サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:韓国

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続100名城の最後100城目となった対馬の金田城を登城する前に、織豊系城郭として有名な山城の清水山城を登城した。この城にアクセスするには、厳原港から車で3分ほど、対馬空港からは車で15分くらいのところにある「観光情報館ふれいあい処つしま」に一旦寄ってから向かうのが良い。ここに駐車し、徒歩約10分ほどで登山口に着ける。だが、その道中は一般道とはいえ、結構、急坂を行く。現地に行けばわかるが、登山口の目の前は民家なので駐車スペースは無いので要注意。
登城日は2019年10月14日。「観光情報館ふれいあい処つしま」にて、続100名城最後の金田城のスタンプを押印した後、登山口へ向かった。そこまでは少々わかりずらいので、こちらをご参照頂ければすんなりと行けると思う。
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道中は整備はされているが、石ころが転がっているので、革靴などではシンドイと思う。一の丸まで行くのであれば、30分くらい掛かるので、夏場などは水分等の準備も必要だ。
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清水山城は、朝鮮出兵時に豊臣秀吉の御座所として、1591年に宗義智が築城した。この城は、朝鮮出兵の一大拠点であった肥前の名護屋城から、壱岐の勝本城、朝鮮半島は釜山につながる重要な軍事的中継点としての役割であった。登城開始して、10分弱で三の丸が見えて来る。算木積みの石垣は壮大だ。
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この城は、標高210mの清水山の尾根沿いに、東西約500mにわたって、山頂に一ノ丸(本丸)、中腹に二ノ丸、東の段丘に三ノ丸を配した三段の曲輪が並び、斜面を這う竪石垣で結ばれている。ここ三の丸からは厳原(いづはら)の町並みや厳原港を一望出来る。
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三の丸から、二の丸ヘ向かう。途中にある石垣は大きな石を配置した鏡積みも見られる。
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重要な拠点であった清水山城ではあるが、秀吉の死により、朝鮮半島から撤退するとすぐに廃城となってしまった。二の丸には約10分ほどであったと思う。ここには内舛形虎口が残り、織豊系城郭であることを感じることが出来る。
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二の丸からの眺望も良い。厳原港と町並を一望。
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この清水山城、秀吉の朝鮮出兵(1592年~)の際の釜山への重要拠点とすべく、1591年に秀吉の命により毛利高政が築城したと言うのが説であったが、近代になって、対馬領主の宗義智の築城であることが主力になり、相良氏、高橋氏、筑紫氏らが協力したとのこと。二の丸にハッキリと残る虎口を抜け、一の丸へ向かう。
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5分ほどで一の丸への虎口が見えて来る。扁平の石を積み上げている。この石垣はかなり綺麗に残っており、感動。
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朝鮮出兵が終わると半島との関係は完全に切れるわけだが、朝鮮との交易で利益を上げていた対馬は困窮してしまう。そのため、藩主の宗氏は関係修復に奔走、何とか朝鮮通信使の招聘に成功した。そして、平和な江戸時代となり、この城は歴史の中に埋もれることになった。もう一段上の虎口からはご覧の通り、周囲が一望できる高さ。
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そして、やっと一の丸のてっぺん(清水山山頂)に到着。絶好の晴天の中、周囲の山々と青い空が綺麗だった。
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ここからの厳原湾も美しく見えた。やはり、到達した喜びとともに癒される瞬間だ。少し、休憩をして山を下りた。
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清水山城は、登山口から一の丸までの往復で1時間少々だった。運動不足のサラリーマンにとっては丁度良い運動のレベルと思う。道中は石や岩場で少々、登りにくいが、整備されているし、案内もある。道中や曲輪の石垣を見る楽しさとその歴史的価値、曲輪からの眺望などから、★★★★★と評価出来るレベル。是非、対馬まで行くなら、金田城とセットで登城したい城と思う。
この後、この清水山の麓にある金石城を登城したので、後日、アップする予定だ。
