サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:群馬県

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続100名城の48城目は群馬県の岩櫃城。(いわびつじょう)2018年の年末に群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡り。電車でのアクセスはJR群馬原町駅が最寄り。車では、城址の下に無料駐車場有り。
登城日は2018年12月27日。この日は、名胡桃城小川城沼田城ロックハート城に続き、最後の5城目。まずは、この冬季にスタンプ設置場所となっているJR群馬原町駅舎内にある東吾妻町観光協会にてスタンプと上州真田3名城のクリアファイルに、岩櫃城のシャープペンをゲット。そこから城址の駐車場へ移動、徒歩数分で岩櫃山の登山口に到着。この左側に建屋があり、冬季以外はそこでスタンプ台があるようで、この時期は無人でパンフレット等がある。
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人気のない山城へ登城開始。お目当ての本丸までは約500m。
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岩櫃城は築城年代、築城主ともに定かではないが、南北朝時代に吾妻氏が築城したとも言われている。又、武田氏領内の3名城の一つとされる。(他の2城は甲斐の岩殿城、駿府の九能城)登場してすぐに見えて来るのが、中城跡。本丸、二の丸の手前にある広大な曲輪だ。何故か、中央に廃棄されたと思われる軽トラがあるのが、少々不気味。一人なら、明るいうちの登城が良いだろう。
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5分ほど歩けば、本丸まで250mとの表示。ここまではかなり緩やかな登りであったが、ここからは急な道を行くことになる。道は整備されているので歩きやすかった。
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1563年に武田信玄は真田幸隆に岩櫃城攻略を命じ、城主の吾妻氏が奮闘するも、落城。真田氏は岩櫃城の改造を行った。二の丸から本丸へは大きな堀切がある。
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一時、沼田一帯は北条氏の支配下となるが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅びると、再び、真田家の支配下となり、岩櫃城は沼田城の支城としての役割を担った。当時の竪堀が綺麗に残っている。
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本丸の中でも少し高くなっている位置に櫓台跡が残る。ここから周囲を観察していたと推察されている。
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1600年の関ヶ原の戦いでは、真田昌幸が西軍、信幸が東軍につくが、岩櫃城は東方についている。その後、1615年に徳川家康の一国一城令により、岩櫃城は破却となる。本丸跡の城址碑がある。
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ここからの眺望は周囲が木々に覆われており、あまり見渡せる箇所が無かったが、一望できる場所からのそれはとても良かった。
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岩櫃城は山麓の駐車場から、中城跡、二の丸、本丸までの往復で40分程度だった。少々、駆け足だったので、実際はもう少し時間が必要かもしれない。もう少し、説明版が丁寧であれば、この堅城を深く理解できると思う。
これで、この日の5城巡りは終了、宿泊先の熊谷に戻る。翌日は、続100名城の埼玉の2城、栃木の1城を巡る。
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2018年末の群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡りで、沼田城から岩櫃城に向かう途中にロックハート城という英国の城があったので、立ち寄ってみることにした。電車でのアクセスは、JR沼田駅からタクシーで15分、上毛高原駅からタクシー20分程度。車は無料の駐車場あり。
登城日は2018年12月27日。沼田城からは車で10分ちょっとだったと思う。入城口はこんな感じだ。
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入城料を払い、案内に従って行くと、城への城門がある。
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ロックハートについて、英国・スコットランドの名家で、ウイリアム・ロックハート伯爵が、1829年にエジンバラの南西約50kmの位置に建てられた。 3200tの砂石で出来ており、地上3階、地下1階である。遠目から見ると、このような感じだ。
