サラリーマンの日本200名城登城記録

日本100名城、続100名城に興味をもった普通のサラリーマンが綴る登城日記。200名城の制覇は時間、体力、金銭に非常に厳しい旅行。だが、日本の歴史的遺跡・遺物の素晴らしさを知り、完全に登城した時の充実感を感じ、ついでにやたらと歩く運動不足の解消と仕事のストレス発散など、良いところづくめの面白さ。そのようなところを綴っていきたい。

タグ:18年11月城旅行③

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続100名城の41城目は福岡県の小倉城。別名は勝山城、湧金城。(ゆうきんじょう)11月末の3連休に有休を加えて、4日間11城の城巡り旅行。いよいよ、最終日の大ラス、11城目。2008年以来、10年ぶりの訪問だ。アクセスは、電車ではJR小倉駅から徒歩20分くらい。車は地下駐車場有り。
登城日は2018年11月26日。福岡城から車で昼食挟んで、2時間は掛からなかったと思う。街中に突如、現れる城址、案内に従って、地下駐車場(勝山公園駐車場)に止め、槻門(けやきもん)から登城開始。藩主、役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された門だ。

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事前に知ってはいたが、2019年3月31日まで、展示品のリニューアルとエレベーター工事のため、天守閣には入れない。
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1569年、毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まり、1602年、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興が築城、約7年で完成した。細川氏の後、小笠原氏が代々の居城となるが、幕末の長州戦争で敗れ、自ら火を放ち、城内の建物等は消失してしまった。鉄門は、中老以下の一般武士が通行した門で、左半分は当時のものである。良く見ると、落城時の炎で石垣が赤く変色しているのがわかる。
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正面玄関である大手門は巨石を用いて作られている。
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本来であれば、スタンプは天守内にあるが、立ち入りできないので、この時点では小倉城庭園に設置されている。そこに向かう時には、壮大な模擬天守と石垣や堀が見れる。
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小倉城庭園は、小笠原氏の別邸であった下屋敷(御遊所)跡を復元した大名の庭園と、当時の武家書院を再現したもの。
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この時期は紅葉が素晴らしかった。近代建築物とのコラボ。
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小倉城周囲も散策するのが良いと思う。庭園は勿論、八坂神社など。だが、意外と歩いてわかった水堀が印象的だった。
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小倉城はポイントとなる見所のみなら、30分程度、庭園から周囲の散策までするなら、1時間程度であろう。2019年4月以降の天守閣のリニューアルを楽しみにしながら、帰路の福岡空港へ向かった。
これにて、11月末の4日間11城九州城巡り旅行は終了、スタートは二日酔いで大変であったが、全て計画通りに廻ることが出来た。
さて、7月からの4か月ほど、ぶっ続けで週末や休暇に城巡りをして、少々、疲れが溜まってしまった。この後の登城は、1か月ほど休憩し、12月22日から開催される「お城EXPO2018」に行くついでに廻る関東の続100名城の予定だ。恐らくは、寒さに耐えての登城、本当に厳しい200名城廻りだ。
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100名城の56城目は福岡県の福岡城。別名は舞鶴城。11月末の3連休に有休を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、4日目のスタート。アクセスは、地下鉄は「赤坂」、「大壕公園」で下車、徒歩8分、他に西鉄バスや福岡シティーループバス「ぐりーん」などもある。車なら、城址である舞鶴公園の周辺に有料駐車場有り、収容台数も多いので、困ることはなかろう。
登城日は2018年11月26日。前日は松浦市に宿泊、朝一で福岡城へ向かう。月曜日の午前なので、駐車場も空いていた。10時半頃から登城。初っ端から、見所の一つ、国の重要文化財であり、南丸に現存する多聞櫓へ。
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この多聞櫓は1607年建造のものを1853年に再建した。平櫓は16の小部屋があり、隅には二層の隅櫓を備える。残念ながら、イベント時などを除けば、非公開である。
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裏御門跡から入り、数分で本丸に到着、壮大な高石垣の天守台が視界に入って来る。
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福岡城は関ヶ原で戦功のあった黒田長政が、1601年から7年の歳月を掛けて築城。通説では、天守閣はなく、大中小の各天守台と47の櫓があった。天守台への入口である鉄御門跡は敵の侵入を防ぐため、こんな狭さだ。石垣の上には、櫓や塀があり、そこから攻撃する。この狭い通路にいたら、たまったものではない、と実感。
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更に、この後には埋門(うめもん)跡があり、同様に狭い。果たして、ここを無事に抜けることなど出来るのであろうか?
