サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:茨城県

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19年GWの旅行で東北地方の100名城、続100名城を制覇し、実家の千葉に帰省する途中に、茨城県つくば市にある小田城に寄った。電車でのアクセスは、つくばエクスプレスのつくば駅から、「つくバス」小田シャトルで「小田東部」、「小田中部」で下車し、徒歩約5分くらいで到着。車なら、城址前の小田城跡歴史ひろば案内所に無料の駐車場があるので、それを利用するのが良い。
登城日は2019年5月3日。GW10連休を利用しての東北&関東&甲信地方の100名城、続100名城、その他の城の合計22城を巡る旅の6日目、計16城目だ。マイカーでの訪問だが、駐車場に迷った。細長い路地に迷い込んだり、同じ道を何度も行ったり来たり。近くにコインパーキングも無く、ようやく、たまたま見つけた登山者用の駐車場に止めて、5分くらい歩いて城址へ。小田城跡歴史ひろば案内所にパンフレットは勿論、分かり易い模型もあるし、小田城についても学習できるので、まずはここを訪れたい。

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小田城は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、常陸国南部に勢力を持った小田氏の居城であった。そもそもの築城主は、1185年に小田氏の先祖であった八田知家で、常陸国の守護になった際に居館を構えたことによるものとされている。本丸への登城ルートは複数箇所あるが、東曲輪側から。城址碑と水堀、橋がある。
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南北朝時代は南朝について、常陸南部における南朝の拠点となった。東池跡などが再現されている本丸の東側にこの城址で最も高い場所と思われるところがあり、そこから筑波山を撮影。
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戦国時代に入ると、小田氏は、佐竹氏や越後の上杉謙信、小田原北条氏などとの争いになった。1564年の山王堂の戦いで上杉謙信に敗れるなどの後、小田城は佐竹氏の手に落ち、その配下などが城主となった。最終的には、1602年に佐竹氏の秋田移封により、廃城となった。ここから、本丸南西にある虎口跡へ。当時は石垣があり、門もあったと発掘調査で確認されている。
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虎口の先にある南西馬出は、広大で50m四方、土塁は約5mあり、周囲を水堀で囲んでいた。
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本丸は南北550m、東西450mに及び広大である。北東の少し高くなったところから本丸中心部を見る。
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中心部には建物域があり、大きい溝で区画されていたと言う。その全貌は明らかでは無いが、特定された跡だけを表示している。
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小田城本丸の周囲は堀で囲まれている。水堀となっているのは、東側のみで、その他は水は無い。左が東曲輪、右が本丸。その間に水堀があり、中央の木橋で繋いでいる。
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その他に、北西隅に土塁・堀跡の高さを記したトンネルのような場所があるので、それを見るのが分かり易いと思う。
小田城の見所を一通り廻って、早ければ30分程度と思う。非常に綺麗に整備されているので、縄張りも分かり易い平城の城址だ。ただ、あまり木陰が無く、日に照らされ続けるので、夏場などは暑さに注意。GW期間の登城であったが、まま、厳しかった。
この後は、千葉の続100名城の本佐倉城へ向かう。
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100名城の87城目は茨城県の水戸城。別名は馬場城。同県で唯一、100名城に選定されている。アクセスは、電車はJR常磐線の水戸駅から徒歩で約8分。車なら、城址周辺に駐車場がある。
登城日は2018年8月25日。依然として酷暑の中、水戸駅から徒歩で向かう。まずは、弘道館の正門。弘道館は1841年に建てられた日本最大規模を誇る藩校で、敷地は国の特別史跡であり、正門などは重要文化財に指定されている。
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スタンプを押印し、内部を見学する。この間は至善堂と言い、最後の将軍の徳川慶喜が将軍職を辞し、ここで朝廷に対し恭順の意を示した場所だ。
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徳川慶喜は幼少期に弘道館で学び、大政奉還後もここで過ごした。その時に使用していたと言う長持ちも展示されている。
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水戸城は、鎌倉時代に馬場氏が築城した館を1593年に佐竹義宣が改修した。更には、1625年に徳川家康の十一男である頼房が改築している。弘道館を後にして大手門方面に向かったが、この時点では大手門が復元整備中であった。2019年の9月には完了するとのことだ。
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城址は学校などの文教地区になっており、小中高、幼稚園もある。また、このような二の丸にある茨城師範学校跡もある。
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JR水戸線が横切る本丸の空堀を過ぎれば、水戸第一高校が見えて来る。校門付近にある説明版。このあたりが本丸である。
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校門には城内で唯一現存する橋詰門(藥医門)がある。佐竹氏の治世に築かれたものだ。
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かつては、天守の代用とされた3重5階の御三階櫓があったが、第二次世界大戦の水戸空襲にて消失し、その後、再建されていない。残念な思いを抱きながら、城址を後にする。その途中にあった坂下門。
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水戸城は現存遺物はあまり残っておらず、城内は広いが、弘道館を見て、見所を廻って駅からの往復で1時間程度であった。防御力の高さを感じることが出来るのが良い点ではある。水戸駅からは少々、上り坂になっているが、気軽に訪れたい城址だ。