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1987年、俳優の故・津川雅彦氏が北海道に計画するレジャーランドの施設として、私費で購入。1988年に建物を解体、重量およそ600t、個数4,000個であり、これをコンテナ30個に入れて日本へ運んだ。途中、シベリア鉄道を経由、これには当時のソ連・ゴルバチョフ書記長の快諾があったと言う。
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1988年末に日本に到着、その後、資金上の問題で北海道での復元は頓挫、そこに沼田市の会社が買い取り、15,000人の建築スタッフにより、1993年に復元、完成となった。欧州の古城の移築、復元は日本で初めてである。正面からの姿も良いが、横からも歴史を感じる。
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城内は主に展示室、ライブラリーやギャラリー、お土産店などあり、全体的に非常に豪華で華美な作りとなっている。また、城の横には、故・ダイアナ妃の御料車が展示されている。1988年製のロールスロイスで、ダイアナ妃の来日時に現地より持ち込まれ、実際に日本で使用されたものだ。ちなみに、左の車は1931年製のプジョー201。日本にはこの1台だけ?と記載されている。
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他にも見所は多いので、是非、現地に足を運んでいただきたい。だが、この地は、恋人の聖地であり、ドレス姿になり写真に興じる若い女性同士やカップル、家族連れなどが多く、男が一人だけでいると、少々、恥ずかしい、とも思うかもしれない。
さて、予定外の場所に立ち寄ってしまったため、14時半を過ぎてしまった。この時期、山城は15時過ぎて来ると、少々寂しくなるので、急ぎ、次の岩櫃城へ向かうことにした。
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続100名城の47城目は群馬県の沼田城。別名は倉内城。2018年の年末に群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡り。電車でのアクセスは、JR高崎線・上越線の沼田駅から徒歩15分程度、車なら、城址に無料駐車場あり、即、登城可能。
登城日は2018年12月27日。名胡桃城小川城に続いての3城目。小川城からは車で10分ちょっとくらいで到着。現在、沼田公園(沼田城址公園)となっており、また、「天空の城下町 真田の里」と銘打っている。
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この入り口の左側が旧三の丸であるが、そこが駐車場と沼田市観光案内所がある。まずは、スタンプをゲットだ。案内所内は、沼田城のジオラマや模型などの展示物がある。かつては、5層の天守があった。
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沼田城は1532年に沼田顕泰が築城した。戦国時代にこの地は上杉氏、北条氏、武田氏などの戦国大名が激しく争ったところである。1580年に武田勝頼の配下であった真田昌幸が入城、1589年には豊臣秀吉の裁定により、沼田城と小川城が北条領、名胡桃城が真田領となった。だが、名胡桃城事件を契機に、秀吉の小田原攻めがスタート、翌年に北条氏が滅びて、真田信幸(之)が初代の城主となった。その後、真田家が5代91年に渡り、居城とした。その2代目である真田信吉が築いた鐘楼(復元物)が城内にある。また、鐘自体は現存しており、現在は稼働していないが、上州沼田真田丸展に展示されている。下の写真は鐘楼。
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見所の一つとしては、西櫓台の石垣。この時点では工事中であった。
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近くまで行けるので、是非。高くはないが、あまり遺物が残っていないこの城では貴重だ。
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本丸と西櫓台跡の間にある堀。
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本丸奥にある捨曲輪跡からの眺望は、日本100名山の谷川岳が見れる。すでに、雪に覆われていた。丘城の割には十分に良い景色。
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本丸にあった5層の天守は、1600年頃に真田信幸が作った。現在は神社の脇に天守台跡が残る。
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1681年に真田氏5代城主となった信利が暴政を行ったり、江戸の両国橋架け替え工事の用材調達遅延などにより、徳川幕府に領地を没収され、翌1682年1月に沼田城は幕府により破却となった。やはりこの城では真田の中でも初代城主となり、天守も築いた信幸が讃えらている。その証として本丸には妻の小松姫ととも像が建っている。だが、その出来映えは微妙だった。福井城の結城秀康公の像を思い出さざるを得ない。夫婦ともに、もう少し良くは出来なかったのか?