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生きてここに辿り着けることなどないであろうと思う大天守台跡。草の手入れは誰か、してくれないのであろうか?天守閣の存在については、今なお、不明なるも、存在すれば、大天守台の規模から5層規模のものと推察されている。
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最上部からは、城内は勿論、福岡市内が一望できる素晴らしい眺望であった。
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広大な福岡城は他にも二の丸跡や各種の門跡などがあるが、必見は祈念櫓。東北の隅(鬼門)にあり、鬼門を封じるための櫓だと言う。1860年に着工、1918年に大正寺へ移築され、昭和期に旧位置に戻ったらしく、現姿が昔の写真と異なっていることから、大規模に修復されたものであると推定されている。
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この後、鴻臚館(こうろかん)へ向かう。スタンプ設置場所は他の施設にもあるが、今回、ここでゲット。鴻臚館は奈良平安期の外交や交易の施設であった。1987年に平和台球場から、突如として遺跡が現れ、ニュースになったのを微かに記憶している。内部はなかなか詳しい説明、展示があるので、是非、立ち寄られたし。
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鴻臚館を出たところで、すでに登城開始後、1時間経過。まだ見所はあって、まずは伝潮見櫓だ。城内にあった50近い櫓の一つであるが、近年の調査にて、潮見櫓ではなく、他の不詳の櫓であるとされる。
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さて、あと二つほど。一つは、下之橋御門。1805年築造だが、明治期に上部を喪失、平成12年の不審火の後、復原されたものだ。
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最後は黒田如水(官兵衛)隠居地跡。三の丸御鷹屋敷と呼ばれていたこの地で、隠居したと言う。城址とは少し離れた場所にあるので、現地にて良くご確認されたし。
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結局、30分くらいで廻る予定であったが、見所が多く、広大な城郭内移動、鴻臚館での見学など1時間半以上掛かった。高石垣や門跡、櫓など見所はとても多く、楽しい。当時の黒田氏の凄さを実感できる場所だが、一部、案内板など手入れが行き届いていない箇所があったのが残念。
いよいよ、この後は、大トリの小倉城。博多からの新幹線での移動が楽チンで迷ったが、車にて向かうことにした。近そうでちょっと遠い気がする北九州市だ。
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100名城の55城目は長崎県の平戸城。別名は亀岡城、日の岳城。11月末の3連休に有休を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、3日目の最終3城目。電車でのアクセスは、松浦鉄道西九州線の「たびら平戸口」から「西鉄バス平戸行き」で約10分、「平戸市役所前」下車して、徒歩約5分。車なら、「レストハウス駐車場」、「亀岡公園グランド駐車場」の2箇所あり、両方とも無料が嬉しい。
登城日は2018年11月25日。名護屋城からは2時間弱と意外と時間が掛かったが、15時過ぎに到着。レストハウスの駐車場に止め、登城。緩やかな坂道を登るとすぐに、北虎口門に到着。1704年の築城時の現存遺物だ。当時は、大手門に次いで、堅固な門であったと言う。
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そして、北虎口門を抜けると、すぐ左手に、狸櫓(多聞櫓)がある。これも、当時から現存する遺物だ。
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平戸城は、平戸藩主の松浦氏の居城で、1599年に日の岳城として築城された。だが、1600年の関ヶ原後、その動静を怪しまれ、日の岳城を焼却して徳川氏に恭順を示した。それから、約90年後の1704年に松浦棟(たかし)が普請を開始、1718年に完成した。縄張りは軍学者の山鹿素行の助言を得ている。天守は無く、1層2階の物見櫓が作られた。現在は、1962年に作られた3層5階の模擬天守がある。スタンプは閣内でゲット出来る。
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天守からの眺望は、海岸に建てられていることもあり、海や島々が美しく見える。
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また、天守閣内には、1707年の築城当時の北虎口門のくぐり戸がさりげなく、展示されているので、お見逃し無く。
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模擬天守と同時に平戸城の多くの櫓が再建されている。北地蔵坂櫓、乾櫓、東櫓、懐柔櫓、見奏櫓だ。左が天守、右が見奏櫓の2ショット。
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現在、二の郭(二の丸)は亀岡神社となっており、特別な見所はないが、紅葉が咲き始めて美しかった。
