続100名城の最後100城目となった対馬の金田城を登城する前に、織豊系城郭として有名な山城の清水山城を登城した。この城にアクセスするには、厳原港から車で3分ほど、対馬空港からは車で15分くらいのところにある「観光情報館ふれいあい処つしま」に一旦寄ってから向かうのが良い。ここに駐車し、徒歩約10分ほどで登山口に着ける。だが、その道中は一般道とはいえ、結構、急坂を行く。現地に行けばわかるが、登山口の目の前は民家なので駐車スペースは無いので要注意。
登城日は2019年10月14日。「観光情報館ふれいあい処つしま」にて、続100名城最後の金田城のスタンプを押印した後、登山口へ向かった。そこまでは少々わかりずらいので、こちらをご参照頂ければすんなりと行けると思う。
道中は整備はされているが、石ころが転がっているので、革靴などではシンドイと思う。一の丸まで行くのであれば、30分くらい掛かるので、夏場などは水分等の準備も必要だ。
清水山城は、朝鮮出兵時に豊臣秀吉の御座所として、1591年に宗義智が築城した。この城は、朝鮮出兵の一大拠点であった肥前の名護屋城から、壱岐の勝本城、朝鮮半島は釜山につながる重要な軍事的中継点としての役割であった。登城開始して、10分弱で三の丸が見えて来る。算木積みの石垣は壮大だ。
この城は、標高210mの清水山の尾根沿いに、東西約500mにわたって、山頂に一ノ丸(本丸)、中腹に二ノ丸、東の段丘に三ノ丸を配した三段の曲輪が並び、斜面を這う竪石垣で結ばれている。ここ三の丸からは厳原(いづはら)の町並みや厳原港を一望出来る。
三の丸から、二の丸ヘ向かう。途中にある石垣は大きな石を配置した鏡積みも見られる。
重要な拠点であった清水山城ではあるが、秀吉の死により、朝鮮半島から撤退するとすぐに廃城となってしまった。二の丸には約10分ほどであったと思う。ここには内舛形虎口が残り、織豊系城郭であることを感じることが出来る。
二の丸からの眺望も良い。厳原港と町並を一望。
この清水山城、秀吉の朝鮮出兵(1592年~)の際の釜山への重要拠点とすべく、1591年に秀吉の命により毛利高政が築城したと言うのが説であったが、近代になって、対馬領主の宗義智の築城であることが主力になり、相良氏、高橋氏、筑紫氏らが協力したとのこと。二の丸にハッキリと残る虎口を抜け、一の丸へ向かう。
5分ほどで一の丸への虎口が見えて来る。扁平の石を積み上げている。この石垣はかなり綺麗に残っており、感動。
朝鮮出兵が終わると半島との関係は完全に切れるわけだが、朝鮮との交易で利益を上げていた対馬は困窮してしまう。そのため、藩主の宗氏は関係修復に奔走、何とか朝鮮通信使の招聘に成功した。そして、平和な江戸時代となり、この城は歴史の中に埋もれることになった。もう一段上の虎口からはご覧の通り、周囲が一望できる高さ。
そして、やっと一の丸のてっぺん(清水山山頂)に到着。絶好の晴天の中、周囲の山々と青い空が綺麗だった。
ここからの厳原湾も美しく見えた。やはり、到達した喜びとともに癒される瞬間だ。少し、休憩をして山を下りた。
清水山城は、登山口から一の丸までの往復で1時間少々だった。運動不足のサラリーマンにとっては丁度良い運動のレベルと思う。道中は石や岩場で少々、登りにくいが、整備されているし、案内もある。道中や曲輪の石垣を見る楽しさとその歴史的価値、曲輪からの眺望などから、★★★★★と評価出来るレベル。是非、対馬まで行くなら、金田城とセットで登城したい城と思う。
この後、この清水山の麓にある金石城を登城したので、後日、アップする予定だ。
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