サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:福島県

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続100名城の81城目は福島県の向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)。別名は岩崎城、巌館。アクセスは電車では、JR会津本郷駅から徒歩約30分。車なら、城址前に無料駐車場が有る。
登城日は2019年4月28日。10連休という滅多に無い機会を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の初日、計2城目だ。三春城から車で向かうこと、1時間も掛からずに向羽黒山城整備資料室に到着。室内でべ学習し、入り口でスタンプを押印するが、そこには熊の出没情報の記載あり、ちょっと重たい気分なるも、取り敢えず、登城口に向かった。城址入口の目の前に駐車場が有るのは有り難いが、登城口には、「熊出没中」とある。「出没注意」ではなく、「出没中」なので、「いるってことか!」と思い、リュックとズボンにダブルで鈴をつけて、いざ、スタート。
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向羽黒山城は、1561年、鎌倉期からこの地の有力大名であった蘆名氏(あしなし)の盛氏が隠居城として築城した。登城開始後、やや急な道を行くが、基本的にちゃんと整備されているので、問題は無かろう。すぐに、圧倒される堀跡に出会うことになる。
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わずか10分も掛からずに一の曲輪(本丸)の虎口に到着したのは良いが、ここで山麓から警察の大音量が流れる。耳を澄まして聞くと、どうやら、つい先ほど、この周辺の山中で熊発見の一報があったとのこと。やはり、この地方には、クマさんがいるのだなあ、と実感。
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この隠居城はすぐに廃城となってしまい、蘆名氏が滅亡すると、伊達氏、蒲生氏が入るが、1598年に上杉景勝に与えられる。その時に城の大改修を実施したとされる。一の曲輪、いわゆる本丸に到着。岩崎山の山頂であり、標高は408m。あの春日山城を凌ぐと言われる規模は、ここでも感じることが出来た。
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最終的に、上杉景勝は徳川家康の命により米沢へ移封となり、1601年に向羽黒山城は廃城となった。行きは古城の道からだったので、違う方向から下り、二の丸方面へ。途中、礎石建物跡が何か所かあった。
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一旦、舗装された道路に出て、二の丸跡へ。ここでは、「熊出没注意」だった。奥の階段を上って行く。
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二の丸跡は広場となっている。遊具などもあったが、古びており、立ち入り禁止となっていた。奥には展望する場所がある。
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ここからの眺望は素晴らしいの一言、是非、美味しい空気を吸って頂きたい。
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この城は、とにかく、堀がいたるところに残っているのがポイント。山城が好きな方であれば、十分に満足できるものと思う。さすがは、東北随一の山城と言われるだけある。
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少々余談であるが、近くには「出世稲荷神社」があるので、階段がかなり厳しいが、出世したい方は是非。また、4月末はこの周辺が桜の名所でもある。
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向羽黒山城は一ノ曲輪、二ノ曲輪から三ノ曲輪、北ノ曲輪まで廻って、約1時間であった。堀や土塁、虎口など戦国時代の山城が良い状態で残っているのが特徴。もう少し、説明版や案内板があって欲しいなあと思う。また、熊さんについては、無責任なことは言えないが、意外と開けており、あまり、遭遇しそうな雰囲気ではなかったとの言うのが実感。この時期だからと言うのもあるかもしれないが。ただ、熊出没情報にはご注意の上、登城して頂きたい。
この後は、米沢市へ向かう。続100名城の米沢城と、100でも続100ではないが、非常に面白そうな山城である舘山城の2城を巡り、初日は終了の予定だ。
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続100名城の80城目は福島県の三春城。別名は舞鶴城。アクセスは電車では、JR三春駅から徒歩約30分。車なら、城址に無料駐車場が有る。
登城日は2019年4月28日。10連休という滅多に無い機会を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の初日。前日の27日午後に名古屋をマイカーで出発、長距離を走って、夜に郡山に入った。翌日、郡山から30分程度で三春市歴史民俗資料館に到着。スタンプをゲットし、城址前にある駐車場に止めて、登城開始。秋田氏がここに入城した際の縄張りと現在の状態を重ねた案内図があった。