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平戸城は登城も楽で見所は多くは無いので、長くて1時間、駆け足でなら30分程度であろう。現存遺物が僅かに残っている点と眺望は良いが、名護屋城の後の登城と言うこともあり、少々、物足りない気持ちになったのも事実だ。
こうして、4日間11城の九州城巡り旅行、3日目の3城目が終了。計9城を制覇し、予定通りの旅程。明日は、一気に福岡方面へ、福岡城と小倉城の2城だ。
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100名城の54城目は佐賀県の名護屋城。11月末の3連休に有休を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、3日目の2城目。電車でのアクセスは、唐津駅からバスで約40分、「名護屋城博物館入口」下車して徒歩約5分。車なら、無料の駐車場有り。
登城日は2018年11月25日。唐津城から車で約30分ほどで到着。まずは、佐賀県立名護屋城博物館にて、スタンプと展示物を勉強。入館料は無料だが、かなりの規模の建屋で、内容も充実している。主に、原始から近世の日本と朝鮮の関係、交流史がメインで、しっかり見るなら、1時間程度は掛かるであろう。また、受付で募金すれば、名護屋城の案内図が貰えるのでご確認を。
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博物館の裏手には、木下延俊の陣屋跡がある。名護屋城周辺には、有力大名の陣屋跡が残っているが、時間がない場合は、せめて、この木下陣屋を見ると良いと思う。これは、陣屋にあるトイレ跡。
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昼食を挟んで、登城開始。城址入口の案内所で多分、100円ほどだったかを払うと、おススメ散策ガイド、ガイドマップが貰えるので、是非。
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登城は城の正面入口の大手口から。右側に櫓台があり、緩やかな登りの一直線の道がある。登城坂だ。尚、博物館からここまでの道は太閤道と呼ばれている。
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登り切ると右手に東出丸という曲輪がある。
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左に行けば、すぐに三の丸に到着する。ここから本丸、二の丸に行くことが出来る。井戸の跡もあり。
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名護屋城は、豊臣秀吉の天下統一後、中国大陸進出の前線基地として、1591年、九州の諸大名に命じて築城された。その本丸は広大さに圧倒される。
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本丸には、後の世に作られた東郷平八郎や青木月斗の碑があるが、何と言っても、天守台と多聞櫓跡が必見だ。まずは、多聞櫓跡。全長55m、幅8mであったと言う。
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広大な名護屋城だが、突貫工事で僅か5ヶ月で完成した。巨大な五重天守が建っていたが、それは、天守台に登ればわかる。
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そして、天守台からの眺望も素晴らしかった。
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朝鮮出兵のための急造の城ではあるが、約17万㎡にも及び、全てを散策するのも、Blogに書くのも結構、大変。印象に残ったものを幾つか。。。
まずは、二の丸の西側にある110mの石垣と合坂。(合坂=上り下りしやすくする石段)
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あまり、人が行かないであろう搦手口。
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名護屋城は豪華絢爛な城で、参集した諸将は周囲に陣屋を構え、その数は約130と言われる。だが、1599年に秀吉が没すると、朝鮮出兵は中止となる。関ヶ原後に唐津城築城の際に一部の資材が使用されたと言われている。そして、1615年の一国一城令により、名護屋城は廃城となる。今では、その本丸の石垣も崩落しつつある。危険が無いのであれば、人為的に修繕せずに、時に流れに任せてもらいたいとも感じる。
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名護屋城は気軽に登城が出来る名城で、その歴史的価値や整備状況、高石垣や曲輪などの見所が多い点、天守台からの眺望の良さ、博物館の内容の良さや料金、周囲の陣屋など、様々な点から、当然の★★★★★。博物館見て、全てを廻るなら、2時間は必要だ。だが、肉体的に疲労するような坂道とかは無いので、ご安心を。
この後、この日最後の平戸城へ向かう。
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続100名城の40城目は佐賀県の唐津城。続100名城では佐賀県で唯一の城だ。別名は舞鶴城。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の城巡り旅行、3日目のスタート。アクセスは電車なら、JR唐津駅から徒歩25分、若しくは、バスで10分弱、唐津城入口停留所からすぐ。車は有料ながら、城址目の前に駐車場有り。
