟5日間11城制覇の旅。2日目は3城の予定で、最後の3城目だ。鮫ヶ尾城から、車で15分程度で上越市に到着。高田城目の前に無料駐車場があるので、アクセスは容易だ。
登城日は2018年9月23日。幸い、駐車場も城の目の前に止めれたので、信号を渡って、僅か10秒で極楽橋に到着。復元されたものだが、徳川家康の六男である松平忠輝が高田城を築いた際に作ったものである。入念な発掘調査による再現ではあるが、安全面を考慮し、木造ではなく、重要な部分はコンクリート製とのこと。
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極楽橋からすぐに、本丸跡に到着する。現在では学校となってしまっている。天守閣は当初からなかったとのことである。
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見所の一つ目は、再建された三重櫓である。本丸南西隅の土塁上に建設された。廃城後、1886年に取り壊されてしまった。スタンプが券売所にある。
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もう一つの見所は、広大な内堀と土塁である。ほぼ当時の面影を残してあるというものの、なかなか、城に興味にある人で無い限りは、その貴重さに気が付かないのではないか?
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17世紀後期の絵図だが、これを見た方が、内堀の凄さを感じられると思う。もちろん、現地でも、是非。
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現在の高田城内はさほど広くは無いので、外を見廻っても30分で十分。三重櫓の色合いの渋さと内堀が印象に残った。この後、高田城と関係のある100名城でも続100名城でもない福島城が近くにあるので、立ち寄ることとした。
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続100名城の11城目は鮫ヶ尾城。(さめがおじょう)別名は宮内古城。9月最後の3連休に有給休暇を2日取得し、長野新潟5日間11城制覇の旅。2日目は3城の予定の2城目。松代城川中島古戦場に行った後、新潟県妙高市まで、高速道路を疾走、途中、昼食を挟み、約1時間少々で到着した。
登城日は2018年9月23日。無料の駐車場から3分少々歩くと、まずは、斐太(ひだ)遺跡が見えてくる。全く知らなかったが、今から約1800年前の弥生時代末期の遺跡群で、国指定史跡。綺麗に整備されているので、時間があれば、散策するのも良いであろう。その少し先のスタンプがある斐太歴史の里総合案内所に行く。外には、「クマに注意」と書かれているので、聞いてみると、だいぶ昔には出たが今は出ないらしく、一方でイノシシの目撃はごく稀にあるとのことだった。スタンプして、記帳をしていると管理人さんが親切にも登城ルートなど、色々と教えてくれた。山頂の本丸まではだいたい20分程度、途中、急な個所はあるものの、総じて、厳しくはないとのことだった。案内所の前にある説明版を見てから、登城を開始する。鮫ヶ尾城は上杉景虎悲劇の城だ。1578年に春日山城にて上杉謙信が没した後、跡目争いが生じ、養子の景虎と景勝との争いとなる。これを御館(おたて)の乱と言うらしい。歴史の教科書には出ていなかった気がするが。その最終決戦の地が、ここ鮫ヶ尾城である。
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親切な管理人さんが登城口の入り口まで案内してくれた。淡水魚の池から行く。釣り人が少々、いた。少し、登ると、大堀切が見えて来た。見所にはちゃんと案内があるのが嬉しい。
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道中は夏で伸びた木々で少々、うっとおしい気もしたが、道は整備されているし、案内板もあるので、迷うことは無かろう。登城して15分弱で本丸に到着する。
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鮫ヶ尾城は上杉謙信の時代に完成したと言われ、前述した御館の乱で落城し、その使命を終えたと言う。従い、謙信築城時の状態を保っているという点で貴重なものであるとのこと。本丸跡は景虎が妻子とともに自害した場所との伝説がある。その眺望は素晴らしい。
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少しの休憩後、管理人さんに言われた通り、往路とは別の北登山道から下る。雨が多い日が続いたせいもあり、少し、ぬかるんでいたが、整備されているので問題はなかった。途中で、景虎の清水なるものを発見。写真では見にくいが、清水が沸いていた。
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一気に登り、すぐに下ったので、イノシシ君に会うこともなく、往復で30分強だった。夏場は少々、厳しいだろうが、それ以外の季節であれば、山城の割には楽に登れると思う。決して、歴史の表舞台に派手に登場するわけではないが、続100名城に選定されたことで登城者も増えていると、管理人さんが笑顔で言っていたのが印象的だった。この後、本日最後3城目の上越市にある高田城へと向かった。
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