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続100名城のいよいよオーラス、最後の100城目は長崎県の金田城(かねだじょう)。別名は金田城(かねたのき)。アクセスは、フェリーなら厳原港から車で25分ほど。空路は対馬空港から車で15分くらい。登山口までの残り2kmは道幅が狭いので運転には注意が必要ではあるが、所々に退避場所があるので、対向車が来ても何とかなると思う。また、登山口の駐車スペースは、軽か小型車で5台ほどしか止められない。
登城日は2019年10月14日。対馬空港到着は朝8時20分、レンタカーを借り、まずは、車で15分ほどの「観光情報館ふれいあい処つしま」へ向かった。すぐに、館内にある観光案内所に行き、続100名城最後のスタンプをゲット。(その時の様子は、こちらから。)ここで、金田城と清水山城のパンフレットを入手し、清水山城登城後、金田城へ。登山口まで道中の残り2㎞の細い道を慎重に運転、ようやく、登山口の駐車スペースに着き、登城開始。さて、パンフレットによれば、攻略には3つのルートがある。1つ目が、「石塁見学コース(片道1.5km)」、2つ目が「山頂往復コース(片道2.4km)」(このルートは金田城登城では無く、単なる登山ルート)、3つ目が前述の2つを結んだ「結合ルート(時間・体力要)」。時間の制限もあるので、「ちゃんと登城した。」と言える一つ目の「石塁見学コース」を行き、その時の体力と残り時間によって、山頂を目指すことにした。このようなどこかで見たような入口。厳しい山城の予感で一杯。当然ながら、軽い登山の準備を。革靴やスニーカー、ヒールなどだと、道中は小石がゴロゴロなのでとてもではないし、水分準備、軍手なども必要。あと、登城口にあるボックスにポイント間の所要時間目安が記載されているパンフレットがある。結構、重宝するので、是非。

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金田城は、667年(天智6年)に時の大和政権(中大兄皇子、後の天智天皇)が築城したもの。その4年前の663年、いわゆる白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した倭国は、唐の日本列島への侵攻に備えて西日本各地に古代山城を築いた。その中で、朝鮮との最前線である国境の島の対馬に築城されたのが、ここ金田城。(100名城では鬼ノ城大野城、続100名城は基肄城水城がこの同時期に同じ目的で作られた。)
登城開始して約10分ほどで東南角石塁が出現する。手前はやや崩れかかっているが、先の方には綺麗に積まれた石塁を見ることが出来る。写真左上部にあるのは掘立柱建物跡。その周囲からは、7世紀後半の土器類が発掘されている。どうやら、見張り場や兵の詰め所などであったのでは?と考えられている。尚、石塁(せきるい)は石垣とは微妙に異なり、内部に土などはなく、単に石を積み上げただけのものだ。
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東南角石塁は下の方からも見ることが出来、高さ4mの石塁はかなり壮大で迫力満点であった。
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この石塁から数分で三ノ城戸に到着。城戸(きど)とは、古代・中世では城郭の出入り口のこと。三ノ城戸は、この城郭に3つある城戸のうち、最高位にあるとのこと。また、水門もあるが、未だに機能しているとのことで驚く。
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三ノ城戸から5分も掛からないところに、ビングシ土塁と門跡が残る。この一帯で最も広い場所であること、南北に土塁があること、柱穴が確認され門があったと推定されることから、城の中枢ではないか、と考えられている。写真の柱穴はレプリカ、その奥が左右に土塁が盛られている門跡だ。
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更に進んで行くと、二ノ城戸に到着する。整備はされているが、この門跡の石垣はかなり良好に当時の姿を残していると言う。これは山側から見た門跡。
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右横上からの眺めはこのような感じ。真ん中左が門跡、壮大な石垣は高さは海側(下)からは、約5m規模とされる。
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再び、進み、散策の最終地点である一ノ城戸に到着。ここまでの道中は、要所にこのような案内図があるので、まず、迷うことは無いであろう。一応、効率良く廻るためには、パンフレットを照会しながら歩くと良いと思う。
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およそ6.4mの城壁石垣を目の前で眺める。よくぞ、ここまでとどめているものだ、と感動を覚えざるを得ない。
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見ての通り、上部と下部で石の積み方が違うのがはっきりわかる。つまり、後世に修復した形跡であるとされる。