登城日は2018年11月25日。2008年に登城したことがあり、約10年ぶりだ。有料の駐車場に止め、地下道を歩いて行けば、すぐに到着する。また、有料エレベーターで天守までラクチンにがあがれるので、興味のある方は現にて。この時期、城巡りを彩ってくれるのが、紅葉だ。
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唐津城は、豊臣秀吉の家臣の寺沢広高が、1602年から7年の歳月を費やして完成したと伝えられている。
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築城にあたっては、名護屋城(名古屋城ではない。)の資材と転用したとされる。天守の石垣等は、最近、修復された。
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寺沢氏の後は、目まぐるしく、有力な譜代大名が入り、明治になって廃城されてしまう。当時の絵図から、5層5階の天守で、現在は模擬天守、内部は歴史館となっており、唐津城の歴史の他、唐津焼などまずまず見ごたえのある展示であった。スタンプはここの1階に設置されている。
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最上階からは唐津市や海が一望でき、なかなかの眺望。
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天守入り口には、「旗竿石」がある。これは、名護屋城の鍋島氏の陣地にあったものが、唐津城に運ばれたものとされる。旗竿を差すための石で、穴が空いている。
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唐津城は大きくは無く、さほど見所もないので、30分ちょっとあれば十分であろう。唐津自体、唐津くんちや唐津焼など、他にも楽しめる観光場所も多いので、時間があれば、是非、立ち寄られたし。
この後は、この旅行のメインとも言える名護屋城だ。急ぎ、現地へ向かう。
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100名城の53城目は佐賀県の佐賀城。別名は栄城、沈み城、亀甲城。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、2日目の3城目。佐賀城へのアクセスは、電車は、JR佐賀駅から徒歩25分、バスなら、城址近くまで行けるのでご確認されたし。車は、城址に無料駐車場が複数個所あるので便利だ。
登城日は2018年11月24日。吉野ケ里から数十分で到着。城址目の前の駐車場に止める。すぐに、国の重要文化財である鯱の門、続櫓が見える。1835年の大火の後、本丸の門として建立されたもので、1838年6月に完成した。
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この門は鯱で有名であるが、明治期に入った1874年の佐賀の乱での銃弾痕が残っていることでも知られている。
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忘れてはいけない鯱はこんな感じだ。かわいい。
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佐賀城は、1608年、龍造寺氏の居城であった村中城を、家臣の鍋島直茂・勝茂親子が改修・拡張して築城した。当時は四重五階の天守も建てられた。残念ながら消失してしまい、現在は天守台が残る。
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同じく、消失した本丸御殿は平成16年に再建された。十代藩主であった鍋島直正が再建した天保期のそれを忠実に再現したもので、現在は佐賀城本丸歴史館となっている。ここの受付にてスタンプがゲット出来る。
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歴史館では、佐賀城や佐賀藩に関する資料や展示物があり、御殿内部の作りも当時の雰囲気を醸し出している。中でも、鍋島さんの人形、少々、寂しさを感じざるを得ないが。。。。
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他の見所としては、石垣と外堀である。特に外堀は広大で、たまたま夕日に映えて美しかった。
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佐賀城は広くはないので、歴史館でじっくり勉強して見所を廻っても1時間程度で十分であろう。城の歴史の中で、江戸期よりも明治維新以降のことが中心になっている気がした。
これにて、4日間11城の九州城巡り旅行、2日目が終了、折り返しの6城を制覇。この日は佐賀市内に宿泊、行く実は佐賀市から唐津へ向かい、その後、長崎へ向かう道程だ。
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100名城の52城目は佐賀県の吉野ヶ里遺跡。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の九州城巡り旅行、2日目の2城目。吉野ヶ里遺跡へのアクセスは、電車はJR鳥栖駅から長崎本線で、JR吉野ヶ里公園駅、又は、JR神埼駅下車で徒歩約15分。車なら、吉野ケ里歴史公園に有料の広大な駐車場がある。