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その他の見所としては、天狗堂、平八岩、本丸の堀跡、国指定重要文化財である旧生方家住宅などがある。沼田城は広くは無いので、観光案内所の見学から城内の見所を一周して約45分もあれば十分であろう。案内板は分かり易かったが、解説はもう少し充実してほしいと感じた。
この後は、この日最後の岩櫃城へ向かう。続100名城の群馬制覇と上州真田三名城の最後だ。
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2018年末の群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡りで、名胡桃城の近くにあったので立ち寄ることにした小川城。電車でのアクセスは上越新幹線の上毛高原駅から徒歩5分ほど。車では城址前に微妙な駐車スペースのような箇所があるが、上毛高原駅前の2時間まで無料の駐車場に止めるのが良いだろう。
登城日は2018年12月27日。名胡桃城から車で30分掛からなかったと思うが、少々、駐車場所を探してウロウロしたので、実際は10分程度と思う。このような看板があるので、城址はすぐに発見できるはず。
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登城してすぐに、結構、深い堀に遭遇。ここまでしっかり保存されているとは、少々、驚いた。
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小川城は1492年に沼田景久が沼田城の西の備えとして築城した。以降、小川氏の居城となるが、この地域は北条氏と真田氏の争いの中にあり、最終的に豊臣秀吉の裁定で、沼田城と小川城を北条領、名胡桃城を真田領とした。現状で残っているのは、本丸跡だ。
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だが、秀吉の小田原攻めにより、北条氏が滅亡すると、小川城は真田氏に返還される。以降、真田家が居城し、1657年に廃城となっている。本丸奥には城の碑がちゃんと建っていた。
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二の丸と三の丸は国道を挟んだ反対側にある。今では畑となっているが、ちゃんと看板が建っている。1638年に城主となった真田伊賀守の陣屋跡があった。
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小川城は本丸跡しか残っていないので、ゆっくり見ても10分程度であろう。この時代早々に廃城となったが堀などちゃんと残っている史跡で、現在では、小川城址保存会の人達が保護しているとのことだ。100名城巡りで「上州真田三名城(名胡桃城、沼田城、岩櫃城)」を訪問の際、時間があれば、是非。
この後は、続100名城の沼田城へ向かう。
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続100名城の46城目は群馬県の名胡桃城。(なぐるみじょう)2018年の年末に群馬・埼玉・栃木の3県の続100名城巡り。電車でのアクセスは、JR上越新幹線の上毛高原駅から徒歩で約45分、タクシー利用で約10分弱。または、JR上越線の後閑駅から徒歩で約45分、タクシーで約10分弱。車なら、城址に無料駐車場有り。
登城日は2018年12月27日。前日の深夜に名古屋から高崎まで移動、朝、レンタカーにて向かう。名胡桃城址案内所にてスタンプをゲット。真田家に関する資料の展示と、豊富なパンフレットがある。また、「上州真田三名城(名胡桃城、沼田城、岩櫃城)」を廻ると、クリアファイルとシャープペンが貰えるので、お忘れなく(三城の最後に訪問した場所にて。)案内所のすぐ隣から登城開始。城の碑と解説版がある。
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登城口は丸馬出から。城内は見所での解説が充実している。特に、イラストは遺構が何も残っていない中でイメージが湧きやすい。
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名胡桃城は1492年に沼田氏が沼田城の支城として、名胡桃館を作ったのが最初と言われている。その後、1579年に武田勝頼の命で真田昌幸が現在の城址に築城した。郭(くるわ)が直線に並んだ「連郭式」の山城だ。馬出から入城すると、三郭(さんのくるわ)があり、その先の二郭へは堀切があり、更に、虎口は食違い虎口と呼ばれる構造で高い防御力を備えている。
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武田氏が滅亡すると、この地は真田氏と北条の争いの場となり、最終的に、俗に言う「名胡桃城事件」が起きる。これは、1589年に豊臣秀吉はこの争いを裁定、名胡桃城は真田氏の領として残したが、北条氏配下の猪俣邦憲が、城を奪取してしまう。惣無事令(秀吉が大名間の私闘を禁じたもの。)に違反したとして、小田原北条氏を責める口実となった事件である。二郭の土塁上からは二の郭の館跡などが確認出来る。
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結局、1590年に秀吉の小田原攻め終了後、廃城となる。二郭から本郭に行く。思った以上に小さく、二郭の方がはるかに大きい。
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城碑はここにある。
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本郭の先には搦手のささ郭がある。深い堀切の上の橋を渡る。
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搦手門跡からの眺望。このささ郭からが最も良かった。この下は急峻となっており、その先に利根川がある。