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続100名城の45城目は茨城県の笠間城。別名は桂城。お城EXPO2018に行った翌日に石垣山城滝山城に登城、その次の日、土浦城の後に登城。アクセスは電車であれば、JR水戸線の笠間駅から徒歩25分、または、笠間駅からバスが出ており、最寄りの停留所から徒歩5分程度。車であれば、急な細い道を行くが、城址の前に無料駐車場有り。
登城日は2018年12月24日。土浦城から車で1時間程度で、スタンプのある「かさま歴史交流館井筒屋」へ。2階の展示にて少々勉強。受付の方に登城口と駐車場の場所を教えてもらい、向かった。城主の下屋敷跡と時の鐘がある。下屋敷は、山頂での政務が不便になったことから、山麓に作られた。時鐘は1778年に作られた3代目だと言う。
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この奥に登城口がある。さほど大変な山城ではないが、夏場などは少々シンドイと思うので、それなりに対策をした方が良い。
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山道を登ること、15分ほどで本丸に到着。笠間城の歴史は古く、1219年に築城が始まったとされ。1235年に完成した。抗争の末、この地を支配した宇都宮氏の一族はその後、笠間氏を名乗るようになる。
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1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際、笠間綱家は宗家である宇都宮氏の命に逆らって、北条氏についたことで、後に宇都宮氏勢に攻め込まれ落城、笠間氏は滅亡する。代わって宇都宮家家臣の玉生高宗が城主となった。その頃のものと思われる本丸には八幡台櫓跡が残る。
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その後の1598年に蒲生郷成が笠間城に入り、石垣を含む天守曲輪の造営を行った。登城路の整備や城下町もこの時代に行われ、近世城郭となった。本丸の奥にある天守台跡へ向かう。結構、急な道だ。
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その当時の石垣が辛うじて残っている。このような石垣には、いつも感動を覚える。
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頂上には佐志能神社があり、何と、651年にここ佐白山頂に伽藍が作られたという伝承があると言う。山頂には2重の天守があったと絵図にあるが、正式にはどのようなものであったのか、確認されていない。
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お賽銭を入れて、お参り。そして、眺望を。周囲に木が多いため、あまり良い写真は撮れなかったが、木が無ければ、素晴らしいと思わせる。
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少々、風が強かったが、おいしい空気を吸い込み、下山する。だが、忘れてはいけないのが、現存する八幡台櫓。本丸にあった櫓が山麓にある真浄寺に移設されている。井筒屋から近くにあるので、是非、行って頂きたい。(多分、井筒屋で説明してくれると思うが。)
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笠間城井筒屋見学、城址の駐車場からの往復と八幡台櫓までを見廻って、約1時間半くらいと思う。非常に急峻な場所に天守台があり、その周囲の石垣もあったり、登城道も整備されていたので、なかなか良かったのだが、案内板や説明版をもう少し充実してくれると嬉しい。
お城EXPO2018に行ったついでの関東続100名城の旅は終了。名古屋への遠い岐路に着く。次は、年末に千葉の実家に帰省するついでに寄る群馬、埼玉、栃木、千葉の続100名城巡りだ。
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続100名城の44城目は茨城県の土浦城。別名は亀城。お城EXPO2018に行った翌日に石垣山城滝山城に登城、その次の日に登城した。アクセスは電車であれば、JR常磐線土浦駅西口から徒歩15分、駅からバスがあり、亀城公園前で下車、すぐ。車なら無料の駐車場がある。ただ、隣接する土浦市立博物館で駐車券を貰わないと、外に出れないので、お忘れなく。
登城日は2018年12月24日。博物館の駐車場に止め、登城開始。館内にある模型を見ると、別名で亀城と言われるのがわかる。それ故、現在は、亀城公園となり、市民の憩いの場になっているそうだ。
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上記写真左の櫓が西櫓。土浦城は、1429年~1441年に若泉三郎が築城したとされる。その後の戦国時代に西尾忠照が西櫓を作った。昭和に入っても現存していたが、昭和24年のキティ台風とそもそもの老朽化もあり、翌年に解体、しばらく復元されなかったが、1992年にようやく、再建された。
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東櫓も西尾忠照が西櫓と同時期に築造した。現在、内部には土浦城の歴史等の展示があり、スタンプもここにある。無料なのが嬉しい。上記模型写真の右上にある櫓だ。
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東櫓の2階から外が見れる。木々が邪魔で、本丸が辛うじて見れる程度の眺望。平城に景観を求めてはいけない。
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江戸期に入り、1601年、松平信一とその子の信吉が、現在の城のおよその形を作ったとされる。その時に建て替えられたとされる現存する櫓門がこの城の最大の見所だ。1656年、朽木稙綱が城主の時に、現在の太鼓櫓門に改築した。上記写真で言えば、左下の橋の手前の門だ。
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他に現存する遺物としては、東櫓の隣にある城の搦手であった霞門。1684年に松平信興が作った。以降、明治に至るまでの約200年は土屋氏が歴代城主となった。
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他の見所としては、1862年に作られ現存する旧前川口門や復元された本丸の土塀。
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また、本丸の周囲を囲む水堀、15m幅で防御力を高めている。
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土浦城は非常にコンパクトなので、見所を廻って30分程度で十分であろう。現存遺物が3つ残っている点、復元櫓などがあることで訪問する価値はあり。
この後は、笠間城に向かう。続100名城の茨城県制覇だ。
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