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さて、ここまでの東南角石塁、三ノ城戸、ビングシ土塁、二ノ城戸、一ノ城戸の5つを見れば、ほぼ金田城の見るべき箇所は終わりと思う。ここまでで登城開始して約50分程度掛かった。この後は、来た道を戻り下山するか、さらに奥のルート(厳しそう)から城山頂上を目指すか、来た道を途中まで戻ってそこから城山頂上を目指すかの三択。この時点で13時40分、対馬空港から福岡へのフライトは16時40分発なので、登山口へは遅くとも15時15分頃には戻りたい。1時間半で頂上まで行き、下山出来るか悩んだが、行けるところまで行くことにした。で、選択したのは、2つ目の途中まで戻り山頂を目指すルート。まずその目印となる東屋分岐点へ。10分少々で到着し、登山道(軍道)に入って行く。
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足元は悪くは無いが、とにかく石だらけなのでトレッキングシューズか登山靴は必須。15分弱で、南西部石塁に到着。ここは下の方へは行けないが、圧巻の城壁で、やはり、向かって良かったと思う。尚、体力、時間的にしんどければ、ここで折り返すのも手と思う。是非、計画的な登城を。
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山頂へと続くこの道は、大日本帝国陸軍により1901年(明治34年)に作られたもの。ここまで来れば、もう一息。ヒイヒイ言いながら、10分ほどで城山砲台(じょうやまほうだい)に到着。明治期に東アジア進出を目論むロシアとの開戦に備えて作ったものだ。やはり、国境の島、対馬。いつの時代も軍事的な重要性があったと感じさせられる。現在でも、韓国が赤化統一(笑)されたら、地政学的にも国防の最前線はここ対馬になるわけで。ちなみに、現在の日韓関係の悪化による対馬への韓国人観光客の激減は、肌で感じた。勿論、甚大な被害を出した台風19号の後ということもあると思うが、3連休の最後の割には観光客は少なく、韓国人を見かけることは無かった。
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砲台跡から城山山頂へは、少々、わかりにくいので注意が必要。海側の方に小さな看板があるのみと記憶しているので、その方へ向かうのが良い。物凄い急な道を泣きそうになりながら、5分ほどでやっと山頂が見えて来る。いよいよ、この先だ。
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標高276mの城山(じょうやま)山頂に到着。達成感に満たされること間違いなしだ。
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ここからの眺望は絶景の一言であった。眼前に広がるのは、浅茅湾(あそうわん)。尚、ここはかなり絶壁にあるので、足元には注意が必要。5分ほど小休止して、名残惜しくも下山する。この時点で14時40分過ぎ。あと、30分で登山口に到着せねば。
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ただ、ここからは下りの急斜面なので、焦りは禁物。滑って転倒したりすると、足元は石だらけなのでケガでもしかねない。下り始めて、約20分少々で行きに見逃した南門へ到着した。ここの平面遺構は階段状に形成されており、また、扉の軸受け穴と水抜き加工溝もあり、古代山城では初めての発見とされる。だが、シートで覆われていたのは残念。
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こうして、南門から登山口までは約10分ほど、結局、予定通りの15時15分に下山出来た。「登山口→東南角石塁→三ノ城戸→ピングシ土塁(門跡)→二ノ城戸→一ノ城戸→東屋(分岐点)→南西部石塁→城山砲台跡→城山山頂→南門」と全ての見所を廻って、下山して2時間15分であった。本来であれば、もう少し、ゆっくりと見たい場所と思う。
金田城は、門跡、石塁や石垣、土塁など今から1300年以上前の古代山城の姿を未だに残しているという歴史的価値、所々の眺望の素晴らしさ、城山山頂からの絶景、古代だけでなく近代明治期の砲台跡も残っていること、要所での案内板や説明版も充実していること、NHKで「日本最強の城」となったこと、アクセスの大変さもさることながら、登城(登山)の大変さ、そして、100名城&続100名城の計200名城の最後となった個人的な喜びなどで、当然の★★★★★とした。
この登山口から、レンタカーを返却して対馬空港到着にまでに要した時間は30分。丁度、飛行機出発の1時間前だった。この後、福岡を経由して名古屋へ帰った。さすがに、2日間で福岡県行橋市の御所ヶ谷神籠石馬ヶ岳城の2城、対馬市の清水山城金田城の2城を登るのは厳しかった。ただ、不思議と翌日は疲れが無く、「まだまだ、若いな。」と思った。だが、甘かった。翌々日にドッと疲れが。。。時間差での疲労は、老化ってことと聞いたことがあるが、かなり納得した。
