100名城の44城目は広島県の広島城。別名は鯉城、在間城、当麻城。11月上旬の3日で鳥取島根山口の未踏の城を廻る。最終日、大内氏館・高嶺城、岩国城と廻り、最後の広島城。アクセスは電車でも良さそうなものだが、若干、広島駅から距離があるので、歩くには少し厳しい。広島駅から電鉄市内線1・2・6番電車で約14分「紙谷町東」下車、北へ徒歩約15分、若しくは、バス「合同庁舎前」から徒歩8分。意外と、広島駅の新幹線口から出ている循環バス「めいぷるーぷ」が便利。広島城の目の前に停車してくれる。車なら、有料だが、広島市中央駐車場が良い。徒歩ですぐだ。
登城日は2018年11月4日。岩国城から新岩国駅にバスで向かい、広島まで、新幹線。新幹線口から、めいぷるーぷのオレンジルートにて、広島城で下車、すぐに登城開始。広大な水堀が現れる。
広島城は郡山城を居城としていた毛利輝元が、1589年に築城を開始。城の完成には10年を要したと言う。
1588年、毛利輝元は初めて上洛し、豊臣秀吉に謁見。大坂城、聚楽第を訪れ、その豪壮さを目の当たりにし、新しい城づくりを決意したと言われている。五重五階の大天守に、三重三階の小天守を渡り廊下でつなぐ連結式天守だった。
関ヶ原後、西軍に付いた毛利輝元は萩城へ。福島正則が堀を何重にも巡らし88基の櫓や10基の門で防備を固め、城下町の整備を行い全国最大級の広大な城となった。
その後、浅野長政が入り明治期まで続く。有料の天守内でスタンプを押印、内部の展示は非常に充実しているので、ゆっくりと時間をかけて廻りたい。最上階からは夕日に映えた眺望が素晴らしかった。
しかし、1945年、原爆投下により城は倒壊。現在の天守は1958年に鉄筋コンクリートで再建されたものである。美しい木々と澄んだ空、自然・歴史と近代建築物との調和。やはり、日本は素晴らしいと実感する瞬間だ。
1994年には二の丸の表御門、太鼓櫓、多門櫓、平櫓など再建されている。ただし、16時30分にクローズとなるので、時間には要注意だ。右奥から、太鼓櫓、多門櫓、平櫓、表門。
広島城は街中にあるが、広いので全て見て廻ると、1時間程度は裕に掛かるであろう。外国人観光客も多く、有名な観光地だけに時間には余裕をもって訪問したいところだ。
これにて、鳥取島根山口の未踏の城3日間8城の旅も終了、広島駅から名古屋へ帰った。
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登城日は2018年11月4日。岩国城から新岩国駅にバスで向かい、広島まで、新幹線。新幹線口から、めいぷるーぷのオレンジルートにて、広島城で下車、すぐに登城開始。広大な水堀が現れる。
広島城は郡山城を居城としていた毛利輝元が、1589年に築城を開始。城の完成には10年を要したと言う。
1588年、毛利輝元は初めて上洛し、豊臣秀吉に謁見。大坂城、聚楽第を訪れ、その豪壮さを目の当たりにし、新しい城づくりを決意したと言われている。五重五階の大天守に、三重三階の小天守を渡り廊下でつなぐ連結式天守だった。
関ヶ原後、西軍に付いた毛利輝元は萩城へ。福島正則が堀を何重にも巡らし88基の櫓や10基の門で防備を固め、城下町の整備を行い全国最大級の広大な城となった。
その後、浅野長政が入り明治期まで続く。有料の天守内でスタンプを押印、内部の展示は非常に充実しているので、ゆっくりと時間をかけて廻りたい。最上階からは夕日に映えた眺望が素晴らしかった。
しかし、1945年、原爆投下により城は倒壊。現在の天守は1958年に鉄筋コンクリートで再建されたものである。美しい木々と澄んだ空、自然・歴史と近代建築物との調和。やはり、日本は素晴らしいと実感する瞬間だ。
1994年には二の丸の表御門、太鼓櫓、多門櫓、平櫓など再建されている。ただし、16時30分にクローズとなるので、時間には要注意だ。右奥から、太鼓櫓、多門櫓、平櫓、表門。
広島城は街中にあるが、広いので全て見て廻ると、1時間程度は裕に掛かるであろう。外国人観光客も多く、有名な観光地だけに時間には余裕をもって訪問したいところだ。
これにて、鳥取島根山口の未踏の城3日間8城の旅も終了、広島駅から名古屋へ帰った。
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