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その他、現在駐車場となっている般若郭がある。ここからは堀切、土塁の様子が良く分かる。
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名胡桃城は案内所に寄って、見所を全て廻って、30分少々くらい。TVの影響で来訪者もまずまずおり、真田を前面に出して、町おこしをしている印象。歴史的に、小田原攻めの一つにきっかけになった城と言う点でも面白かった。この後は、沼田城の予定だが、案内状に小川城なる城址が近くにあるので100名城でも続100名城でも無いが立ち寄ることにした。
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100名城の15城目は群馬県の箕輪城。車で鉢形城から向かうこと、1時間少々と思う。搦手口の目前に駐車場があるので、車なら登場はしやすい。電車ならJR高崎駅から群馬バス箕郷行きで箕郷本町下車し、徒歩約20分程度とのこと。確か、スタンプの高崎市役所箕郷支所は少々、辿り着き難い場所のようなので、時間には要注意だ。
登城日は2018年2月16日。搦手口(からめてぐち)から二の丸へ向かって登城する。搦手口とは、城の表門の大手口(追手口)と逆、つまり、裏門のことである。
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箕輪城は1492年~1521年頃、長野業尚が築城し、その子らが拡張していったと言われている。見所の一つに、「大堀切と土橋」がある。この堀切により、城内は南北に区切られていた。
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本丸が持久防衛であったのに対し、二の丸は出撃の拠点であったという。
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箕輪城は元々、土作りの中世の城であったが、譜代大名の井伊直政により手が加えられ、近代的な城郭に大改修された。本丸はこの時点では発掘作業が続いており、先に進むことは出来なかった。
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現存しているものはほとんどが井伊時代のものとのこと。例えば、この三の丸の石垣。

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伝統的工法で復元された郭馬出西虎口門は一際、目を引く。16世紀末の井伊時代のものだ。
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城内は非常に良く整備されており、案内や解説も随所にあり、急な坂道などもなく、いかにも、「平山城」だ。全部ゆっくり見て回れば、1時間弱程度。吹きっさらしの真冬や木陰のない中での真夏ではなく、天気の良い清清しい春か秋が良さそうだ。
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100名城の13城目は群馬県の金山城。足利氏館から電車で向かう。アクセスは、東武伊勢崎線の太田駅から徒歩約1時間、車なら、山頂近くの駐車場まで行けるので、真夏や体力に自信のない人はその方が良いだろう。また、途中にあるガイダンス施設からは40分程度とのことだ。
登城日は2017年12月29日。太田駅から気合を入れて、徒歩で向かう。数十分歩くと、ガイダンス施設があるが、生憎の年末で休み、本来であれば、施設で勉強していくのが良いだろう。道路に沿って歩くと、ようやく、城の入り口が見えてくる。夕方15時くらいだった。
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金山城は1469年に岩松家純により築城され、1590年に無血開城するまで難攻不落を誇った山城である。
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ここから、本丸までは10分ちょっと。遺物を見ながらゆっくり散策するのが良い。堀切は大迫力だった。
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1時間以上歩いての最大の喜びはこの復元整備された大手虎口を見た時であろう。実城への侵入をここで防いだと言う。人もあまりいなくて上手く撮れた。
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日の池は、戦勝祈願や雨乞いの儀式などをした神聖な場所だったと言われている。
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スタンプが設置してある休憩所からの景色が素晴らしかった。ちょっとシーズンが真冬で悪いが。
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本城は現状では何もないが、敵の侵入を防ぐため、手前は石垣で堅固に守られている。
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本城は実城とも言われ、城主の御殿があったそうだ。広大で1万坪もあるとのこと。
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最終地点の新田神社。築城した岩松家純は、新田氏の一族である。
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関東の山城では珍しいとされている石垣の城、苦労して登城した甲斐がある素晴らしい城であった。スタンプが山頂にしかなく、車が無ければ厳しい登城になることを考えると、難易度は高い。徒歩の場合、特に夏場は準備が必要だ。
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