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100名城の62城目は岡山県の鬼ノ城。(きのじょう)別名は鬼城山。(きのじょうざん)夏休み9日間17城の城巡り旅行、5日目の2城目。通算10城目だ。アクセスは、電車では大変と言うか、最寄駅のJR吉備線・伯備線の総社駅から徒歩では無理で、タクシーで向かうしかない。約30分だ。車では、鬼城山ビジターセンターに無料の広い駐車場有り、すぐに登城可能だ。
登城日は2018年8月1日。備中松山城から1時間程度だったと思う。途中、砂川公園から鬼城山ビジターセンターまでの約3kmは、道幅が狭いので安全運転を心掛けたいが、対向車が来ても何とかすれ違うことは出来るであろう。この時は、平日でもあり、対向車は行き帰りとも無かった。駐車場に止め、まずは、ビジターセンターでスタンプをゲット、鬼ノ城の説明があるので、是非、学習してから行くことをお勧めしたい。登城開始してすぐに遠めに建物が見えて来る。推定復元された西門である。
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さて、案内によると、鬼ノ城の散策には3つのコースが紹介されている。鬼ノ城1周コース(4.5km、2時間)、西門・水門コース(2.3km、50分)、西門コース(1.5km、30分)だ。気象条件や体調、体力に応じて、選択されるのが良かろう。いずれにしても、唯一の建造物である西門の往復だけでも1.5kmある。私は何を狂ったか、酷暑の中、一番厳しい周囲約4.5㎞を2時間で踏破するコースを歩み始める。お目当ての「屏風折れの石垣」は、スタート地点からほぼ反対側に位置しており、これを見るなら、嫌でも1周せねばならない。
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城内は綺麗に整備されており、ほぼ上り坂はないので、短い距離であれば、苦労はしないであろう。ただ、2018年のような猛暑では厳しい。城内にはあまり高い木が無く、木陰で涼を取れることも出来ない。5分ちょっとで西門に到着。推定復元物ではあるが、この通路にある石段や敷石は当時の状態が良く残っていたとのこと。
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当時とはいつの時代なのか?実は、鬼ノ城はその築城時期が正確にはわかっていない謎の城である。現地の説明では、伝承ではあるものの、百済の王子である「温羅(うら)」なる鬼神が築いたとのことで、温羅はあちこちを略奪したらしく、鬼神と呼ばれ、それにより、鬼ノ城と言われるようになったとのことであるが。西門から第0水門に至るまでは復元された土塁と高石垣があった。城自体はほぼ土塁であるが、要所では石垣があるので、現地で見て頂きたい。
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近年の調査によって、663年の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れ、本土に攻め込まれる危機に瀕したため、大和朝廷が防衛上、築いた城という説が有力である。城内には水門が6つあり、第二水門には、吐水口も残っている。
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また、城門は4つ。西門と同じ規模であった推察されるのが南門。恐らく、どちらかが正門であったのではと言われている。
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登城開始して、途中休憩を何回か入れて約2km少々、1時間でようやく、目的地の到着。草が元気過ぎて良く見ないが、屏風折れの石垣を発見。
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まさに、この先端は断崖絶壁。恐る恐る近づいて撮った1枚。1300年以上前に、こんなところに石垣作るとか、やはり、鬼神の温羅が魔力で作ったに違いない、とか思ってしまう。そこからの眺望の素晴らしさも見てとれると思う。
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登城開始から折り返しのここまで1時間。やはり、コース案内通りだ。この後は、北側に進む。北門跡、管理棟跡、楚石建物跡などの見所もあるので、是非、現地にてご確認されたし。途中、何回か休憩を入れ、1時間弱で、ようやく、木陰のある休憩所に到着。だが、休憩中に油断し、左手首を得体の知れないアディダス模様の蚊に刺されてしまった。そう、恐らくは、ヒトスジシマカ。このような山城では、やはり、蚊やアブ、蜂などに注意だ。夏の山城では虫よけスプレーが必須だと痛感。最後が、角楼跡。古代山城で初めて確認された貴重なもので、強固な防御用の施設であったとのこと。この上に建物があったかは、確認されていない。
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こうして、苦難の末、約4.5kmを歩き切り、丁度、2時間だった。夏場でなければ、もっと楽に廻れるであろうと思う。鬼ノ城は、その謎めいた生い立ち、大昔に断崖絶壁に築城した技術の高さ、高石垣と総距離2.8kmに及ぶ土塁城壁の存在、周囲の素晴らしい眺望と実際に断崖絶壁を体験できること、散策&アクセスの難易度の高さ、散策路の整備状況の良さなどから、★★★★★だ。