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登城路はこのように綺麗に整備されているし、部分的に手摺りもあるので、しんどさはほとんど無いと思う。
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三春城は1504年に田村義顕が築城したとされる。その後、長く所領としていたが、1590年の豊臣秀吉の奥羽仕置によって改易されてしまう。後に、蒲生氏、上杉氏、加藤氏などが一族や重臣を配置していた。蒲生氏の頃に修復されたとされる石垣が残っている。
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矢倉跡を過ぎれば、二の丸跡が近くなる。途中にあった城址碑と説明版。
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登城開始して、約3分ほどで二の丸跡に到着。ここの休憩所のバックス内にも、スタンプがあった。(本丸では無い。)
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広い二の丸跡の奥からの眺望は素晴らしく、周囲の山々を見渡すことが出来る。かつてはこのあたりに天守代用の三階櫓が建っていた。
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江戸期に入り、1628年、松下長綱が入ると、大規模な改修を実施、近世錠郭へと変貌させた。二の丸から本丸へはすぐだ。
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松下氏の頃までは、ここ本丸に城主の居館があったとされる。松下氏改易後に入った秋田氏の頃に、居館は山麓に移設され、明治維新まで秋田氏がこのあたりを治めた。本丸には、奥跡や大広間跡が残る。
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本丸を後にして、三の門跡、揚土門跡などを見ながら、行きとは違う道を下って行く。下り切ると竪堀跡があったが、草木が元気過ぎて、ハッキリとした堀跡が確認できなかったのは残念。

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三春城は登城路が整備されているので、気軽に登れる山城、早く廻れば20分少々でも可能であろう。もう少し、説明版があると比較的分かり易く登城できるのではないかと思う。
この後は、まずます険しいとされる山城の向羽黒山城へ向かった。2019年GWの22城の旅行、まだ1城目が終わったばかりだ。
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100名城の88城目は福島県の白河小峰城。別名は小峰城。アクセスは、電車はJR東北本線の白河駅から徒歩約10分程度。車なら、城址周辺に駐車場がある。
登城日は2018年8月26日。前日に続100名城の小机城、100名城の水戸城と廻り、新白河に宿泊、JR白河駅から徒歩で登城。晴天の下、美しい城内と平成で初の木造の復元天守(代用、三重櫓)が見えて来る。
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白河小峰城は南北朝時代の1340年~1369年頃に、結城親朝がこの地に城を築いたのが始まりとされている。本丸御殿跡は綺麗に整備されていた。

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天守の代用であった三重櫓は江戸時代の絵図などに基づいて復元されたものだ。手前の門は前御門。本丸の大手口にあたる。これも絵図による復元だ。