登城日は2018年11月24日。久留米城から向かい、30分程度で到着。東口の券売機付近にてスタンプをゲット。快晴で気温も高く、絶好の登城日和。早速、ゆるキャラのお出迎え。
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吉野ケ里は、紀元前5世紀から紀元後3世紀までの弥生時代の環濠集落である。大陸から伝来した稲作が盛んになると、水や土地を奪い合う争いが始まり、集落周辺にはこのような逆茂木と言われる乱杭を作り、防御したとされる。
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また、大きな濠を掘り、その土で土塁を作り、土塁の上には木の柵を設けて防御をしていた。「土から成る」=「城」の語源となったとされる。
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環濠の出入り口や倉庫などの重要な場所、施設を監視する物見櫓の存在も発掘調査で確認されている。かなりの広範囲を見渡すことが出来た。
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見所の一つとしては北内郭。柵に囲まれており、迷路みたいな通路を行く。重要な祭りごとを決める神聖な場所だ。
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北内郭の内部では重要事項を諮っている様子が、人形で表現されている。
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北があれば、南あり。南内郭は、王や権力者が住んでいたとされる場所だ。
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他には、村の住居や建物、集落の歴代の王が埋葬されている墓と考えられている北墳丘墓。外観が復元され、墳丘墓の内部では14基の本物の甕棺や出土品の展示、解説がある。これは本物とのこと。穴にある甕(かめ)に遺体を収納していた。

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吉野ケ里は見所が多いので、施設等の見学もして、隈なく廻ると最低でも1.5時間くらいは必要か。広大な公園をゆっくりと散策しながら、弥生期に思いを馳せて見学するのが良いであろう。
この後、この日最後の佐賀城へ向かう。
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続100名城の39城目は福岡県の久留米城。別名は笹原城、篠山城、篠原城。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の城巡り旅行、2日目のスタート。アクセスは電車なら、JR&西鉄の久留米駅から西鉄バスで、「大学病院」下車、徒歩3分。車であれば、城址に駐車場有り、すぐに登城出来る。
登城日は2018年11月24日。蜜柑丸跡の駐車場に止め登城、すぐに現存する高石垣がお目見え、かなり迫力ある。
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1504年頃、この地の勢力が笹原城として築いたのがその前身とされ、1587年、豊臣秀吉の九州平定で毛利氏が入り、本格的な近世城郭に修繕した。だが、毛利氏は関ヶ原の戦いで西軍についたため、その後、田中氏が入ることになる。しかし、2代で断絶してしまい、1621年に有馬豊氏が城主となり、久留米城は幕末まで治世の中心となった。70年くらい掛けて完成したと言う。残念ながら、現存している建築物は無いが、当時は7つの櫓があったとされる。その跡は案内図にあるので、ご参考にされるのが良いと思う。
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特に、巽櫓は壮大な威容を誇っていたと言う。今となっては簡素なベンチしかないが。。。。
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本丸は、現在、有馬氏ら歴代の城主を祀った篠山神社となっている。ここの社務所にスタンプがある。また、有馬氏のゆかりの資料が展示されている有馬記念館も傍にあるので、是非。有馬氏の歴史のビデオが3編あり、勉強になるのも良い。何と言っても、15代当主の有馬頼寧氏が、かの年末の風物詩「有馬記念」の創設者であることが最も印象に残ってしまった。(有馬記念のビデオは、あの歴史的圧勝したディープインパクトだ。)
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久留米城は筑後川中流の丘陵に築かれた平城で、乾櫓跡からは筑後川が見える。高地ではないが、まずまずの眺望だった。
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櫓跡の他に、門跡や井戸跡などがあるがあるが、この城の見所は高石垣に尽きる。
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久留米城は、さほど広くもないし、見る場期箇所も多くは無い。有馬記念館でじっくり鑑賞しても45分もあれば十分ではないかと。今となっては櫓が無いのは、歴史的宿命であったので、致し方ないと思うが、再建櫓もないのはちょっと寂しいと感じた。
この後は、100名城の吉野ケ里へ向かう。約10年ぶりの登城だ。