これで、夏休み9日間17城の城巡り旅行、5日目が終了。10城を制覇し、あと残りは7城。この後、岡山市内に向かうが、やたらと、左手が痒くなる。そう、ヒトスジシマカの毒だ。ホテルにチェックインした時には、かなりの腫れまで始まっていた。翌日は、岡山城、赤穂城、姫路城の予定。暑さもあり、大丈夫であろうかと不安になりながら、ドラッグストアで買った「ムヒ」を塗りまくり、床に就いた。
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100名城の54城目は佐賀県の名護屋城。11月末の3連休に有休を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、3日目の2城目。電車でのアクセスは、唐津駅からバスで約40分、「名護屋城博物館入口」下車して徒歩約5分。車なら、無料の駐車場有り。
登城日は2018年11月25日。唐津城から車で約30分ほどで到着。まずは、佐賀県立名護屋城博物館にて、スタンプと展示物を勉強。入館料は無料だが、かなりの規模の建屋で、内容も充実している。主に、原始から近世の日本と朝鮮の関係、交流史がメインで、しっかり見るなら、1時間程度は掛かるであろう。また、受付で募金すれば、名護屋城の案内図が貰えるのでご確認を。
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博物館の裏手には、木下延俊の陣屋跡がある。名護屋城周辺には、有力大名の陣屋跡が残っているが、時間がない場合は、せめて、この木下陣屋を見ると良いと思う。これは、陣屋にあるトイレ跡。
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昼食を挟んで、登城開始。城址入口の案内所で多分、100円ほどだったかを払うと、おススメ散策ガイド、ガイドマップが貰えるので、是非。
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登城は城の正面入口の大手口から。右側に櫓台があり、緩やかな登りの一直線の道がある。登城坂だ。尚、博物館からここまでの道は太閤道と呼ばれている。
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登り切ると右手に東出丸という曲輪がある。
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左に行けば、すぐに三の丸に到着する。ここから本丸、二の丸に行くことが出来る。井戸の跡もあり。
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名護屋城は、豊臣秀吉の天下統一後、中国大陸進出の前線基地として、1591年、九州の諸大名に命じて築城された。その本丸は広大さに圧倒される。
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本丸には、後の世に作られた東郷平八郎や青木月斗の碑があるが、何と言っても、天守台と多聞櫓跡が必見だ。まずは、多聞櫓跡。全長55m、幅8mであったと言う。
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広大な名護屋城だが、突貫工事で僅か5ヶ月で完成した。巨大な五重天守が建っていたが、それは、天守台に登ればわかる。
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そして、天守台からの眺望も素晴らしかった。
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朝鮮出兵のための急造の城ではあるが、約17万㎡にも及び、全てを散策するのも、Blogに書くのも結構、大変。印象に残ったものを幾つか。。。
まずは、二の丸の西側にある110mの石垣と合坂。(合坂=上り下りしやすくする石段)
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あまり、人が行かないであろう搦手口。
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名護屋城は豪華絢爛な城で、参集した諸将は周囲に陣屋を構え、その数は約130と言われる。だが、1599年に秀吉が没すると、朝鮮出兵は中止となる。関ヶ原後に唐津城築城の際に一部の資材が使用されたと言われている。そして、1615年の一国一城令により、名護屋城は廃城となる。今では、その本丸の石垣も崩落しつつある。危険が無いのであれば、人為的に修繕せずに、時に流れに任せてもらいたいとも感じる。
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名護屋城は気軽に登城が出来る名城で、その歴史的価値や整備状況、高石垣や曲輪などの見所が多い点、天守台からの眺望の良さ、博物館の内容の良さや料金、周囲の陣屋など、様々な点から、当然の★★★★★。博物館見て、全てを廻るなら、2時間は必要だ。だが、肉体的に疲労するような坂道とかは無いので、ご安心を。
この後、この日最後の平戸城へ向かう。
