続100名城の86城目は秋田県の脇本城。別名は涌本城、生鼻城、太平城。アクセスは電車は、JR脇本駅から徒歩で35分ほど。車なら、山麓と中腹に無料の駐車場有り。
登城日は2019年4月30日。GW10連休を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の3日目、計10城目。この日は、久保田城、秋田城と廻り、最後となる。
秋田城から昼食を挟んで、約1時間半で到着。車で行く場合、かなり交通量の多い道から急に脇道に入る感じだったと思うので、ご注意を。幸い、雨も止んで、山麓の駐車場に止めて登城開始。中腹の駐車場まで行くことも出来るが、道幅が狭いので対向車が来ると少々、面倒かも。山麓からはさほどキツイ坂を上るわけではないので、それぞれ、現地でご判断頂くのが良いと思う。
緩やかな坂道をゆっくりと歩き、10分ほどで中腹の駐車場に到着。ここにプレハブの脇本城址案内所があるので、まずは、スタンプをゲット。内部には無人なれど、パンフや説明がある。
実は、山麓から登って来た道は、「天下道(てんがみち)」と言い、中世の頃に交通の要所となっていた道とのこと。舗装されているのは残念だが、道筋は当時のままとのことで、少し感動しながら、歩いて行く。
脇本城の築城時期や築城者は明らかになってはいない。調査による出土品等から、15世紀にはその機能を果たしていたとされる。日本海に突き出るような丘陵にあるので、その眺望は絶景。曇り空であったのが、残念であるが、晴天であれば、嘸かし美しいと思う。
この城は、安東氏一族の安東愛季(ちかすえ)が安土桃山時代の1577年に大規模な修復を行って居城としたと言われている。内館(うちだて)というエリアを気持ち良く散策する。南端はこのような感じで、曲輪がしっかりと残っている。
南端から内館地区を眺める。竪堀跡、曲輪跡などがハッキリと確認出来、当時の築城技術の高さを窺い知ることが出来る。
安東愛季の次男である実季(さねすえ)の時、1589年に湊城に居城を移した時か、関ヶ原後に国替えとなった1602年のいずれかで廃城になった。家臣の居住地であった館群跡が残る。このような絶景の高台、羨ましく思うも、冬とかは風強く、厳寒であっただろうな、とも思う。
内館の西側には、南北250mにも及ぶ土塁が続く。日本海側に面しており、ここが海上交通の要所であったことを感じることが出来る。
脇本城の見所の中で重要なのが、主郭部と大土塁。主殿や会所があったとされる場所。
最大高さ6mの大土塁は圧巻であったし、桜も綺麗だった。
東端の大土塁に3方を囲まれているここに城主が住んでいたとされる。
脇本城は山麓から上がり、内館跡を隅々まで廻って、往復で1時間少々だった。内館以外にも馬乗り跡があるが、日も暮れ始めたので、断念した。馬乗り跡まで見るなら、更に1時間弱は必要と思う。非常に整備良く保存され、曲輪や堀、土塁など、山城ならではのものがかなり残っている点に感動した。更には、眺望は日本海を見渡せる絶景。ただ、夏は日除けする木々は無いし、冬はとても厳しそう。春や秋に登城するのが良いと思う。
これで、東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の3日目が終了。宿泊先の大館に向かった。翌日は、青森県の城を攻める。
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