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続100名城の38城目は福岡県の基肄城。(きいじょう)別名は椽城。(きじょう)11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の城巡り旅行、初日の大野城水城からの3城目。アクセスは電車なら、JR基山駅から徒歩1時間、車であれば、2018年11月23日現在、登城できるルートの草スキーの駐車場からすぐだ。
登城日は2018年11月23日。水城から、まずはスタンプのある基山町民会館の事務所へ。職員の方から、「草スキー場から登城できる。」とのこと、親切に道を教えてくれ、資料もたくさん貰った。町民会館から10分弱ほどと思うが、やや細い道を行き、無事、草スキー場の駐車場へ到着。看板を見て、ちょっと、一安心。
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見所は色々とあるようだが、この時点では、草スキー場から山頂を目指すことしかできない。残念。気合を入れてコースを登って行く。
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10分も掛からなかったと思うが、いよいよ山頂へ。ここを超えれば、到着だ。
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基肄城は、665年に大和朝廷が大宰府防御の為に築いた日本最古の朝鮮式山城。663年の白村江の戦い後、664年に作られた水城に続き、大野城ととも作られた。
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基山の山頂、展望台からのその眺望は素晴らしいの一言。
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土塁や郭は確認できたが、残念ながら、これくらいしか見れない。
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谷の崩壊があったようで、ブルーシートで覆われている。
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基肄城は、まだ多くが被災によって見れないので、今回の草スキー場(山麓)から、基山頂上の往復で40分程度だった。1300年以上前の貴重な山城、もっと、隅から隅まで見てみたいと思う。
これで、4日間11城の城巡り旅行、初日は終了。二日酔いもようやく醒め、久留米のホテルへ向かった。翌日は、久留米城、吉野ケ里、佐賀城の3城に挑む。
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続100名城の37城目は福岡県の水城(みずき)。11月末の3連休に有給を加えて、4日間11城の城巡り旅行、初日の大野城からの2城目。アクセスは電車なら、JR水城駅から徒歩ですぐ。車も、駐車場が2箇所あるのでラクチンに登城可能だ。
登城日は2018年11月23日。大野城から30分くらいで到着。第2駐車場に止め、登城。城と言うよりは、「土塁、防御壁」であることを念頭に行かれると良い。まずは、「水城館」という土塁の下に作られたガイダンス施設に行き、スタンプを押印、ビデオを視聴するのが良いであろう。バッジもくれるので記念になって有難い。

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水城は、663年の白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に日本が敗れた後、侵攻に備えて、664年に大和朝廷が大野城や基肄城とともに築いたものである。多分、ガイダンス施設でもらったパンフレットの配置図が分かり易いであろう。
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大宰府を中心に、南北に大野城と基肄城を配置、大宰府への入口に水城を作った。水城には東西に門があったとされ、東門跡があり、門柱の穴が残っている。
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水城は長さ1.2Km、幅80m、高さ10mの土塁とその内外に水濠があった。現地でそのイメージをわかすには、3つある。一つ目が展望台から見ることである。写真中央から右が土塁である。私有地らしいが。
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二つ目は、道路を渡り、まじかで見ること。
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近いと、イマイチ、分かりずらい。3つ目。多分、第2駐車場からの眺望が最も分かり易い気がする。いずれにしても、木々に覆われているので、普通はわからないであろう。
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水城は、大宰府への入口の関所としての役割もあった。往来の場所としても有名で、万葉集にある大伴旅人と児島の離別の歌は水城館の広場に歌碑となっている。その意味は現地にて、ご確認頂きたい。
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水城は館でビデオを見て、周囲を散策しても30分程度。若しくは、もっと短時間でも可能と思う。まあ、こんな続100名城もあっても良いのではないか?といったところ。
この後、この日最後の基肄城(きいじょう)へ向かう。災害で大変だった場所のようであるが、果たして。。。。
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