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続100名城の38城目は福岡県の基肄城。(きいじょう)別名は椽城。(きじょう)11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の城巡り旅行、初日の大野城水城からの3城目。アクセスは電車なら、JR基山駅から徒歩1時間、車であれば、2018年11月23日現在、登城できるルートの草スキーの駐車場からすぐだ。
登城日は2018年11月23日。水城から、まずはスタンプのある基山町民会館の事務所へ。職員の方から、「草スキー場から登城できる。」とのこと、親切に道を教えてくれ、資料もたくさん貰った。町民会館から10分弱ほどと思うが、やや細い道を行き、無事、草スキー場の駐車場へ到着。看板を見て、ちょっと、一安心。
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見所は色々とあるようだが、この時点では、草スキー場から山頂を目指すことしかできない。残念。気合を入れてコースを登って行く。
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10分も掛からなかったと思うが、いよいよ山頂へ。ここを超えれば、到着だ。
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基肄城は、665年に大和朝廷が大宰府防御の為に築いた日本最古の朝鮮式山城。663年の白村江の戦い後、664年に作られた水城に続き、大野城ととも作られた。
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基山の山頂、展望台からのその眺望は素晴らしいの一言。
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土塁や郭は確認できたが、残念ながら、これくらいしか見れない。
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谷の崩壊があったようで、ブルーシートで覆われている。
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基肄城は、まだ多くが被災によって見れないので、今回の草スキー場(山麓)から、基山頂上の往復で40分程度だった。1300年以上前の貴重な山城、もっと、隅から隅まで見てみたいと思う。
これで、4日間11城の城巡り旅行、初日は終了。二日酔いもようやく醒め、久留米のホテルへ向かった。翌日は、久留米城、吉野ケ里、佐賀城の3城に挑む。
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続100名城の37城目は福岡県の水城(みずき)。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の城巡り旅行、初日の大野城からの2城目。アクセスは電車なら、JR水城駅から徒歩ですぐ。車も、駐車場が2箇所あるのでラクチンに登城可能だ。
登城日は2018年11月23日。大野城から30分くらいで到着。第2駐車場に止め、登城。城と言うよりは、「土塁、防御壁」であることを念頭に行かれると良い。まずは、「水城館」という土塁の下に作られたガイダンス施設に行き、スタンプを押印、ビデオを視聴するのが良いであろう。バッジもくれるので記念になって有難い。

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水城は、663年の白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に日本が敗れた後、侵攻に備えて、664年に大和朝廷が大野城や基肄城とともに築いたものである。多分、ガイダンス施設でもらったパンフレットの配置図が分かり易いであろう。
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大宰府を中心に、南北に大野城と基肄城を配置、大宰府への入口に水城を作った。水城には東西に門があったとされ、東門跡があり、門柱の穴が残っている。
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水城は長さ1.2Km、幅80m、高さ10mの土塁とその内外に水濠があった。現地でそのイメージをわかすには、3つある。一つ目が展望台から見ることである。写真中央から右が土塁である。私有地らしいが。
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二つ目は、道路を渡り、まじかで見ること。
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近いと、イマイチ、分かりずらい。3つ目。多分、第2駐車場からの眺望が最も分かり易い気がする。いずれにしても、木々に覆われているので、普通はわからないであろう。
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水城は、大宰府への入口の関所としての役割もあった。往来の場所としても有名で、万葉集にある大伴旅人と児島の離別の歌は水城館の広場に歌碑となっている。その意味は現地にて、ご確認頂きたい。