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1629年から、築城の名人である丹羽長重が4年を掛けて大改修した。美しい三重櫓に向かう。
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内部は撮影が可能だ。最上階はこのようなな感じで、復元とは言え、やはり、木造は良いものだと実感する。
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その後は、松平家などの7家21代の大名が居城、1868年の戊辰戦争における白河口の戦いで落城し、焼失した。櫓を後にし、垂直の石垣を改めて、眺める。
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2011年3月11日の東日本大震災でかなりの石垣が崩壊、この時点では多くが復旧していたが、見学できない場所もあった。現在の復旧状況はここをご参照されたし。三重櫓から来た登城路を下る。出口付近の石垣は近くで見ると、垂直でかなりの迫力だった。
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水堀と垂直の石垣、三重櫓のショット。この後、城址内にある白河集古苑にてスタンプをゲットし、小休止した。登城は厳しくは無いが、酷暑の中ではついつい、休憩してしまう。
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城内の見学は1時間もあれば、十分に廻れると思う。東日本大震災による被災の傷跡が残るが、市をあげての復旧工事に期待しつつ、僅かながらの寄付をした。
この後、名古屋への帰路へ着くが、途中、品川へ立ち寄る。そう、続100三名城で奇異な存在である品川台場が次の目的地だ。
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100名城の5城目は福島県の二本松城。別名は霞ヶ城。中世城郭である三の丸へは駐車場が近くにあり、アクセスは容易だが、本丸は山頂で徒歩30分弱くらい。体力に自信のない人や時間がない場合などは駐車場もあるので、一気に車で行くのが良いだろう。
登城日は2017年10月9日。正攻法の徒歩で三の丸から本丸へ向かう。最初の出迎えは悲しき二本松少年隊とその母親像だ。右に見える我が子の出陣服に家紋を縫う母親の姿が寂しい。戊辰戦争での悲劇だ。
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最初は畠山氏が築いた山城が始まりで、その後、加藤氏が近世城郭にし、丹羽氏が三の丸を整備して完成したらしい。登城すぐの山麓の三の丸は特に見所はない。正門にあたるのが箕輪門であるが、戊辰戦争時に破壊されての再建物だ。

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三の丸は池、松、滝などが整備されており、ちょっとした庭園の雰囲気だ。
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ほどほどに散策して、山頂の本丸を目指す。普通に歩けば約10分程度なので、本丸跡までの登城をお勧めする。到着すれば、3つのご褒美が待っている。1つ目は本丸跡にある大石垣。
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2つ目は本丸跡からの眺望だ。多少、しんどい登城はこれがないと楽しくない。ゆっくりとおいしい空気を吸う。
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最後の3つ目が東櫓台に聳え立つ謎の猫のような近代的な像。何の意味があるか調べようと思ったが、面倒なのでやめた。
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最後に1つ、おまけがあり、道中にある「日影の井戸」。「日本の三井」と言われており、残りが千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」とのこと、忘れなければ、行っても良いかもしれない。
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山麓と山頂に分かれているので、急いで登城すれば、1時間、ゆっくりなら1時間半というところか。スタンプは、JR二本松駅内観光案内所歴史資料館にてゲットできる。今回は上手に押せたが、インクが乾いておらず、対面の仙台城に付着してしまった。面倒だが、乾燥は必要だ。
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100名城の4城目は福島県の会津若松城。別名は鶴ヶ城、現地ではこっちの名前の方がポピュラーなのかもしれない。周囲に複数個所の駐車場があり、アクセスは容易だ。
登城日は2017年10月8日。西出丸から登場すると、わかりやすい解説が書いてあった。どうも、昭和9年の国指定史跡登録時は所在地を城名称とするようなことで、「若松城」となったそうだ。
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蒲生氏郷は1593年に7層の天守閣を作り、その際、この地を「若松」とし、更に、元々の「黒川城」から「鶴ヶ城」に改めた。以降、7層から5層になり、戊辰戦争後に取り壊され、昭和40年に5層、鉄筋コンクリート造りで再建されている。
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見所としては、復元天守と天守からの眺望、そして、石垣だ。天守からは市内はもちろん、城内も一望できる。
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見事な石垣は、白河小峰城、盛岡城とともに東北の3大名石垣城と言われている。
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その他に、「茶室 麟閣」がある。秀吉により千利休は死することになるが、その子「少庵」が若松で匿われていた時、蒲生氏家のために作った茶室で、復元され、元のこの場にある。
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城内はさほど広くはないので、天守まで登っても1時間もあれば十分であろう。スタンプは天守の受付にてゲットできる。だが、こんな最悪のスタンプの仕方は誰もやるまい。全踏破しても、城郭協会に認められないのでは?ダメダメスタンプのPartⅢ。100名城スタンプであることをしっかり確認し、登城記念スタンプと間違えないように押印すること。悲しすぎる。
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