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水城は館でビデオを見て、周囲を散策しても30分程度。若しくは、もっと短時間でも可能と思う。まあ、こんな続100名城もあっても良いのではないか?といったところ。
この後、この日最後の基肄城(きいじょう)へ向かう。災害で大変だった場所のようであるが、果たして。。。。
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100名城の51城目は福岡県の大野城。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、初日の1城目。出発の前日に飲み過ぎ、完全な二日酔いの状態で、名古屋から福岡空港へ。最悪の体調でのスタートだ。大野城へのアクセスは、電車はとにかく、大変なようだが、車なら、スタンプのある福岡県立四王寺県民の森に無料の駐車場がある。
登城日は2018年11月23日。福岡空港でレンタカーを借り、30分程度で福岡県立四王寺県民の森に。道中にお目当ての百間石垣があるが、まずは、スタンプを。そして、戻って、百間石垣へ。
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まだ、この時期だと、草が覆って石垣が見えない。

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もうちょっと、石垣が見えるところでもこんな感じだった。
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大野城は、663年の唐・新羅の連合軍に日本・百済が敗れたいわゆる白村江の戦いの後、連合軍の来襲に対する防御の為に築かれたものであるで、四王寺山の尾根線を土塁や石垣でで囲んだ古代朝鮮式の山城。ちなみに、2015年5月に韓国の白村江(現在は、白馬江)に行った時の写真があった。実際に戦闘場所については、韓国人ガイド曰く、「よくわかっていない。多分、あそこらへん。」とのことで、少々、がっかりしたことを記憶している。(結構、韓国ではありがちなコメント。)
2015-05-30 17.12.52
ちょっとした韓国でのエピソードをご紹介。百済の滅亡後、白村江の岩から、百済の官女たちが身を投げたと言われ、その姿が悲しくも、美しかったことから、落花(落下)岩と名づけられ、落花亭という展望台もあった。
2015-05-30 17.11.31
大野城に話を戻すと、この百間石垣は地上にあるが、5分ばかり、急な道を行くと壮大な石垣群が見えて来るので、二日酔いにはキツイが、是非。
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12時半を過ぎているのに、まだ、酔いがさめない中、百間石垣の向かいにある登山道から、北石垣などに向かう。急で足元も良くは無いので、慎重に登るが良い。5分くらい、息を切らすと、突然、現れる。
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その後、10分くらい、周囲を散策、北石垣城門跡た建物の楚石などがあった。あまり、案内が出ていない気がしたのと、体調の問題(二日酔い)もあり、早々に下山することにした。本来であれば、もっと時間を掛けて歩くような山城だが、見所のみであれば、1時間程度であろう。この後、水城、基肄城と周辺の城を廻る。
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今日から韓国のソウルに出張で来ている。過去に6年ほど仕事でソウルに駐在していた。ふと、韓国で行ってみた城を思い出したので、更新することにした。
1875年、時の李氏朝鮮(現韓国)の時代、江華島事件でその舞台となった永宗城砲台である。歴史の教科書で見たことはないだろうか?
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『雲揚艦の兵士等韓島の永宗城を襲ふ』とある。絵の右にあるのが、永宗城。人の背から判断すると、高さは2m弱くらいの石垣に、1.5mくらいの城壁で計3mはないように見える。
今ある永宗城の城壁はこんな感じ。
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もちろん、この城は破壊されたので、復元されたものだ。当時の大砲もあるが、復元品である。なんか、こんなんで大丈夫か?って、感じだった。
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本当かどうか、わからないが、この城はかなり小さい。直径50mくらいだったような気がする。
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江華島はソウルの北西に位置し、韓国最大のインチョン空港よりも更に北にあり、北朝鮮との軍事境界線からかなり近い。島の北方にある展望台からは北朝鮮が見えるようなところだ。

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